和田はつ子 薬 師    一  赤いかもめの夢を見ていた。夢だとわかるのは繰り返し見ていたものだからだ。海は平穏そのもの。青い波間に数えきれない数のゆりかもめが漂っている。白い波頭が優しいカーブを描きながら波打ち際を濡《ぬ》らしていく。わたしの故郷北海道は海に恵まれている。太平洋、日本海、オホーツク海。夢の海はどの海だろうかとわたしは考える。  そのとたん海が荒れる。波間から血煙がどろどろと噴き出す。波頭が振り上げたナイフの格好になったかと思うと、おびただしい血をしたたらせる。海は血の色一色に染まる。かもめの死骸《しがい》まで赤い——。 「もうたくさんだ」  叫んだつもりだったが、声にはならなかった。  川を漂っていた。父に連れられてきたことのある層雲峡で渓流釣りをしている。チプと呼ばれる丸木船に乗っている。  川を下っていく。水面からアメマスが飛び上がる。アメマスを捕獲したとたん、川の異常に気がついた。おびただしい鮭虫と鮭の死骸。雷鳴が轟《とどろ》いた。不意に視野が遮られ、漆黒の闇《やみ》に包まれる。  わたしはこの夢も見たことがあった。  雷鳴が続き、時折ナイフのような一撃が降る。その一瞬だけわずかに視界が開ける。魚籠《びく》の中で息絶えたアメマスが膨れはじめる。むくむくと限りなく肥大していく。終わることのない怒りと呪《のろ》い、その両方を感じた。赤い水面が見えた。川もまた血を流し続けている——。  山に向かっていた。どうしたわけか、水野薫《みずのかおる》と一緒に車の中にいる。運転しているのは彼女だった。  切り立った山頂は間近に見えるが、そう近い距離ではなかった。わたしたちはひたすら、車に許された山道を登っている。 「子供の頃、おばあちゃんが読んでくれた本の中でお猿が出てくるのがあってね。動物園から逃げ出した猿が、生まれ故郷の山へ帰ろうとするんだけど、見えている山は近そうに見えて遠い。最後に猿はどうなったか忘れたけどせつない話だったわ」  水野がいつになく、しんみりとする話をした。 「それ、猿に限らないよ。人間たちだって、もとはもっと山と密接な関係だったはず。特に山の多い日本ではね」  わたしは答えていた。ふと目の前の山は何という名前だろう、ここはどこだろうと気にかかる。北海道の山々は一部のものを除いて、丘陵を想《おも》わせるなだらかなものが多い。だからここは断じて故郷ではない。 「ほら、まだ雪を被《かぶ》っているのよ」  水野が歓声をあげる。 「あっちもこっちも」  わたしは慄然《りつぜん》とした。切り立った山頂が見えている。しかもそれは一山ではない。よく似た形の尖《とが》ったシルエットが幾重にも重なって見える。まるで日本中の高い山がここに集結しているかのようだ。 「美しいながめね」  水野はなおもはしゃいでいる。  だがわたしたちは見えているその山に登っているはずなのだ。かなりの距離を来ていて、絵はがきのように山頂が見渡せるわけなどないのだった。  だからこれらはすべて幻影にすぎない。わたしがそういいかけると、突然見えている山々の山頂が目の前に迫った。  それは溶岩や火山灰などではない、薔薇《ばら》色に輝く生の肉だった。山肌は凍った赤い肉片でできている。そしてかちかちに凍った雪に見える部分の他は、呼吸でもしているかのように、どこもかしこも蠢《うごめ》いていた。  山は邪悪に生きている。わたしは戦慄《せんりつ》を感じた。  そこで夢は終わり、わたしは目をさました。まだ五月に入ったばかりのせいか、妙に寒かった。感じた戦慄が冷たい汗に変わっていた。午前四時二十七分。真駒内《まこまない》にある自宅のベッドの上にいた。ゴールデンウィークで帰省中なのだ。  わたしはベッドから起き上がり、階下の浴室へと向かった。浴室は玄関から続く廊下の突き当たりにあり、母の部屋の隣りである。旭川《あさひかわ》に住んでいた文子叔母《ふみこおば》がこの家に同居してくれるまでは、昔ながらの焚き口のついた檜《ひのき》の風呂桶《ふろおけ》だったが、今は改良されている。わたしはシャワーを浴びた。  パジャマから普段着に着替える。再び眠る気はなかった。また眠れるはずもないとわかっていた。あの手の夢を見たあとはいくら努力しても、夢の映像が独楽《こま》のように次々と網膜の上をかけめぐる。  リビングの窓から庭へ出ることができる。窓のシャッターを上げようとしてふと、近くにあった織り機に目がいった。同居して母のめんどうを見ていてくれる叔母は、母の一番末の妹で、ユーカラ織りとアイヌ料理の伝承者だった。  一方、母は行商から身を起こし、海産物の卸し業で成功した実業家であった。 「起きてたのね」  背後で叔母の声がした。振り返ると、ラベンダー色のガウン姿の文子叔母がコップの水を飲んでいた。五十代前半のふくよかな彼女は小柄で彫りが浅く、ごく平均的な日本人の顔だちをしている。これは母方が曾祖父《そうそふ》の代に和人と婚姻している証《あか》しで、以後さらに混血は進んでアイヌの血は薄くなってきていた。あと四人いる母の妹たちも同様だった。 「何だか最近眠りが浅くて」  叔母はかたりと音をたてて空のコップをテーブルに置いた。ため息をつきかける。 「聞こえない?」  窓のシャッターの方角へと顎《あご》をしゃくった。  わたしは耳を澄ました。狩猟民族である祖先からの恩恵か、わたしは嗅覚《きゆうかく》が並み外れて鋭い。その嗅覚ほどではなかったが、聴覚もそこそこ自信はある。  カッ、カッ、カッ、カッ。  庭から大地の一部がはじける音が聞こえてきた。たぶん鍬《くわ》が使われている。  カッ、カッ、カッ、カッ。  鍬は正確に休むことなくリズムを刻み続ける。 「母さん?」  わたしは聞いた。叔母が黙ってうなずいた。 「ここのところ毎日なのよ。夜通し。ほとんど不眠不休」  とつけ加えた。  わたしが帰省したのは昨日だった。だからはじめてこの事実に気がついたわけだ。昨夜夕食を囲んだ時には、母にこれといった変化はないように見受けられたが——。 「それで叔母さんも眠れない?」 「正直なところそう。これには姉さんなりの意味があるとは思うのね。そんなふうに思うと、心配になるのよ」  そういって叔母はめずらしく神経質そうに眉《まゆ》をしかめた。  母はアイヌのシャーマンである。曾祖母の代から続く血筋だが、妹たちにその力はない。シャーマンは主に医療に従事、特に産婆《さんば》の役割を大きく果たし続けた。また臨終にも立ち会って死にきれない病人の死を早め、安らかに冥途《めいど》に送る使命もあったと聞いている。  加えて基本的に備わっているのは予知能力、透視能力。このうち祖母は透視能力が強く、病院の医師が癌《がん》と診断した子宮の内部に胎児が育っていることを看破したそうだ。  わたしの母は予知能力に秀でたシャーマンであるらしい。ただし、アイヌのシャーマンが感知する予知はすべて凶事である。幸福なシャーマンは予知能力が衰えるともいわれていた。  これは予知夢の形で知らされる。  リビングから庭へ下りたわたしは下駄をひっかけて母の姿を探した。  カッ、カッ、カッ、カッ。  鍬の音がいくぶん近くなってきていた。あたりはまだうす青く、夜の気配がわずかだが残っている。  かぐわしい匂《にお》いに誘われた。母は裏庭で二メートルほどのキタコブシの根元を掘り下げていた。キタコブシの皮には芳香があり、匂いは鍬が当たって根元の皮が剥《は》がれる時に、醸し出されるもののようだった。 「おまえも、また夢を見たね」  母は鍬をふるい続けている。わたしの方を一度だけちらりと見た。  頭をスカーフで包んでいる母はスラックス姿で、顔を歪《ゆが》めるように荒く息をついている。母の青黒い顔はいかつく、凹凸がはっきりしている上、その身体は百六十五センチはゆうにあり、肩幅は男のようにがっしりしていた。アイヌの血筋を如実に物語っている。もちろん叔母たちとは少しも似ていない。といってわたしに似ているわけでもなかった。  わたしの容貌《ようぼう》の特徴は、ややわし鼻がかった高い鼻梁《びりよう》、落ちくぼんだ眼窩《がんか》、張り出た頬骨《ほおぼね》。おまけに思春期までは火のように赤かった頭髪。およそわたしは日本人離れした容貌なのだが、それは母のせいばかりではない。早世した父もまた、ロシア人の祖先を持つ赤毛で異風の日本人だったのだ。どちらかというとわたしはこの父に似ている。 「夢は海と川と山。そうだね」  作業を続けながら母は念を押した。わたしは答えない。答えたくなかった。母も叔母たちもわたしの見る夢が予知夢で、わたしがシャーマンの血を祖先から受け継いでいると信じこんでいるのだ。  予知夢は常に凶事。たしかにわたしは不吉な夢に導かれるようにさまざまな事件に巻き込まれ、人間の悪をまのあたりに見てきてはいた。だがまだ母のようにそれが自分の使命だとは思いきれていなかった。また人間やその社会に救いようのない悪が存在するとは、思いたくなかった。  それもあってわたしは常に、自分と祖先の能力とは無縁だと考えるようにしていた。悪あがきであると知りつつ、すべては偶然だと思いたかった。  だから母の言葉には直接答えず、 「どうしてその木を移すんですか?」  と聞いた。 「この木のいい香りは病魔を引き寄せるからね。昔、天然痘が流行した時はこの木を�屁《へ》こきの木�と呼び名を変えたものだ。どのみちこの家にはふさわしくない。ほしいという人がいたからもらってもらう」  新しく木が植えられている。まだ丈の低い苗木の状態なので種類はわからない。聞くと母は、 「ナナカマドにエゾノウワミズザクラ、エンジュ。育つとどれも臭い。この臭みが魔除《まよ》けになる」  といった。  結局その日は一日、母のガーデニングの手伝いをして過ごした。母が植えようとしているのは樹木の類《たぐ》いも含めて、どれも食用のものとわかった。耕された中庭には草木類が植えられることになっていた。  オハウと呼ばれる雑炊の実にするニリンソウ、ねぎよりも風味がよく肉料理の薬味になる行者にんにく、煮びたしやサラダに美味《おい》しいぜんまい、こごみ、アザミ、フキノトウ、オオハナウド、よもぎ、ふきなどなど。こちらの作業には料理に興味のある叔母も仲間に入って、取り寄せた苗を分類していく。 「ほう、イケマがあるな」  途中わたしは思わず声に出した。ガガイモ科特有の細長のハート形の葉を見つめた。食用といわれながら食べすぎると中毒になるともいわれていた。また湿地に生い茂っているものは食べられないとも。わたし自身は口にしたことがない。叔母にこのことを聞くと、 「食べるのは根の部分で昔は煮たり蒸したりしたというけれど、味はどうかしら」  と頭をかしげた。  一方母は、 「アイヌの霊草だ」  といい切り、イケマは生ある万物に効能のある祈祷《きとう》植物だと説明してくれた。酒造りには欠かせない魔除けで、仕込んだ酒樽《さかだる》の上に載せておく。葬式に持参していく。また根を家の軒下に置いて守り神の代わりをさせる。網袋に保存しておいて口の中でかみくだき、病人にふきつける。 「これにも臭いはありそうだな」  わたしは独自の嗅覚でそう判断した。裏庭に植えられたナナカマドやエンジュもそうだが、アイヌの魔除けに使われる植物はどれも悪臭の部類に属する。 「霊草というからには薬効もあるんでしょうね」  これも母に聞きたいところだった。ところが母は、 「さてね」  作業の手を止めて、我関せずという顔になった。口をへの字に結んでいる。  代わって叔母が、 「資料には二日酔いと食中毒に効くとされているけれど、実際に試した話は聞いたことがないわ。イケマ以外のものなら、以前アイヌのお年寄りに聞いたことがある。それでもいい?」  もちろんわたしはそれを話してほしいと頼んだ。すると叔母はまむしが夏負けや胃弱に、行者にんにく、よもぎが風邪に、チマキナと呼ばれるうどの根が重傷の打撲傷に、キハダの木の皮と実が胸部疾患に、バイケイソウが皮膚病に、ナナカマドが解熱に効くという説明を、エピソード風に語ってくれた。 「もっとも最近は、どんな植物にもそれ相応の薬効があるという人もいるわ。早い話、植物繊維だけでも便秘の立派な予防になるしね。アイヌ食は肉や魚ばかりだと思われているけれど、実はちがっていて日々の食事は野草、山菜などへの依存度が高かった。その意味ではわたしたちの祖先の伝統食は、バランスのとれた医食同源だったといえる」  と最後に叔母は締め括《くく》り、わたしは彼女が短大の家政科で長い間助手を務め、講義もいくつか任されていたことを今さらのように思い出した。 「ありがとう」  わたしは叔母に礼をいって、母の方に向き直った。母に質問があったのだ。彼女が家の裏庭に臭い木々を植え、芳香のキタコブシをよそへやる理由について。魔除けだということはわかる。だが天然痘が駆逐されたこの現代、いったい何から母は身を守るつもりなのだろうか? それはもとより新種の病原菌などではありえないはずだ。そして中庭に植えられた医食同源の草木の意味は? 「闇に潜むものたちは夜に動いている。だからこれは魔物たちの後追いにすぎない」  わたしが質問するよりも先に母はそういった。特徴のある灰色の目が見開かれて濃度を増した。強い決意が伝わってくる。 「もうまにあわないかもしれない。だがやってみるしかない」  母はさらりといい捨てた。    二  今年のゴールデンウィークの翌日は研究日に当たった。おかげで一日得をしたような気分にはなったが、手持ちぶさたでもあり、ついつい、ベランダ園芸にのめりこむこととなった。  プランターで植物を育てていて無常を感じることがある。何年も命があるとされている多年草でも、やがて朽ちていく。プランター栽培だと土に直接植えるものに比べて、朽ちるスピードが速い。水や土などの条件のせいだろう。また大地に根を張った植物は、たとえその親株が命尽きても、飛んだ種や子株が残って命を脈々と伝えていく。残念なことに周囲に土のないプランターではこうはならない。  セージの刈り取りから解放されたわたしはため息をついて、土だけのプランターを見つめた。  植物の寿命を見つめているうちに、知らずと人の死について考えていた。地域社会のルールと家族の結束によって、個々の生活が維持されていた先祖たちの時代、彼らの生死は大地に直接根を張る植物のようではなかったか? 種の保存が自然の摂理と同化して悲劇的であるべき死までが、おだやかな日常の一部として受容できたかつての時代、人々。  一方、高度文明下の現代人はプランターの多年草に似ている。隔離され管理された生と死。死は非日常の極みで、ありうべからざる非現実のように思えないでもない。とはいえこれだけは確かな現実であり、現代人が抱く恐怖の正体はこの運命以外の何物でもないだろう。  わたしはセージが植えられているプランターを離れ、ワームウッドが育っている円型の素焼きの鉢を手に取った。この植物は草丈一・五メートルほどになるため、鉢の直径は最低三十センチは必要。四月に取り寄せたワームウッドの苗は五十センチほどに生長していた。そろそろ植え替え時だった。  わたしはしばらくその作業に励んだ。キク科のワームウッドは和名ニガヨモギ。形こそヨモギそっくりだが、銀白色の葉の色はめずらしく美しい。フランス世紀末の天才詩人ランボーやヴェルレーヌ、ボードレールが痛飲したアブサンの原料であった。もっともツヨンというマリファナに似た成分を含むことがわかったため、現在のアブサンにはほとんど使われていない。  鉢替えを終えたわたしはふと思いついて、銀色のその葉を二枚摘みとった。葉を茎から離したとたん、えもいわれぬ芳香に包まれる。たしかにキク科の植物特有の匂いなのだが少しも野卑ではない。ミステリアスで高貴な香水を想わせる。  わたしはベランダからリビングに入った。ワームウッドの一番美味しい使い途はワームウッド酒。苦みとウオツカの相性が抜群。リキュールの一種だが、砂糖はいれない方がいい。わたしは思わず、保存ボトルに入ったクリスタルグリーンの熟成したワームウッド酒を想像して、にんまりした。ベランダのワームウッドが葉を茂らせる夏頃には作りおくことができるだろう。  悪夢や不安感を引き起こすというツヨンが含まれながら、ワームウッドの苗が売られているのは、よほどたくさんの葉を一度に摂取しない限り安全だからである。まさかワームウッドのような香水じみた芳香のある植物を、サラダにして食べるわけもないと。  それでもワームウッドが一種禁断の植物であることには変わりない。トリカブトや彼岸花、朝鮮あさがおなどといった猛毒植物に比べて毒性が低いだけのことだ。  一方ワームウッドには毒性と表裏一体に薬効がある。古来もっとも効き目があるのはゆううつ症とされてきた。麻薬に似た成分を含むとあればこれは納得がいく。  もちろんこれはワームウッドだけに限らない。毒性の強い植物ほど効き目の高い薬の原料とされてきた。猛毒のイヌサフランは痛風に速効性があり、ジギタリスからは強心薬が作られている。  わたしたち人間の祖先は長い時間をかけて、死をもたらす毒性が生への扉につながる薬効をも重ねもつと認識してきた。そして現代に生きるわたしたちは、マイナス要因である毒性を完全に廃し、薬効だけを追求できると信じこみかけている。  驕《おご》りと妄想。自然への冒涜《ぼうとく》。これは現代人と現代医学の陥りやすい罠《わな》にちがいない。  そこでわたしは頭を振って思考を停止させた。この問題は救いがなさすぎる。今はただ、香り立つ貴婦人のようなワームウッドを賞味したかった。  湯をわかした。ティーにして飲むのが無難な線だった。プレーンなセイロン産の紅茶をいれてワームウッドを一葉浮かべる。砂糖は不要。堪能しながらベルモットソーダとの相性を考えていた。炭酸で割ったベルモットにワームウッドをやはり一葉。ベルモットは甘口でも辛口でもかまわない。リキュールの味がぐいと力強くなり、最高の贅沢《ぜいたく》をした気分にさせてくれる。  これは水野薫がいたらきっと喜ぶ逸品だろう。彼女を招待してみようか。水野薫は警視庁捜査一課の刑事でわたしと同い年の三十五歳。数々の事件を通じて、友情とも親愛ともつかない同志的親近感を抱きあってきた仲だった。  手に取った残りのワームウッドの葉をテーブルの上に置いて、思いきって携帯電話を取り上げた。  実をいうとわたしから水野に電話をしたことは数えるほどしかなかった。刑事である彼女の多忙さをおもんぱかってのことだ。それでなくても大学の教員の時間はしごくゆっくりと流れる。知らずとこちらのペースを押しつけて、煩わしい思いをさせてはならない。  そんなわたしが招待などということを思いついたのは、水野薫が無類の大食漢で酒好きであったことを思い出したからだった。禁断のベルモットソーダ。肴《さかな》は合鴨《あいがも》のスモークの薄切りと、新芽が出たばかりのロケットサラダとバジルのマリネ。マリネにはみじん切りの玉葱少々を忘れてはならない。脂で唇をぴかぴかさせながらぱくつく水野の顔が見えるようだ。  そんな彼女を現実に間近で見てみたかった。つまり自分は水野薫に会いたいのだということに気がついて、当惑気味の気分になりかける。正直、わたしと水野はもう何年もつきあっているが、何か要件がなければ会うこともない関係である。要件というのはたいてい、彼女が持ち込んでくる事件に関わるものであった。わたしから彼女をデートに誘ったり、プレゼントを贈ったりなどといったことはなかった。  だが食事は別だった。よくともにしている。行きがかり上のこともあるが、食事時に押しかけられることもある。さらにいうならわたしは、突然食い逃げを目的にやってくる彼女を厄介に思ったことは一度もなかった。訪れると告げられると、精一杯腕をふるおうという気持ちになった。  ちなみに彼女は家で料理というものをいっさいしない。食器は酒を飲むためのコップが二揃《ふたそろ》いあるきりであった。  わたしは携帯のボタンを操作した。ところが彼女の電話はめずらしく留守電になっていた。  勤務先である警視庁捜査一課にかけてみた。電話に出た相手は若者の声で、水野薫は身内の病気で昨日から休みをとっていると告げてきた。そこでわたしは茨城の彼女の実家の電話番号を聞きこんだ。  わたしの脳裏をあの時の夢がふっと掠《かす》めたのだ。車に同乗していたわたしたち。水野と交わした会話の数々。そして生の凍りついた肉片で蠢《うごめ》いていた山肌。  胸がむかつくような不吉な感覚をわたしは忘れることができなかった。  わたしは水野の実家の局番を回した。何回か受信音が鳴ってやっと女性が電話に出てくれた。母親だろうか。落ち着いた声ではあるが、驚くほど方言がきつい。語尾のイントネーションがことさら強かった。名前を名乗って水野を出してくれというと、意外だという声で、家には戻っていないといった。帰郷の事実も知らず、家人の一人が病気という雰囲気もなかった。  電話を切ったわたしはしばし途方にくれた。水野の身に何かあったのではないかという不安に浸されていたのだ。もっとも考えられる悲劇的なケースは、彼女お得意の不法捜査の行き詰まり。上司の許可もなく一人で犯罪者を追跡したり、その手の組織に潜入して、そして——。  その時リビングの電話が鳴った。水野にちがいない。なぜかわたしはそう合点して電話に飛びついた。夢中だったので彼女なら携帯の方にかけてくるとは考えなかった。  だが、 「もしもし」  電話の相手は聞きなれないたおやかな声だった。 「椎名《しいな》と申します。主人の代理でお電話をさせていただいておりますが」  これでやっと相手が判明した。椎名一郎の若妻だった。椎名一郎は五十代前半の大学教授で勤務校は国立帝都大学。わたしの恩師格である。もっともわたしの出身は公立大学なので、卒論などの指導を受けたことはなかった。  つきあいはもっぱらサークル活動を通じてであった。椎名教授の専門は植物人類学で�祭事と植物�という課題の研究会で顔を合わせたのがはじまりである。  以来椎名教授とは主に出版や執筆の関係で世話になってきた。従来めんどうみのいい性格である上に、頼まれれば嫌とはいえない社交家でもあった。また日本の学術研究者は貧しすぎてけしからんというのが彼の持論で、出版社へ原稿料の交渉をするのも得意だった。これ生きがいといった感もする。  それでいてもちろん鼻持ちならない俗物では決してない。 「昨夜遅く主人が急に苦しみだしまして、救急車で病院へ運ばれたんです。お医者様の診断は胆石症で、経過をみながら手術をするようになるとのことでした。当分入院して安静と食餌療法が必要になります」  電話の夫人は言葉を続けた。 「どこに入院されています?」  聞いたわたしはすぐにかけつけるつもりでいった。 「関東共済病院です。家のある成城学園前駅の近くです」 「わかりました。うかがいます」  面会時間をチェックしてわたしは電話を切った。  午後の日程は決まった。わたしはグルメの王者のような椎名のために見舞いの品を作ることを思いついた。  好物の鶏レバーのパテを作ろうかと考え、すぐに思案した。胆石症というのはたしか胆嚢《たんのう》の病気で、脂肪分やたんぱく質の制限があったのではないだろうか?  とりあえずそれを書架の医学事典で確認した。危惧《きぐ》した通りのようだ。また現代人に増えている胆石患者はそのほとんどがコレステロール結石で、原因は美食による肥満であると書かれていた。わたしは椎名教授のみごとにせり出した太鼓腹を思い浮かべ、なるほどと納得した。教授もここいらが年貢のおさめ時なのかもしれなかった。  コレステロールは人間の細胞維持に必要不可欠のものであり、女性の生殖にまつわる機能にも貢献している。よって男性よりも女性の方がやや多く分泌される。椎名教授に限らず、現在では男女を問わず、美食、飽食、運動不足による血中コレステロールの上昇が、深刻な生活習慣病をもたらしている。  そんなわけでわたしは結局手ぶらで見舞いに参上することになった。目白駅まで歩き、JR線で新宿に出て小田急線に乗り換える。  病室は五階の個室だった。ノックして入るとまず、大輪の胡蝶蘭《こちようらん》に出迎えられた。しかも白とピンクの二色が一鉢ずつ。おおぶりの瀬戸物の鉢に三株ずつ植え付けられておさまっている。縦一列に並んだ花弁がいっせいにこちらを見た。 「君、人間の歴史は飢餓死の連続だった。だから人間は飢餓に強く、飽食に弱い。ようはそういうことなんだよ」  椎名一郎はベッドに座って読書をしていた。病人とは思えないほどの元気さだ。四十代の頃からの白髪は相変わらずつやつやと輝き続けているし、顔色は赤ん坊のようなピンク色。むしろ具合が悪そうに見えるのは、付き添っている夫人の方だった。遅い結婚で一回り以上年のちがう夫人はまだ三十代半ばのはずだが、げっそりと頬の肉を落としている。 「何しろ苦しみようが普通じゃなかったんですよ」  眉をしかめながらいった。 「このままこの人にもしものことがあったらどうしようかと思いました」  涙ぐみかけた。 「またそんな馬鹿なことをいって。先生もいったろう。これは手術して養生さえすれば大丈夫なんだ」  そういって椎名教授は頼りなげな妻を励ました。毅然《きぜん》とした夫の態度だ。今どきめずらしい夫婦の図だとわたしは思った。 「それはそうと君を呼んだのはだね」  相手はせかせかした様子で先を急いだ。 「実は引き受けてほしい仕事があるんだ。わたしのピンチヒッター。本の編者を頼まれている。タイトルは�日本人の薬膳《やくぜん》�。一般向きのハウツー本だが、ちょっとカルチャーの匂いもするというやつに仕上げたい。引き受けてくれるとありがたい」 「急ぐ仕事ですか?」  椎名は回復までそんなに長くかかりそうには見えない。急ぐのでなければ編者の変更を考えたりはしないだろう。 「ご明察」  彼は大きな目を片方つぶって見せて続ける。 「決まっている執筆者の予定もあるんでね。一人は絵島郁子《えしまいくこ》。聞いたことがあるだろう。彼女が秋から開始する全国規模の講演会でこの本を使いたいといっている。つまりは営業絡みだよ」  そういった後彼は渋い顔ではなく、にこっと笑顔を見せた。 「絵島郁子ですか」  わたしはいわれた名前を繰り返しながらため息をつきかけた。絵島郁子はフードコーディネーターで株式会社�ネイチャー�の代表取締役。�ネイチャー�はダイエット中心の自然食品と自然化粧品、家庭用品のメーカー。この不況下、個人企業としては最優良の実績をあげ続けている。郁子自身も現在マスコミで大活躍していてテレビの常連、タレント並みの活動で中学生、小学生にまで知名度が浸透していた。ミス日本に選ばれたことがあるという彼女は、六十九歳の年齢を感じさせない美貌《びぼう》とプロポーションの持ち主で通っていた。 「あの方から突然お電話をいただいたのがはじまりなんですよ。主人に願い事があるっておっしゃって。それが今回のお仕事だったんです。絵島郁子さん、わたしの習智院《しゆうちいん》大学の先輩でそれで断りきれなくて。あのお花も絵島さんからいただきましたの」  夫人は胡蝶蘭に目を向けながら、マスコミの寵姫《ちようき》との関わりあいをこう説明した。たぶんわたしの当惑ぶりに気がついたのだろう。いわれると胡蝶蘭の円い大仰《おおぎよう》な花弁は、若造りの限りを尽くしたかのように見える、絵島郁子の厚化粧の目元を想わせた。奇妙に品位の落ちた感情のない見開かれた目、目、目。前からこの高価な花が好きになれなかった理由がやっとわかった。 「おおかた自分の本にお墨付きがほしかったんだろう」  教授はさっぱりといってのけた。 「だからといってそう悪いこともないさ。当世学者も象牙《ぞうげ》の塔にこもってばかりいたら、ほんとうに不見識になっちまうから。実社会との持ちつ持たれつを学ぶことも必要。それで新海龍之介《しんかいりゆうのすけ》に声をかけた」 「ほう。新海君ですか」  新海龍之介はわたしと同窓の三十五歳。しめしあわせるわけではなかったが、よく椎名一郎主催の勉強会で遭遇した。専門も同じ食文化だったが、卒業後故郷である盛岡の農業高校に就職。毎日田畑に出て生徒たちと気持ちのいい汗をかいているはずだった。研究よりも日々の実践だと、訪ねた友人に語っていたと聞く。 「新海君に実践を経て学んだことを形にしろといったよ。フィールドワークに魅せられるのはいいが、なにごとも偏るのはいけない。気がついてみるとさびついてきているものさ。わたしの身体《からだ》のようにね。長年食べてきたものはもっぱら動物性。研究対象は植物だが生まれついての野菜嫌いなんだ。日本人の飢饉食《ききんしよく》につながる貧乏臭いイメージが好きになれなかった。これが悪かったな。偏りすぎた。いくら好きでもほどほどにしなければと自戒した。家内のためにもね」  といって彼はまた片目をつぶって見せた。  わたしはいい潮時だと思い病室を辞した。編者交代の件は、押しまくられるというよりも、何げなく会話を交わしているうちに、知らずと承諾していた。  帰り道背広のポケットに振動があって、携帯電話を引き出してみると、水野からメールが届いていた。その言葉は以下のような珍妙なものだった。  カラダニイイリョウリオシエテクダサイ。 ミズノ  発信先を確かめた。捜査一課から聞いて一度かけた彼女の実家の番号であった。水野薫は今実家にいる。しかし何のために誰のために帰省したのか、その理由はわからずじまいだった。    三  その夜遅く水野はわたしの家にやってきた。めずらしいことだが憔悴《しようすい》しきっていた。とりわけ、一年中着ている黒いエナメルのダスターコートがくたびれて見えた。反対に電車の時間を待つ間、実家の近くの美容院で染めたばかりだという髪は燃えるように赤く、化粧は白壁を想わせるぶ厚さだった。もっともこれは疲れた肌を隠すためのものだったかもしれない。その証拠に口紅はいつもの地味なダークがかったピンクだったから。  わたしはある種の得体のしれなさを感じつつ、彼女を見つめた。何が彼女に起きているのか見当がつかなかった。 「ローズマリー風味の即席ピザならできるよ」  わたしはコーヒーメーカーをセットしながらいった。現在午前一時。熟睡中に今から行くと電話で叩《たた》き起こされたわたしはまだ眠かった。 「食欲ないの。いらない」  あろうことか水野はそう答えてソファーにうずくまった。コーヒーカップを持たせてやると、両手で抱え子供のような仕草ですすりはじめる。その音が泣いているようにも聞こえた。 「また事件?」  わたしはさりげなく聞いてみた。 「まあね」  彼女はむっつりと答えた。処置なし。わたしはそう判断した。わたしは自分のカップに、スコッチウイスキーひとたらしと、使い残しのワームウッドの葉を加えることを思いついた。サイドボードの扉を開いてオールドパーをチョイスした。 「わたしも」  それを見ていた水野がふくれ顔のままいった。わたしは彼女の希望通りに封を切ったばかりのオールドパーを注いでやる。もちろんワームウッドもサービスした。 「あなたのピザ、食べてもいいな」  そこでわたしは再びキッチンに立った。冷凍庫から自家製のピザを取り出してオーブンに放りこむ。それから数秒間ベランダへ出てローズマリーを一枝失敬した。手でしごいた葉をまないたに落とし、ペティナイフで刻んでおく。これがチーズだけのプレーンなピザの立役者だ。  ピザが焼き上がり胃におさまると水野は話しはじめた。これがいつもの彼女だとわたしはほっとした。 「事件が起きたのは茨城県の土浦《つちうら》市郊外にある大学病院。骨髄性の白血病を患う若い女性が移植手術を前に、突然病院からいなくなったの」 「県内で他に失踪《しつそう》事件は?」 「ここのところたて続けに続いているわ。ただし老人ばかり。若い人はこれがはじめて。それに老人たちの共通項はこれといってない。一人目は老人会館に趣味の碁を打ちに行くといって帰らなかった。二人目は老人ホームの住人。女性。庭に出て陽なたぼっこをしているところで姿を消した」 「似たような事件が東京で起きているというようなことは?」 「ないわ」  わたしは正直頭をかしげたくなった。水野薫はまごうことなき警視庁捜査一課の刑事である。としてみれば都下でこれに関連した事件が発生していないのに、そこまで出向いて行く必要性がない。ましてやこれらの件は、まだ事件性ありと確定したわけではないだろう。  手術を控えた若い女性は、過度の苦痛が伴うという骨髄移植手術が突然不安でならなくなり、逃げ出したのかもしれない。老人たちはふとしたはずみで、この先余生を送る気力を失ったのではないだろうか。  つまりわたしにわからないのは、なぜ水野が休暇まで取ってそこへ赴いたかということなのだ。わかっているのは、水野は何か他の個人的な理由で故郷を訪れ、今話している事件に遭遇した。それだけだった。そして知りたいのはもちろん個人的な理由の方だった。身体にいい料理を教えてくれという、普段の彼女らしからぬメールと関係がありそうに思えた。だが彼女はもうそのことには触れず、わたしも追及はしなかった。水野が嫌がると察知したので。  わたしに自分で誇れる美徳があるとしたら、それは、相手のタブーに決して踏みこむことをしない勘のよさだった。  ただそれゆえに異性の場合、たいていのつきあいは表層に終始するという恨みはあった。たぶん、恋愛を含む人間同士の深く激しいつきあいとは、お互いの傷を暴いて晒《さら》しあって舐《な》めあう無遠慮さ、猛々《たけだけ》しさと無縁ではないのだろう。  わたしは、その手の能力の方はまったく持ち合わせていない。  水野が帰ったその日一日中、わたしは奇妙な孤独感を感じ続けた。  それもあって、翌日、パーティーに出るのもたまにはいいじゃないかという気になった。椎名一郎が選手交代を急いだ理由の一つはこれだったのだ。 「健康と食材を考える会」という市民団体があって、あの絵島郁子が副会長をつとめていると聞いた。主な活動は立食パーティー形式の勉強会であるという。この目玉は�米�とか�いわし�とかの日本人にとって卑近な食材に絞って、和洋中、加えて流行のエスニックも取り入れ、多種多様な料理を考案、会員に試食させることにあった。勉強会というよりも試食会といえそうだ。今回のテーマになる食材は�ダイコン�。  わたしは正午ちょうど、都内のあるシティホテルの会場に出向いた。受付で椎名の名前をいうと日下部《くさかべ》と書いたバッジを渡してくれる。前の会員が支払っている会食代を耳にして驚く。一万円。  立食のメニューと「ダイコンの話/講師新海龍之介先生」と書かれた資料をもらった。一流ホテルのシェフの自信のほどがうかがえる豊富なメニューに感嘆する。洋食で十三種類、和食で十五種類、中華十種類、デザートには赤ワインと蜂蜜《はちみつ》風味の青首大根のコンポートまで工夫されている。しかもメニューにはすべて日本語の他にフランス語が記されていた。  同窓生の新海をさがしたが見当たらず、前もって連絡しておかなかったことを後悔した。  来賓席に案内された。大広間の会場には七、八人掛け円テーブルが三列に十組以上配されている。来賓席はその最前列で、わたしの名札のある席は中央のテーブルだった。その後方にスライドの器械が固定されている。席につくと、ほどなく暗幕が垂らされて照明が消え、スライドが繰り出され、盛岡農業高校教諭新海龍之介の講演がはじまった。  講演は興味深かった。特に印象に残ったのは在来種のダイコンと薬効についての二点だった。  ダイコンは古来霊力、魔力の源と信じられてきたという。ローマ時代には、アポロンの神殿に奉納され、ゲルマンのカール大帝はこれを薬用植物と見做《みな》し栽培を奨励している。日本ではすでに『古事記』の中に�オオネ�という名称で紹介されている。 �オオネ�はダイコンの栽培種で、�コホネ�と呼ばれる野生種も存在した。�コホネ�は野ダイコンとも呼ばれ、桜島大根など地方の在来種のルーツになっている。  在来種は日持ち、形などの問題もあって現在では流通に乗らず、作り続ける農家は少ない。それでも冷害などの影響で飢饉の多かった東北、信越地方には辛味大根の系統をはじめ、救荒作物としての一面を持ちながら、残っている品種がある。  またダイコンの薬効については、医学的に証明済みなのが成分のジアスターゼ。そのため消化器の不調、例えば胃炎、胃酸過多、便秘、つわり、麹《こうじ》類による食中毒などには効く。ただし風邪、凍傷、はしかの発疹《はつしん》、子宮|痙攣《けいれん》、百日咳《ひやくにちぜき》、喘息《ぜんそく》、やけど、咽頭炎《いんとうえん》、打撲傷、アルコール依存症に効くとされているのは、いい伝え、民間療法の一環だとしめくくった。  講演が終わると場内が明るくなって質疑応答の時間がもうけられた。わたしは挙手をし、司会者から許可されると立ち上がった。職業柄、この手の行為にためらいは感じない。質問をはじめた。 「在来種と薬効の因果関係について質問させていただきます。お話によりますと、医学が今日のようなものになる前から、ダイコンの薬効は経験的に確信されてきたわけですね。とすると伝承による民間療法の効能と、�コホネ�、野生在来種との間に因果関係はありませんか? つまり各地各様の�コホネ�にジアスターゼ以外の、あっと驚くような薬効が含まれていたんではないかという、勝手な推理なんです」 「なるほど面白いご指摘ですね」  新海龍之介は笑いを含んだ顔でなつかしそうにわたしを見つめた。わたしは従来温和な彼の顔がみごとに日焼けし、小柄な身体ががっちりした筋肉質に変身していることに気がついた。いかにも逞《たくま》しいフィールドワーカーそのもの。その彼は続ける。 「たしかにそれだと民間療法の効能が、科学による分析や医学的解明と一致しえないことの理由になりえます。ダイコン以外の野菜や植物についても応用できる名推理ではある。ただわたしは民間療法の根拠の一つに信奉があると思うんです。その点はそちらがご専門ではありませんか」  とわたしに振った後、 「皆さん、こちらは英陽女子大学の日下部|遼《りよう》先生。わたしとは大学の同期で同じ食文化のご専攻です」  と紹介した。 「いわゆる民俗宗教との関連ですね。イボ取りにはナスとイチジクが効くという類いの。これには呪術《じゆじゆつ》的な背景があって、イボにこすりつけたナスのへたを海へ流したり土中に埋めたりする、またイボ取り用のナスは盆棚に供えたものがいいとかのいい伝えが加味されている。ところでダイコンについてもこの手のものはあるんでしょうか?」  わたしは大学時代に書いた、いくつかのリポートのうちの一つを思い出しながら話をしていた。 「タブーと祀《まつ》りについてならご紹介できます。ダイコンの年取りという行事が日本全国にあるんですよ。行なわれるのは旧暦の十月十日。ダイコンはこの一晩で大きくなると信じられていて、生長する際のはぜる音を聞くと死ぬというもの、この日にダイコン畑に入ったり食べたりすると、ダイコンが腐ったり、自身にも疫病神がとりついて病気になるというもの、いろいろです」  そこで新海は言葉を切ってやや当惑げにわたしを見つめた。大学時代から彼は実証型の慎重派で通っており、推理などという直感を持ち出すことのあるわたしとは対照的だったのだ。 「畑に入るなというタブーは、栽培種のダイコンでも野生種の�コホネ�のように、自然の状態に放っておけという意味ではないんですか? あるいはそれが�コホネ�の育て方の基本だったとか。またそうしないと薬効のある、品質のいいダイコンはできないという戒めだったとは考えられませんか?」  わたしは追及した。苦笑いを浮かべた新海は首をかしげながら、 「そうですかね。わたしなど旨《うま》いダイコンが作りたかっただけだとつい思ってしまう。ただし日下部先生のご指摘は一理あります。昔は驚くほど医学が進歩していなかったわけですから。ダイコンと薬効、そして信奉が連鎖している話がありました」 「話してください」 「二股《ふたまた》ダイコンと大黒様の話です。これも全国にあります。十二月九、十日に最もできのいいダイコンを葉つきのまま大黒様に供えて、福を願う習慣です。これは娘が川でダイコンを洗っていた時に、餅を食べすぎた大黒様に二股ダイコンの片方を与えたところ、おおいに喜ばれたという。これは�大黒様の女迎え��大黒の嫁迎え�というバージョンで岩手県を中心に東北各地に伝承されている民話です。逆にダイコンを惜しんだ娘の話もあって、こちらの方は、洪水など罰を受けます。あと京都の鳴滝《なるたき》にある了徳寺《りようとくじ》ではやはり同じ月日に、ダイコンを大鍋《おおなべ》で煮込み、参詣者にふるまうという�ダイコン炊き�という行事がありますね。これを食べると中風《ちゆうぶう》にかからず、厄除《やくよ》けにもなるという」 「ダイコンを惜しんだ娘の受ける罰は、川の水が伝染源になる大型の疫病を想わせますね」  わたしは思いついた感想を口にした。 「こんな話もありますよ。上総《かずさ》地方のある村で昔、土地の鎮守様がダイコンにつまずいて転び、茶の木で眼を突いて独眼になった。以来その村ではダイコンは作らず、野生の自生種を見つけても大騒ぎし、村中でご祈祷《きとう》した。まさしくダイコンの祟《たた》りを怖れる話。推理派の日下部先生はこれをどう解かれます?」  かつての級友は軽口とともに、ちろりと舌を出して見せ茶目っ気を披露した。聴衆は立食のお預けを食わされているにもかかわらず、しんと静まりかえって聴きいっている。生来|生真面目《きまじめ》な彼は、自分の講演が興味深く受け入れられていることを実感し、やっと気持ちに余裕が出てきたのだろう。 「独断と偏見で解釈させていただくと、それは在来種�コホネ�の衰退話じゃないかな。何らかの理由で�コホネ�を作らなくなった、作れなくなった。そのどちらでもいい。しかしその後、同時に薬効も失ったわけで村人たちはおおいに難儀した。そこで自生種が神にまつりあげられたといういきさつ。これは医薬品不足の話です」 「なるほど面白い」  新海は満面に汗と笑みを浮かべて拍手をし、聴衆もそれに倣《なら》った。  それから十五分ほど遅れて立食パーティーがはじまった。講演を終えた新海は、ハンカチで流れ出る汗をふきながら、わたしに挨拶《あいさつ》に現われた。そして、 「しばらく。椎名先生から例の本のことは聞いている。よろしく頼むよ。それと、おかげでさっきは助かった。君の奇想天外な発言でおおいに盛り上がったからね。聴いてくれている人たちの熱気を感じた。ありがとう」といった。  わたしとしては、あながち奇抜な質問をしたという意識はなかったので、黙って苦笑した。新海がさっきのを聴衆受けのするショーだと見做《みな》していることに、多少だが抵抗を感じたのだ。不本意だった。だがそれとは別に、 「その�日本人の薬膳�なんだが、突然編者に任命されて右も左もわからない。第一、編者なんていう器でもない」  正直な思いを口にした。同期の新海が執筆する側で、わたしがそれにとやかくいう立場に置かれるのはおこがましい、そういう懸念もあるにはあった。本来同期は同格であるべきなのだ。  一方新海は、 「そんなことはない。君はアイヌ文化の講座をテレビ枠に持っていることだし、顔が売れていて女性に人気がある。何より大学の先生だ。さっきみたいな隠し技まである。僕としては何の異議も不思議もない」  相変わらずにこにこしながらさばさばといった。それから、 「悪い。いろいろまだあるんだ。いずれまた」  といい置いて、近くにいて待っている様子の幹部会員何人かの方へと歩いていった。  その後ろ姿をしばらく見つめていたわたしは、あることに気がついた。いい背広を着ている。仕立てがよく値が高そうだ。手入れの行き届いた長髪にはパーマがかけられている。趣味のいいネクタイ、カフス、驚いたことに小さなイニシャル型の金のピアス。  わたしの知っている新海龍之介は服装などのおしゃれにかまう男ではなかった。それに農業高校の実習に登場していた時のスライドを見たが、そちらの方はわたしの知っている彼だった。ジーンズ、だぼシャツ、ぼさぼさの雲脂《ふけ》だらけの長髪、下駄履き。  いつのまにああも変わってしまったのだろうか。それとも今日の晴れ舞台に念をいれてめかしこんできただけなのか。  わたしがそれにこだわったのは、何年ぶりかで会った彼にどことなくよそよそしさを感じたからだった。浴びせかけてくるようなわたしへの賛辞も笑顔も作り物めいていたような——。友達のものではない、単なる便宜的な社交辞令の集中砲火にあったような気がしたのだ。  そのうちにそんなことはどうでもいいことだと、自分にいい聞かせた。さらに水野のことといい、この件といい、相手についてこだわりすぎる性格はよろしくないと自分を叱《しか》った。  それで気分を一新させるべく、立食に立ち向かうことにした。長蛇の列ができている。  わたしは和食を敬遠して洋食と中華、エスニックを専門にすることにした。これらのコーナーは空いていた。  食後のコーヒーを飲んでいると、いつのまにか、正面のマイクの前に司会者が立っていた。マイクのスイッチが入る。物慣れた様子と音量で絵島郁子副会長の挨拶が告げられる。  そして隣接した円テーブルから白いドレスの背の高い痩《や》せた女性がついと立った。背筋をぴんと伸ばし、わたしへ向かって大げさな笑みをこぼしながら、マイクのある位置へと歩いていく。スリットの入ったスカートから形のいい長い足がこぼれ出る。  あでやかそのもの。白い衣装のせいもあったが、胡蝶蘭に似ているのは目や化粧だけではなく、その全身なのだとわたしは思った。    四  絵島郁子の姿はマイクを握らせると胡蝶蘭から白い孔雀《くじやく》に変わった。一瞬わたしに向けられていた笑みが場内の会員全員に惜しみなく注がれる。ただしその目は見開いた人形のそれのように硬質で無機的だった。  わたしは七十近い彼女が年をとらない理由がわかったような気がした。もちろんダイエットや健康管理、美容面での留意などの身体的ケアは完璧《かんぺき》にちがいない。だが決定的な老け予防は精神の在り方と関係がある。徹底した冷酷さ、同情心のなさ、金欲、性欲などの我欲、ありとあらゆる自己愛の要素が彼女の若さに加担している。もっともそれらは若者なら誰でも過剰に持ち合わせやすいもので、また絵島郁子の人気が老若男女を問わず高いのは、彼女のような形の若さを望む老人たちも多いということになる。 「よろしいでしょうか」  挨拶を終えた絵島郁子はわたしのテーブルを訪れた。 「ご挨拶遅れました。日下部です」  わたしはまずすでに彼女も聞き及んでいるはずの、�日本人の薬膳�の編者交代の話をした。 「椎名先生にはわたしのブランドの病人食を届けさせていただいていますのよ。病院の食事は味気ないものでしょうし、先生はグルメでいらっしゃるから」  絵島郁子はそういいながらドレスと同色の白い羽のついた扇子を広げた。 「病人食も製造しておられるんですか」  わたしは絵島郁子の特許といえば、ダイエット食品と美容関係だと思いこんでいたのだ。これで絵島郁子が、食文化のオーソリティーである恩師に接近した理由がよくのみこめた。椎名一郎もいっていた通り自社製品の権威づけのため。手段選ばず。 「ええ。自宅療養ができる生活習慣病が主ですけどね。一番多く出るのが総カロリーを控える糖尿病食、次にコレステロールを制限する高脂血症。椎名先生と同じ胆石症のメニューは脂肪厳禁ですし、痛風は動物性たんぱくに留意が必要。もっとも病人食の開発はうちがはじめてではありませんのよ。毎日人数分の材料と作り方を宅配するシステムはもうずいぶん前からありますでしょ。遅れてはじめたうちは大手のそのシステムに対抗してるんですのよ。うちのは少々お高いけれど全品レトルト処理で作る手間いらず、それに何より素材がよくて美味しいということでブレイクしてますの。お食事は日に三度もございますもの。人間の生きがいでしょ。だからやっぱり美味しくないと。そう思われません?」  そこで絵島郁子はしたり顔になった。 「ところでそうした病人食と、ご飯と一緒にこれを食べてさえいれば痩せるとかいう、特効薬めいた自然食品を使ったダイエット食とはどうちがうんですか?」  気になっていたのはその点だった。ところが、 「そうですね。ダイエット食にもっとも近いのは糖尿病食でしょうか。文明国の生活習慣病はどれもたいていは食べ過ぎ、肥満が原因でございましょ。ですからダイエット食は生活習慣病の予防食といえますのよ」  と曖昧《あいまい》に答えた。その上、 「しかしダイエットという言葉はもともとは医学用語ですよ。治療の一ジャンルのはずです」  と反撃しかけたとたん、 「今日はわたくし、ほんとうに胸どきどきでございますのよ。こうしていてもねえ、そうなんですの。だってあのテレビの画面でしかお会いできなかった、ハンサムな日下部遼先生にお目にかかっているわけでしょ。そしてご本の編者としておつきあいもいただける。ご病気になられた椎名先生には申しわけないいい方でしょうけれども、まさに怪我《けが》の功名」  と世辞を繰り出して矛先を変えた。 「ところで先生、おそばに興味はおありになりません?」  和食のコーナーに視線を走らせた。そこにはまだ人の列ができている。わたしは最初から人気過多でこみあう和食を敬遠した旨を伝えた。 「それはいけませんわ。だって大根料理と日本人、和食は切っても切れない縁じゃありません? どうかおそばだけでも召し上がってみてくださいな。今日のは辛味大根のおろしそばなんですけどね、普通の大根おろしに松館《まつだて》しぼり大根のしぼり汁をブレンドしてあるんです。松館しぼり大根は新海先生のご推薦」 「ほう」  そういわれてわたしは手元の資料に目を落とした。  松館しぼり大根についての記載を読んだ。秋田県|鹿角《かづの》市松館集落で栽培されているもので、ここでしか作られない。土壌と気候の関係で、ここ以外のところで作ると辛くならないと書かれている。このしぼり汁の辛さは絶品で独特の風味もあり、二日酔いの特効薬とされている。そばの他に湯豆腐や野菜のおひたし、イカの刺身などのタレに使用される。 「いいですね」  食いしん坊のわたしは思わずため息をつきかけた。ここで食べておかないと終生出会えない味かもしれない。 「でしょう。ほらほらやっと来たわ」  うんうんとうなずいた絵島郁子は、ビュッフェカウンターの後ろにある従業員専用の扉を見つめた。ボーイが何人かで大きなトレーを何枚も運びこんでいるところだった。ステンレス製のそのトレーの上には、おろしそばを盛った和食器が並べられていた。 「やれやれ、ゆでたてが命の人気商品なので、予約制になってしまっているんですよ。でも大丈夫。わたしのテーブルの皆さんの分は確保してあるから。十人分。テーブルのメンバーは九人ですから一人分余る。待っていらして。今持ってきてさしあげますから」  絵島郁子は立ち上がり、ほどなく盛りつけられた辛味おろしそばと箸《はし》をわたしの前に置いた。 「わたしもご一緒させていただきたいわ」 「どうぞ」  そこでわたしたちはともに箸をとりあげた。だが、一口そばをすすりこみかけたとたん、ある種の苦みがわたしの舌に絡みついてきた。それは辛味に隠れてはいるが、まったく別種の違和感だった。風味とも香味とももちろん旨味《うまみ》ともちがう。  わたしは危険を感じた。絵島郁子以下、他にそばを食べている人たちの様子を観察した。美味しそうに食べ続けている。わたしは改めて、自分の嗅覚《きゆうかく》が人並み外れていることを認識した。  そのままわたしは立ち上がり、トイレへ急いだ。  運よくトイレは会場と同じフロアーにあった。口の中のものを吐き出してすすぎ、廊下に出ると会場の扉へと走っていく黒服のマネージャーたちの姿があった。 「いそいで」 「病人?」 「いや、食物」  などという切れ切れの言葉が聞こえた。彼らはただならぬ雰囲気を漂わせている。  わたしも会場に急いだ。扉の前に立つと内側から勢いよく開いた。 「どいてくれ」  邪険にいわれた。上等のダブルの背広を着込んだ恰幅《かつぷく》のいい紳士で、年齢は五十代後半。やや顔色が青ざめていた。 「至急タクシーを呼んでくれ」  ボーイの一人に怒鳴るようにいった。 「はい」  いわれた若い彼は急いで廊下に出て走りかける。 「待ちなさい」  わたしは引き止めた。  すでに会場の様子は眼中に入っていた。何人かの人がかたまって苦しんでいる。それを他の百人近い会員が遠巻きに引いて見つめていた。ビュッフェのカウンターには給仕人も群がる客の姿もなかった。  もがくように腹部を押さえて苦しんでいるのは、わたしが座っていた最前列の隣りのテーブルの人たちだった。八人。絵島郁子一人、ぽつんと離れてわたしのいたテーブルにつっぷしている。  新海龍之介はすでに床の上に倒れていた。わたしは彼にかけよる前に、 「救急車は?」  とやや年配の黒服に聞いた。 「手配済みです」 「警察へは?」 「いや、まだです。まだ何が起こったのか——」  そこで相手はうろたえた。するとまた、 「何が起こったかって? 食中毒に決まってるじゃないか。みんなそばを食べてからおかしくなったんだ。俺《おれ》は病院へ行く。救急車なんて待ってはおれない。車を早くしてくれ」  ダブルの背広の紳士ががなりたてた。  わたしは、 「今、救急車が来ます」  と身勝手な紳士にいい、それからマネージャーの方を向いて、 「至急警察も呼んでください。警視庁捜査一課の水野薫という刑事が知り合いです」  といった。不服そうな紳士には、 「お見かけしたところあなたはそれほど重症ではない。ここに残って警察の判断に従うべきです」  とだめ押しをすると、相手は険悪な表情でにらみつけてきた。もちろんわたしは無視し、会場の奥まった一角へと急いだ。新海龍之介が倒れている場所へと走っていく。 「食中毒?」 「伝染病ですか?」 「わたしも気持ちが悪くなってきた」 「ああ、吐き気」  そんな言葉がとりまいている会員たちから口々に発せられた。そして彼らはどよどよとどよめきながら、出入り口の方へと移動していく。  わたしは倒れている友人を抱き起こした。名前を呼んだが反応はなかった。息はしているが意識はすでにない。彼の背広も近くの床も汚れておらず、周囲に吐いた形跡はなかった。 「とにかく吐いて」  わたしは身体を折って苦しんでいる人たちに向かって大声を出した。嘔吐《おうと》を助けるために、一人一人背後にまわって背中をさすり続ける。 「お医者さんですか?」  マネージャーに聞かれた。 「ああ」  わたしは否定しなかった。わたしのこうした心得は、フィールドワークで未開を含む野外を旅することが多いからだった。もとより医学は不案内。だが今ここで苦しんでいる人たちにとって、わたしが医療関係者であった方がいいだろう。心強いにちがいない。 「吐くんだ。吐かなきゃだめだ」  ハンカチを口に押しあて、椅子《いす》に座って耐えていた若い女性が床の上に崩れ落ちた。わたしはそこへ飛んでいって言葉をかけ、背中を押しかけて気がつく。新海同様すでに意識を失っていた。昏睡《こんすい》状態で嘔吐すると気道に詰まって窒息死する恐れがないだろうか。そこでわたしは彼女を静かに横たえて、声を張り上げた。 「重症の人が二人。救急車はまだですか?」  それから救急車の到着までどのくらいかかったろうか。おそらく十分とはかかっていなかったはずだ。だがわたしにはその十分が救いようのない、恐ろしく長い時間に感じられた。背広を脱いで奮戦していたわたしは、気がつくと全身汗だくになり、嘔吐物の臭いにまみれていた。  やがて救急車と警察がほとんど同時ぐらいにやってきた。黒いエナメルのダスターコートを無造作に羽織った水野の姿が目に入った。悪臭と惨状に耐えかねているのだろう。口をへの字に結んでいる。にこりともせずに、吐瀉物《としやぶつ》に取り組んでいる鑑識の指揮をとりはじめた。わたしの方へはちらりと一瞥《いちべつ》を投げただけだった。  一方病人は次々に担架で運び出されていく。わたしは見守り続け、九人目の例の紳士がよろめきもせずに救急車に乗っていくのに続いた。 「そばは変な味がしてね。一口でやめた」  彼はいぶかしげな救急隊員の視線に耐えかねたのか、そういった。救急隊員は彼の手首を取り脈を確かめたが、異状はないのだろう、すぐにその手を離した。一方の紳士は乗り込むために後ろに並んでいたわたしを振りかえる。 「あんたもか。あんた、医者なんだろう?」  聞かれた。わたしは首を振り、 「申しわけないけれどにわかにせ医者です。実はわたしもそばを食べかけました。すぐに吐き出したので大事にはいたっていませんが」  と紳士にではなく救急隊員に報告した。うなずいた相手は脈さえみようとはしなかった。  収容された大学病院ではおよそ半日個室に置かれた。容体に急変があってはというはからいであった。わたしは吐き出したと主張したが、唾液《だえき》内に微量が残っている恐れもあるのだと説得された。その間飲まず食わずで、検査やら点滴やらとひっきりなしに医師や看護婦が訪れてきた。  水野がやってきたのは深夜遅くだった。手にコンビニ弁当を二つぶらさげている。 「先生に聞いたらあなたはもう何を食べてもいい状態だっていうから。ひどい人たちは食べられないし、そこそこの被害の人たちでも食べることが急性のトラウマになっていて、受けつけない。点滴で凌《しの》ぐしかない状態の人が多いようよ」  もともとわたしはそばを胃に送り込んでいない。だから健康そのもの。ひたすら空腹が続いていた。それで早速差し出された変哲のないハンバーグ弁当に舌つづみを打った。 「夕刊にも出ているけれど、亡くなった人がいる。二人」  水野は声をひそめた。もとよりここには新聞など配達されてくるはずもなかった。 「新海龍之介と若い女性?」 「そう」  水野の声がいっそう低まった。  わたしは箸を止めた。もしやとは思っていただけにショックだった。一瞬にして食欲が失われる。 「亡くなったのは、砒素《ひそ》が含まれていたのが麺《めん》ではなく、大根おろしの中だったことね。内臓への吸収が速かった」 「食中毒ではなかった?」 「ええ。もう吐瀉物は砒素だらけ。この毒物は無味無臭とはいえ多少苦みはある。でも大根おろしの辛味にまぎれて気がつかない人が多かった。変だと感じたのは一番早かったのがあなた、日下部遼、次に一口食べただけの竹内武志《たけうちたけし》さん。食べるのをやめた順に症状は軽い。自分が推薦した松館しぼり大根を使ったものだからと、勢いこんで汁まですすった新海龍之介さん、出雲《いずも》そばが何より好物だったそば好きの女子大生、三浦紗織《みうらさおり》さんは気の毒なことになってしまった」 「絵島郁子女史は?」  彼女については背中をさすっている時、 「助けて」  というかなきり声とともに突然、左手首をつかまれたのを覚えている。  後でその手首を見てみると青いあざに変色していた。まさしく生へのすさまじい執着だった。 「彼女は半分ほどで食べるのをやめたので砒素の体内摂取量はさほどでもない。ただあの通りお年でしょう。肝臓の解毒作用は思うにまかせずという状態。それより彼女の場合、精神状態が悪いそうよ。錯乱状態というかヒステリーというか——」  やれやれやっぱりとは思ったが、口には出さなかった。 「あとの人たちは?」  わたしは自分が介抱した人たちでもあるだけに、容体が気にかかった。  以下は水野が話してくれた被害者の容体である。  ・死亡 新海龍之介(35歳、県立農業高校勤務) 三浦紗織(20歳、私立女子大二年生)  ・重度中毒 椙山英次《すぎやまえいじ》(34歳、山野書房勤務) 絵島郁子(69歳、フードコーディネーター)  ・中度中毒 赤石真澄《あかいしますみ》(55歳、テレビキャスター、女優) 木下雅敏《きのしたまさとし》(29歳、ホスト)  ・軽度中毒 内藤さやか(20歳、私立女子大二年生) 白土三津子《しらとみつこ》(20歳、看護大学生) 竹内武志(59歳、旅行会社役員)  ・その他 日下部遼(35歳、英陽女子大勤務) 「それでね」  水野は食べ終わった弁当の箱を片付けながら、わたしを見つめて一瞬|怯《ひる》み、やがて思いきったように口を開いた。 「ここであなた一人、中毒になっていない。これがちょっと問題になっているのよ」    五 「僕に嫌疑が?」  いわれたわたしはいささかうんざりした気分になった。幸か不幸か、以前にもわたしは事件の現場に居合わせたことが何度かあり、そのたびに警察の取り調べを受ける羽目になっていたからだった。 「被害にあった人を助けていた人物を疑うのはどうかと思うけれど」  と水野はとりなすようにいってから、 「つまり最近は、自作自演の犯人というのが増えてきているのよ。例えば自らレイプして殺害遺棄した幼女の捜索隊に加わる犯人とかね。ただしあなたの場合、救いはあった。辛味大根おろしが十人分のおろし金を使って作られたのは調理場で、砒素はその直後混入されたものと見做《みな》されている。容器からも砒素が検出されているから。その間あなたは会場にいたでしょう。実行犯にはなりえないというわけ」  やれやれという顔になった。そこまで捜査が行き着くのに時間がかかり、混迷を極めたのだろう。 「ということは犯人は調理場に出入り可能な人間?」 「そう。それでまずシェフ以下のスタッフを調べたわ。父親、兄弟姉妹の職業を含む家庭環境を主に趣味にいたるまであますところなくね。どこかに砒素の臭いがしないか。砒素はそう簡単に入手できるものじゃないから。それと調理場は手術室や実験室とちがうから、わりに人の出入りは自由だということがわかった。ホテルの従業員の制服さえ着ていれば誰でも出入りできた」 「使用された砒素の純度は?」  通常わたしたちが砒素と呼んでいる猛毒は、正確にいうなら砒素化合物。使用目的によって純度は異なるはずだ。 「塗料や害虫、ネズミ駆除などに使われるものより高い純度。ある種の薬理用のものである可能性が高い。これは一般人にはそう簡単に手に入らないわよ」 「すると実験室関係の人間?」  わたしは思いつきを口にしながら苦笑いを浮かべていた。わたしの勤める大学は女子大だが、生理学や生物学、化学の実験室ならある。しかもそれらはどれもわたしの研究室からそうは遠くない。こうした施設の薬品管理は劇物も含めてやや杜撰《ずさん》のそしりは免れえない。わたしが入手できる人物の一人だともくされてもしかたはなかった。 「まあね。あと医療関係者。その線で調理関係のスタッフ全員の周辺を当たったけれど、該当するものはいなかった。だから網を広げた。でもそうなるともっと手がかりは薄い。いちがいに実験、医療関係者といってもね」  そこで水野は深いため息をつきかけた。 「最前列右手のテーブルに座っていた九人が砒素の入ったそばを食べた。あと隣りのテーブルにいた僕。予約していた辛味おろしそばは十人前。これは犯人の意志と関係があるだろうか?」  実はわたしはこれが聞きたかった。 「犯人ははじめから被害者を特定して絞りこんでいたかということ?」 「そう。辛味おろしそばを十人分予約した当人のことも気にかかる」 「それなら亡くなった新海龍之介さん。自分の故郷である東北の在来種の味をぜひにと、同じテーブルの人たちに勧めたということよ。カウンターの給仕係にかけあっていの一番に予約を取り付けたのも彼」 「僕は受付で来賓席へどうぞといわれてその隣りのテーブルに座った。ところがそこはスライドの装置が置かれていた関係で名札は僕一人だけ。被害者たちのテーブルの名札には何か意味があった?」 「知人、友人の集まりだったかどうか、ということ?」 「少なくとも椙山英次と絵島郁子、新海龍之介は知り合いだったと思う」  今回重度の中毒に冒された椙山英次の勤める山野書房は、椎名一郎に代わってわたしが編者をつとめる本の出版元であった。その彼と絵島、新海の両氏が同席していたということは、すでに人間関係が成立していたと考えるべきだろう。 「椙山氏のいい分ではパーティーの後、あなたを誘って四人で顔合わせの会を持つ予定だったそうよ。本来ならテーブルは別にしたくなかったといっていた」 「そこがわからないんだ。どうして僕だけ離れて座らされたか——」 「その意味は特にないんだと別の幹事がいっていたわ。会場の全名札は深い考えもなく適当に並べただけだと。つまりあのテーブルは映画館と同じよ。友人同士もいれば一人で来たお客もいる。亡くなった三浦紗織と内藤さやかは同じ女子大の学生だった。誘いあって来たのね。あとはまだわからない。あとの絵島、椙山、新海以外のメンバーは一人で参加したといっている。どちらにせよ、主催者側の意図はないの。あそこに座って被害にあったのは偶然だし、あなたがあそこに座らなかったのは九席で席が足りなかった。ただそれだけのことよ」  そうだろうかという思いは残ったが口には出さなかった。 「それより別の事件のことで相談に乗ってほしいのよ」  水野はいつもの缶コーヒーではなく、健康飲料といわれているブレンド茶の缶のふたを開けた。その一瞬、身体にいい料理を教えてくれといったメールの言葉が頭に浮かんだ。コンビニ弁当持参はいただけないが、多少まだ健康志向への情熱は残っているようだ。だがこれも口にしなかった。いずれ彼女が話してくれるまで待つつもりだった。話してくれなかったら、それはそれで仕方がないことなのだ。 「急性骨髄性白血病の若い女性が移植手術を前に病院から失踪《しつそう》した事件」  これは水野が意味不明の休暇をとった折、故郷で遭遇した事件だった。 「死体が東京郊外にある焼却炉のゴミ置き場から発見された。今から見てほしいのはその死体なの」  水野はぐいとブレンド茶を飲み干して立ち上がった。ドアの外へと消える。靴音はドアの前で止まっている。躊躇《ちゆうちよ》したが彼女に協力することにした。抜け出した病院には朝までに戻ればいいだろう。着替えをして水野に同行した。  一番車が少ない時間帯である。水野の運転する車は滑るように都心部を抜けていく。闇が後ろへ跳ね上がり襲いかかってくる。わたしはふと、あの夢のことを思い出していた。やはり水野と同乗していた、近づいてくる山肌の様子を。凍り付きながら赤く震えていた不気味な肉塊を——。だが不吉ではあったが、不思議に恐怖は感じなかった。ただ自分と彼女との運命を強く感じた。  警察車で行き着いたのは、埼玉県にある中程度の都市の警察署であった。深夜のこととて詰めている係の人間の数は少ない。例によって仏頂面の彼女はわたしを従えながら、そそくさと受付を通り抜け、地下へと続くエレベーターに乗った。 「二十四歳の彼女は三人姉妹の末っ子。外大のイタリア語科を出た新進の翻訳家。突然の発病に死ぬほど苦しんだのは愛情深い両親の方だったといえる。それから白血球の適合者が出てきてまだ生きられるとわかった時、当人より喜んだのも親や姉妹たちだった。そしてこんな形で失踪の謎《なぞ》がとけた時、狂気といっていい悲しみに襲われたのも家族の人たち。変死解剖を阻止しようとした。でもこれは義務よ。変死である以上、誰もが免れることなどできない。脳をも含む内臓のすべてがつかみ出されて傷害、病変の有無が確かめられ、計測される。今まで当然のことだと思っていたわ。でも今回ばかりはどんなものだろうかとわたしは思った」  中で水野はしんみりといった。  目的の霊安室に入ると棺と花束が置かれ、灯明の下に紫色の線香の煙がゆらいでいた。 「だからわたしはぜひとも、この犯人は挙げなくてはならないと思う」  水野はきっと唇を噛《か》み締めた。  棺が開けられ、花柄のパジャマ姿の若い女性の死体が現われた。わたしは思わず目をそむけた。食道と気管が切断され、耳から耳まで喉《のど》がぱっくり開いている。水野は黙って死者の前開きになっているパジャマのボタンを外した。乳房を囲む刺し傷があり、腹部はU字型に切り裂かれている。中の組織が見え隠れしていた。 「司法解剖は終わっているけど、まさかこの通りにメスを入れたわけではないのよ」 「犯人の仕業《しわざ》?」 「ええ。ただし死因はこれらの刺傷ではないの。こうした残虐な犯行は死後行なわれたものだとわかっている。失血死にはちがいないけれどそれが行なわれたのはここからなのよ」  そこで水野は死体の両腕にある無数の注射|痕《こん》をわたしに見せた。 「つまり被害者は短期間の間にすっかり血を抜かれて死にいたったのよ」  それからさらに彼女は死体をうつぶせにして、ズボンを下げ骨髄のある場所を剥き出しにした。そこには深い切り傷がぱっくりと開いていて周辺の白い骨組織が見えた。 「これも死後行なわれたもの。白血病の源だった骨髄の部分が削りとられて縫合されていた。あなたに聞きたいのは、こうした手口に何の意味があるのかということ」  水野は鋭い目でわたしを見据えた。文化人類学者であるわたしに彼女が聞きたいとなれば、こうした犯行の動機に何らかの宗教とか儀式とかが託されていないかということになる。 「以前アラブのある国でこれとよく似た事件が起きたと聞いたことがある。犯人はユダヤ教の熱狂的な信者だった。この宗教の儀式に供されるのは普通羊や鶏などの動物。逆さに吊《つ》るされて血を抜きとられる。しかしもっとさかのぼれば、人間も同様にいけにえになっていた可能性はある」  わたしは被害者の無残な切断面を見つめていた。 「その場合はやはり目的は神との共食?」  水野が聞いてきた。以前わたしたちは人肉共食にこだわった犯人と犯罪に関わったことがあったからだ。わたしが答えを渋っていると、 「でもこの犯人の目的は共食じゃないわ。注射器で血を抜き続けたり、病んだ骨髄を取り出してみたのは何の意味があったのかしら?」  水野は答えを探しながら首をかしげた。 「骨髄は造血器だからこれも含めて犯人は血に魅せられていた。これは確かだ」  わたしは忌まわしい気分になっていた。 「血に魅せられる? それじゃ、まるで吸血鬼じゃないの」  相手はぷっと頬《ほお》を膨らませた。彼女は常日頃から超現実的な出来事を、その信奉者をもひっくるめて怪しんでいる。 「そう。ここで一つ吸血鬼について考えてみるのもいいかもしれない」  わたしは提案した。先を続けた。 「欧米では広く知られているドラキュラ伯爵の話だけが吸血鬼伝説ではないんだ。ヨーロッパ全土にこの恐怖は語りつがれてきた。考えられる理由の一つが特効薬としての血液。血を使ったソーセージの類《たぐ》いがあるのは知っているね」 「血が特効薬だという考えは日本にもあるわね。すっぽんの血が代表的。あと母方の祖母は鯉の血に執着がある人で、夏休みに遊びに行くと夏負け防止といわれて飲まされた。生臭くて閉口」 「強壮薬としての鯉の血へのこだわりは、かつて河川に恵まれた日本全域にあったこだわりなんじゃないかと思う。変わっているのは宮崎県に残っている猪の血を飲む習慣。これは捕獲したばかりの猪を解体しながら、猟師たちがその血を椀《わん》や弁当箱で受けて飲むというもの。これは血に滋養があるというメリットを踏まえた、山の神への謝意でもあるらしい」 「犯人の血への執着について。あなたのは�血は医食同源の薬膳《やくぜん》である�という考え方ね。それゆえのこだわり」 「もっともモンテスパン夫人などが首謀者となったルイ十四世時代の、赤子の血肉を捧《ささ》げる呪《のろ》いの黒ミサや、幼児を虐待して血をすすった、元十字軍の英雄ジル・ド・レエ、処女の血で満たされたバスタブにつかったという中世北ヨーロッパの名門貴婦人エリザベート・バートリの例はある。こうした狂気の人たちの血に対する執着は医食同源の域を逸脱している。これらは正直いって僕にはわからない。ただし犯人の異常な心理とクロスするところはあるかもしれない」 「そうなのよ」  水野はうなずいた。続ける。 「ある種の快楽殺人者は被害者の顔、性器、乳房などを切断したり、切り裂いた腹部に射精するなどという性的行為の他に、放尿、脱糞《だつぷん》、内臓の摘出、それに血をすするという行為をする。サクラメントの吸血鬼といわれた若い男チャード・T・チェイスは、�自分の体の血が粉になるのを防ぐ�ために、被害者の血液と臓器をミキサーにかけて現場で飲んでいた」 「自分の体のために血を飲んでいたというのは、粉になる病気そのものが妄想とはいえ、犯人側の意識としては癒《いや》しといえないことはない。エリザベート・バートリの目的は若返りでもあった。黒ミサのモンテスパン夫人やジル・ド・レエにも、それなりの癒しへの欲求があったのかもしれない」 「快楽殺人と癒しは無関係ではないと?」  水野はさすがに呆《あき》れた顔でわたしを見た。 「かつて困窮者でもあった一般庶民の癒しは医食同源だった。それだけでことたりた。充足できた。快楽殺人による癒しなどは富める者、貴族の特権だったにちがいない。性と食はともに生に直結しているが、貧困は生命維持としての生しか実感させてくれないものだからね。ところが文明化に伴う物質的に富める生活がこの図式を変えた。この現代、誰もが性と食の快楽によって癒されたがっているのでは? そしてこの性と食を同時に堪能できる行為が快楽殺人だとしたら?」  わたしはそこで言葉を切り、水野は黙ってうなずいた。  そしてわたしたちはともに再び目の前の死者を見つめた。そして、 「としてもわからないのはこの注射器の痕《あと》なのよ。これも犯人の快楽? 犯人の調理の趣味はナイフの代わりに注射器使用だったというわけ? それから骨髄はそんなに美味しいの? どちらも変わった趣味ね。これらも現代?」  と水野が乾いた声を出した。    六  それからわたしたちは署を出て、近くにある深夜営業のファミリーレストランに落ち着いた。二人とも苦みばかり強い泥のようなコーヒーを注文。わたしはあんな死体を目にした後ではとうてい眠れそうになかった。そんな時は精一杯|覚醒《かくせい》して誰かと話をし続けるのも手かもしれなかった。おそらく水野も同じ気持ちなのだろう。  一方彼女は霜のついたチーズケーキを追加した。傍若無人な選択とはいえ相変わらず旺盛《おうせい》な食欲だ。そして気がつくとどちらからともなく、辛味おろしそばへの砒素《ひそ》混入事件についての話に移っていた。 「捜査一課の方針は例によって徹底した現場検証を行なって、物的証拠と状況証拠をできうる限り集める。そこから犯人を割り出す方法。手がたい手法だけどどうかしら? まずはこんな事件を引き起こす犯人像を想定してみるのも一案だと、わたしは思う。プロファイリングを一部のマスコミ報道やテレビドラマにまかせておくのも考えものよ。興味本位で的外れなものが多く、一般の人がこの手の事件についてまちがった認識を抱きかねない——」  水野は思案深げにいった。 「この事件で君の描く犯人像は?」  わたしはこれも聞きたかった。 「これは毒殺と大量殺人のミックスした犯罪だという前提が必要。それには亡くなった新海さんと女子大生の二人をねらったものではないとする確証がいる。これは八割方容器などの物証でクリアできている。調理場のボールに残っていた大根おろしの砒素と、各々の容器の残留砒素とは濃度がぴったり一致したの。二人の容器に残っていた大根おろしにだけ、多量の砒素が混入されていた形跡はなかった」 「すると大量毒殺犯は何が目的だったのだろう?」 「悪意の発散あるいは快楽。一番わかりやすいのは、犯人は個人的に多大なストレスを抱えているという考え方。さらにわかりやすくその内容を想定すると、借金苦、失恋、リストラ、職場内いじめなど。くさくさした面白くない気分の憂さ晴らしがこれ」  そこで水野は両手の平を外へ向かって突き出すように広げ、苦笑して見せた。 「どこかちがうな。そういう種類のストレスを抱えた輩《やから》のすべてが、大量毒殺をしでかすとは考えられない。ただしこれはワイドショーの視聴者にはわかりやすい説明かもしれない」 「なのよね。わたし流の説明をさせていただくと、大量毒殺犯にはまず、根深いコンプレックスがあると思う。容姿とか能力的なものとか、あるいは両親の愛情が充分でなかったとかね。そこに誰の身にもふりかかりかねない現代社会のストレスが加わる。それで暴発」 「それだとまだコンプレックスにどうしてストレスが引火したか、ぴんとこない」  わたしは苦情をいった。 「コンプレックスとは性的なものの象徴。フロイトよ。子供時代の愛の実感は接触愛で、それが満たされなかった人間は成長しても何らかのコンプレックスを持つ。特に個人の利害や政治的な陰謀などとは無縁な毒殺犯、試しに家族や友達に薬を使ってみたという手合いにはこの傾向が強い。この手の毒殺犯には未熟な子供や世間知らずの主婦などが多い」 「つまり大量毒殺とはコンプレックスから生じた癒し、快楽殺人だというわけか」 「そうもいえるわ。大量毒殺犯は被害者たちが毒で苦しむ姿を見るのが何より楽しいらしいから。ここでの大量とは無差別の意味も合わせ持つわね。犯人にとって被害者は誰でもいいのよ。とにかく苦しみにのたうちまわる姿がたまらないの。犯人は苦しみ、命の破壊の狩人。ダイレクトな快楽殺人と共通しているサディズムの持ち主」 「なるほど」  納得はしたが重い気持ちにもなった。水野は察したのだろう、 「でもこういう人間の話をすると、たいていの人はこちらの常軌を疑うものなの。こんな人間はモンスターだというわけね。さっきいったマスコミやテレビの弊害というのはこうした点なのよ。大量毒殺犯や快楽殺人者はめったにいない。ただしメディアの想像の範疇《はんちゆう》にいるのではなく、現代人の生活の場にいる隣人なのよ」  といった。  事件から約一ヵ月近くが流れた。季節は梅雨半ばである。北海道育ちのわたしは湿度の多い毎日が苦手だった。たいていのハーブ類も同様なので、わたしのガーデニングはこの時期小休止という状況におかれる。雨が続くと楽しみの水やりから疎外される日々となった。  研究日、わたしの梅雨食でもあるそうめんで昼食をとって、外出の支度をしていると電話が鳴った。  水野からである。彼女は事件について、解決とはほど遠い捜査の状況を伝えてきた。 「わかったのは被害者の人間関係だけね。死亡した女子大生の三浦紗織と同行していた内藤さやかには、さらなる連れがいた。ホストの木下雅敏よ。赤坂でホストをしている御仁。このパーティーのチケットを入手したのは内藤さやかで二人を誘ったのも彼女。それからテレビキャスター、女優の赤石真澄と旅行会社オーナーの竹内武志は愛人関係。特にこのガードは固くて苦労したわ」  とまずいった。 「あと絵島郁子、椙山英次、新海龍之介、僕の四人で一括《ひとくく》り。�日本人の薬膳�グループ。グループに属さないのは一人だけ」 「看護学生の白土三津子さん。それで彼女を除く各グループの人間関係に、さらなる捜査のメスを加えることになったの」 「やれやれ」 「心配しないで。�日本人の薬膳�グループの担当はわたしだから。ただし絵島郁子はなかなか手ごわい」 「彼女にはもう会った?」 「ええ。昨日病院でね。三回目。まだ入院している。もっともあと数日で退院というところらしいけれど、いきなり自分は犯人じゃないっていきりたつし、弁護士を呼ぶだの、警察への不平不満をわめきちらす。かなわないわ」 「へえ、君でもそんなことがあるのか」 「感情的でエキセントリックな老女には弱いのよ」 「山野書房の椙山さんには?」 「やはり三回目。こちらの方はいつも山野書房の弁護士が同席している。弁護士の話をしながら一向に呼ばない絵島さんとは対照的。冷静沈着で、相手の立場への思いやりまであるいい人ね。ちょっと印象があなたに似ているわ」 「山野書房の出版物は学術物が多いし、編集者も、大学院に進もうか就職しようかと迷ってけっきょくここに決めたという人が結構いる」  わたしは山野書房とははじめてのつきあいだが、その評判は椎名一郎からよく聞いていたのだ。  電話を切ったわたしは赤坂にある山野書房へと向かった。三日ほど前に椙山英次から直接電話があって、自分はすでに十日前から出社していること、ぜひとも�日本人の薬膳�の完成、上梓《じようし》へ向けて全力を傾けたい、ひいては協力してほしいという内容だった。決められた日に社まで出向くのは、絵島郁子を交えての編集会議が開かれるからであった。 「新海君のパートはどうします? 執筆者はどなたか別の方を考えておられますか? 椎名先生にはご相談されました?」  その際わたしは気になっていたことを確かめた。 「椎名先生のコメントはすべて日下部先生に一任したいということでした。できれば先生が引き継がれるのがベストだと、わたしは思います」 「そういうお考えもあるとは思いますが」  わたしはいったが同意はしなかった。そう簡単に引き継ぎができるとは考えにくかったからである。わたしは新海龍之介のように、何年もかけて野菜と土壌の関係を研究してきたわけではないのだ。すると相手は、 「引き継ぐのではなく先生独自の切り口で臨まれるという案もあります」  といい募ってきた。 「いや」  わたしは咄嗟《とつさ》にその案を退けた。そして、 「お引き受けするのなら、彼が成そうとして成しえなかったことで、お手伝いさせていただくつもりです」  といい切っていた。その時はじめてわたしは、かつてのクラスメートの不慮の死が、自分の胸の中に鋭く深く突きささっていることに気がついた。  わたしは彼の死を悼む意味でもこの仕事を続けなければならない。わたしにはきっと、この困難なテーマの出版をやりとげる使命があるにちがいない。  地下鉄の赤坂駅に着くとそこから霧雨の中を歩いた。  こぢんまりしているほかはどこといって変哲のない五階建てのビル。外壁はところどころ傷みが出てきていて、築三十年はゆうにたっているだろう。 「お待たせしました」  椙山英次が現われた。着ている背広のせいか全体的にダークグレーの印象を受けた。三十代半ばにしては渋い雰囲気を醸し出している。長身|痩躯《そうく》。身長はわたしとほぼ同程度。痩《や》せたのは急性の砒素中毒のせいもあるとは思われるが、もともと逞《たくま》しい筋肉とは無縁のように見受けられた。 「その節はすっかりお世話になりました」  わたしは咄嗟に自分が彼の背中を押して介抱した時のことだとはわからなかった。それでたぶんけげんな顔をしたのだろう。 「なかなか中の毒を外に出せなくて苦しみました。子供の頃から吐くのは苦手なんです。聞くところによれば、砒素の致死量は〇・二グラムで、あの一人前の辛味そばには致死量ぎりぎりの砒素が混入されていたそうです。もっとも症状の軽重は食べた量ではなく、吐き出した量と関係していたようですね。おかげでひどい目にあいました」  察した椙山は先に立って廊下を歩きながら続けた。 「とはいえ回復の速さは年齢と関係するんじゃありませんか?」  エレベーターに乗り込んだところでわたしはいった。 「のようですね。これといった後遺症も出ずにこうしてもう、ぴんぴんしていますから」  椙山がはじめて笑顔を見せる。  わたしは案内されて応接室に入った。壁面はすべて書架で辞書類を中心にぎっしりと学術書が詰まっている。中央には勉強会を想わせる簡素な机と椅子が半ダースほど。 「手狭ですみません。会議室も兼ねているものですから」  椙山が説明した。  ここにはもちろん、創業者の写真を入れた額などはどこをさがしても見当たらない。またこの社は優れた学術書の出版で毎年、数多くの賞を得ているはずだが、その手の表彰状やトロフィーも皆無である。装飾といえるのは置かれている花置きの上に飾られている野の花ばかりを活けた花瓶。野生種に多いという青と黄色の小さな花が鮮やかだった。 「風流でしょう。地方に生花を作っておられる執筆者の方がいるんです。それで毎週仕事で上京される折に届けてくれるんですよ。売り物の花屋にある花じゃつまらないからと、ご自宅の庭や付近の山などから摘んで持ってきてくれます」  椙山英次は微笑《ほほえ》んだ。  それからわたしたちは机を並べかえて向かいあった。 「実をいうとこの企画はもとより難航の兆しがあるんです。まずはこれをご覧になってください」  真顔になった椙山は持っていた書類袋から綴《と》じたファイルを出して、わたしに渡してきた。 「これは絵島郁子さんが提案されている、�日本人の薬膳�のレジメです」 「レシピ集ですね」  わたしはファイルに目を通しはじめた。 「絵島先生の担当は料理の実践編のところです。レシピをあげておられるのは当然のことなのですが」  そこで椙山は口をつぐみ、レシピの書かれたワープロ文字を追うわたしを見つめた。 「これではまるでダイエットレシピのオンパレードだというわけですね」  職業柄わたしはレシピを読むスピードには自信があった。早くも十編ばかり読みきったところで悲鳴をあげたくなった。 「そしてこのレシピを採用していくなら、他の部分もこれに追従することになりますね」  わたしはつけ加えた。 「頭がくらくらするような話でしょう?」  椙山はため息まじりだ。 「絵島郁子さんが考案して売っておられるレトルト食品もこんなものですか?」  あいにくわたしは彼女のブランド�ネイチャー�の味を賞味したことがなかった。恩師である椎名一郎は病床で堪能しているはずだ。 「ちがうと思いますね。例えばダイエットハンバーグ。これは上等のステーキ用の牛肉の落としで作るもので、旨味《うまみ》を抜かず脂を抜くのが秘訣《ひけつ》のようです。ドイツから輸入した特殊な調理機械あればこそでしょう。ダイエットケーキについても同様の製法だと聞きました。ただしこうして作られた製品はハンバーグ千五百円、ケーキ千円。もちろん一個の値段です。愛用者たちは素晴らしく美味《おい》しいが、価格がネックでなかなか続けられないといっていました。だからこれは一部の裕福この上ない人たちのものですよ。現代の貴族食」 「それはすごい」  感嘆する一方、わたしは何だが腹だたしくなってきていた。それで思わず、 「すると彼女はほんとうに美味しいダイエット料理のレシピは公表しない。その代わりに掃いて捨てるほどある月並みなレシピで本を売る。そういうことになりますよ。自分のやろうとしていることが、後ろめたくはないのかなあ」  その思いを口にしていた。 「�ネイチャー�のレトルト製品はすべて、特殊な製法なので家庭ではできないわけだから、仕方がないということなんでしょうね。ゆえに恥じない。それとこの�日本人の薬膳�はできあがる前から、一種絵島先生のPR誌でもあるんです」  そういった椙山は悔しそうな表情を見せた。わたしはこれが彼女から持ち込まれた企画で、個人的に多数の部数が買い上げられ、全国規模で行なわれている絵島郁子講演会で無料配布される予定だという、恩師の話を思い出していた。 「率直にいってどんな出来でもうちの社に損はないんですよ」  さらに彼は苦笑し顔を歪《ゆが》めた。その顔で、 「愚痴めいて聞こえるかもしれませんが、不況の波はわたしたちの世界にも押し寄せてきています。うちは学術書ですからなおさら深刻。正直、そういった時期に絵島先生のような有名人の本はありがたくないこともありません。ただわたしは採算がとれるからといって、今まで貫いてきた、いい本を作ろうという信念を捨てたくないんです。その意味では絵島郁子に暴走してほしくないし、それを止められるのは日下部先生、今はあなただけなんです」  と続けた。 「よくわかります」  わたしは心からいった。同感だった。そして次のようにいった。 「そのためにはお互い視点を少し広げてみる必要がありますね。というのは今、わたしたちは絵島さんの才能といっていい、類いまれな商売人根性と、杜撰《ずさん》なダイエットレシピに幻惑されているからです。そうではなくて、おおもとの命題である�日本人の薬膳�に戻って考え直すのが得策です。今、日本人を悩ましている生活習慣病を中心とする現代病に対して、果たしてダイエットはオールマイティーなのかという疑問です。たいていの内科医は体重を含む検査数値を見て、患者にダイエットを奨励する傾向があるようですがね。それで今日本は総じて空前のダイエットブーム。わたしは必ずしもそれが絶対正しいとは思っていません。ただしまだこれといった根拠をつかんだわけではない。でもこれはいえます。これを詰めて結論づけなければ�日本人の薬膳�は見えてこないし、いい本にもならない」 「なるほど」  うなずいた相手の顔から歪みが消えた。そしてその後すぐ、室内の電話が鳴って絵島郁子の来訪が告げられた。    七 「はじめまして」  とわたしに挨拶《あいさつ》した女性はまだ二十歳そこそこの若さだった。 「申し遅れました。本日絵島先生はお具合がすぐれなくて出席できないとのことでした。今回に限り代わりの方が出席されます」  椙山があわてて事の次第を説明する。 「この方はお嬢さんの絵島なつみさん。絵島先生の代理でいらっしゃいました。たしか医大生でしたよね」  目の前のなつみに確認した。 「娘といっても養女です。絵島郁子は父方の遠縁で中学に入る時、引き取られたのです。だからお母さんとは呼んでいません。伯母《おば》さん。郁子先生」  なつみは最近の若い女性らしく、気取らず、てらわず、ずばずばと自分の話を進めた。  ジーンズとTシャツ、白いブレザー姿の彼女は日本的な顔立ちのすっきりとした美女だった。化粧はパールピンクの口紅だけでほとんどしていない。だがそれでも地味な印象は受けなかった。オールドファッションローズの一種であるヨーク種の白バラを想わせた。イギリス種のこの大輪の白バラは香り高く、気品にあふれている。  多くの男たちはすらりとした大柄の均斉のとれた肢体ゆえだと評するだろう。多少は血縁のある絵島郁子とはぱっと見た時に受ける印象、女らしい華があるという点で似ていると見做《みな》す向きもあるだろう。  だがちがうのだ。決定的にちがう。絵島郁子にはないものがこのなつみにはあった。それが何であるか今のところわたしにもわからない。わかっているのはそれがわたしの心に感応するものであり、彼女が持ち合わせているある種の精神性であることだけは確かだった。  それに気がついたわたしは危険を感じた。自分が陥るであろう地獄の気配を感じたからだ。苦悩と隣り合わせの情熱への疾走。いたずらに狂い続ける理性の針。そう、わたしは一目で彼女に惹かれてしまっていたのだった。  断っておくがわたしは惚れっぽい性質でも、よくある遊び人でもない。第一こうした要素のどちらか一つでも備えていたら、とうてい女子大の教師など務まるはずがないのだ。  とはいえわたしは常になく混乱していた。そこで自分はもう十分に大人で、情緒に打ち勝つことができるはずだという自己暗示をかけることにした。例えば絵島なつみを勤務先の教え子の一人と見做してみる、あるいは学生を相手にしているかのように振る舞ってみる——。  そのためにはまず恋心とは関係のない、新海から引き継いだ出版計画、�日本人の薬膳�に戻ってみる必要があった。そして多少意地悪く、絵島なつみは伯母の引いた設計図にどのような見解で臨むつもりなのだろうかと考えた。単にこちらの意見を病床の郁子に伝えてもらうだけでは、こうして集まった意味はほとんどない。  その点をわたしはずばりと切りこんだ。 「伯母の作ったレシピのことですね」  一瞬彼女はためらったがすぐに、 「あれは一部使えるものだとわたしは思います」  といった。 「絵島先生もそうお思いでしょうか?」  椙山は用心深く探りを入れる。 「いいえ」  これもはっきりいいきって彼女はくすりと笑った。 「あの伯母がそう思うはずなんてありませんわ。�日本人の薬膳�はこれが極め付けと自信満々。改変なんて考えてもいない。あの路線をひた走るつもりでしょう」 「でしょうね」  またしても椙山の顔が歪みかけた。 「でもあなたはあれではまずいとお考えでしょう?」  わたしは水を向けた。 「ええ」  絵島なつみはわたしの方に視線を据えた。整った顔だちが、鼻筋から口元へかけての線に意志の強さが凝縮している。 「伯母は力のある人です。ですから彼女があのレシピを町の印刷屋さんに頼んで本にして講演会で配る。あるいは一部は売る。それなら何の支障もないとわたしは思います。もちろんその場合はこうした集まりはないし、日下部先生のご協力もいただかないわけです。ところが今回の前提は、亡くなった新海先生の存在も含めて学術的な箔《はく》づけです。それを伯母自身も意図したはずです。その線は崩してはいけないのではないでしょうか? 伯母の名誉に関わることですから」  聞いていたわたしはいささか驚愕《きようがく》していた。こんな若い世代からこの手の世馴《よな》れた発言を聞かされたことなど、ついぞなかったからであった。なつみの涼しげな一重まぶたは冷徹ともいえる理知の源ともいえた。 「あなたから伯母さんを説得することはできますか?」  椙山が聞いた。 「まさか」  彼女はけろりと笑った。笑うと芯《しん》の強い老成して見えた表情が消えて、楚々とした白バラに返った。 「どんな人間でもあの伯母を説得なんてできるものですか。伯母についていえば、あの人は常に自分を顧みるという心の動きとは無縁なんです。やっていること、いっていることの自己矛盾についても、考えてみたことなど一度もないんじゃないかしら。でもだから強い。伯母とは闘う姿勢が大切です」 「闘う?」  いわれてもわたしにはぴんとこなかった。 「伯母という人は少しでも自分の意見や生き方にけちをつけられると激怒はします。でも相手がはんぱでない抗戦力を持って臨んでいると識《し》ると、引くこともあるんです。ただしこれには多大なエネルギーが必要」 「ということは�日本人の薬膳�について、あのレシピに対抗できるだけのポリシーがこちらに必要になります。椙山さんにはさっきちょっと話しましたが、あなたはどう考えておられます?」  わたしは再び絵島なつみに質問を投げた。もうこの時には、彼女なら明確に答えるだろうという確信があった。 「総括的に答えることはできませんが、医学部の学生として興味を抱いている民間療法ならあります。それはヘビ。マムシ酒というのは日本人が古くから愛用してきた強壮剤、万能薬ですよね。実はこれは酒につけこむと毒性が消えるというのではなくて、アルコール中に溶けだす程度の微量の毒は人体に有益だということのようなんです。もちろんヘビ毒をベースにした各種誘導剤や抗リウマチ製剤、コブラの毒による抗てんかん剤、強力な鎮痛剤などはすでに開発済みです。こういった科学、科学で分析して有効利用していく方向性とは別に、自然界には人知を超えた薬効があるんじゃないかと思ったりします」 「日本の民間療法ではマムシは酒の他に血を絞って飲んだり、肉を割いて焼いて食べたりします。酒は丸ごとマムシを焼酎《しようちゆう》につけこむのですから、口の毒腺《どくせん》も一緒ですね。そこから強壮になる微量の毒も出るわけでしょう。一方血や肉に毒は含まれない。とするとヘビには毒性とはまた別の薬効があり、それは血肉に含まれるということになりませんか?」 「ああ、それで肝臓病などの特効薬としてヘビ粉が売られているわけがわかったわ」  そこで絵島なつみは頬を上気させて両手を打った。 「ヘビ粉?」  椙山がけげんな顔になった。 「ええ、まさしくコブラを乾燥させて粉にしたもの。横浜のヘビ屋の創業は江戸時代末期で、もとはマムシを使っていたと聞きました。店主はコブラの方が毒性が強いからより効くという話をしてくれたんだけど、今一つ納得できず、毒は大丈夫かと質問すると、熱処理しているからとか、毒は抜いてあるからとか要領をえない」 「それきっと店主の胸中は複雑なはずですよ。微量の毒性は薬効につながることは強調したいし、安全性も保証したいしで。そのうちヘビの血肉に含まれるたんぱく質や酵素に本格的な科学のメスが入れば、彼の説明も苦しくなくなる」  わたしはいいかけて気がつき、 「そうなったらヘビ粉も合成されてしまうから、ヘビ屋は失業してしまうか」  といって苦笑した。 「どうです? 今日これからそこへ行ってみては? ささやかですが今夜はお二人をおもてなしするよう、編集接待費の一部がわりあてられています。横浜なら中華街が近い」  突然椙山が提案してきた。 「独り者には悪くない提案です」  即座にわたしは承諾し、 「あら、うれしい」  なつみは無邪気に歓声をあげた。  目的のヘビ屋は主人が不在で留守番の老婦人が店番をしていた。なつみが主人との縁を仄《ほの》めかすとやっと「どうぞ」という声がかかった。  看板にはヘビ屋とあり、�観光客立ち入り禁止�ともある。中は倉庫のように雑然としていて、商店のような雰囲気はまるでなかった。無意識にヘビの姿を探した。マムシ酒もしくは標本のように液体につかっているものは皆無。代わりにビニールシートに入ったヘビが積み重ねられている。からからに干されて平たく伸びた巨大なコブラたち。ヘビ粉の原料として輸入されてきたものだろう。気のせいか店内は生臭い臭いがした。 「ここは口コミとか縁故のお客さん専門。買いにくる人も多いけれど、たいていは通信販売」  なつみがわたしたちに囁《ささや》いた。  わたしは売られているヘビ粉の現物を探した。店内を目で追っていったがなかなか見つからない。何回か繰り返して、やっとカウンターの前の小さな茶筒に気がついた。四個ばかり並んでいる。残念なことに中身は見えない。主人の妻らしい老婦人に質問すると、 「注文がまとまったんで昨日粉にひいたばかりのもの。日本は湿度が高いでしょ。今は梅雨だし、その都度ひかないと中身が生臭くなるんですよ。水分を含んで薄い緑の色が濃くなってくるとだめね。うちのを高いという人もいるけど、安いヘビ粉は輸入元の乾燥法が杜撰。商品の管理が手抜き。だから臭くて口へは入れられない」  としたり顔で答えてくれた。  その後わたしたち三人は中華街に出て椙山が勧める店に落ち着いた。メニューに健康ディナーというのがあり、中国語なまりの日本語を話す店の人に聞いてみると、これは野菜だけを使った料理とわかった。わたしはそれを頼んだ。独り暮らしで気をつけたいことの一つは何といっても野菜不足。 「まさか野菜ばかりの料理が薬膳というわけではないんでしょう?」  なつみに聞かれた。彼女と椙山は北京ダックやフカヒレとあわびのスープなどが入る、オーソドックスでややヘビーなコースを頼んだところだった。 「ちがいますよ。これはむしろ普茶《ふちや》料理の流れを汲《く》むものですよ。普茶料理というのは、徳川時代、中国の禅僧が宇治の黄檗山万福寺《おうばくさんまんぷくじ》に伝えたもので、中国式の精進料理です。日本の懐石料理にも影響を与えているのでしょうが、日本のものはこれほど油脂を使いません」  そこでわたしはオードブル代わりに運ばれてきた、かぼちゃとにんじんの天ぷらを箸《はし》でつまんで見せた。これらは小さなだんご状に皮を剥《む》かれて濃いめのだし汁で煮られ、揚げられてから笹の茎に刺されたもの。わたしは話を続けた。 「むしろあなた方が選ばれたコースの方が、中国でいう薬膳の概念に近いと思います。はっきりさせておきたいのは、薬膳が中国医学のベースになっているという点です。中国人の祖先は食物を利用して病気を治す試みを、四千年あまりの歴史の中で行なってきたといえます。まさに料理書は治療書であったわけですね」 「中国医学とは日本でいう漢方医学の現代に通じるいいかえですね」  椙山が確認した。 「そうです。中国医学の基本概念は陰陽で、自然界において互いに関わりながら、対立する両極を指します。人体の組織についていえば、陽に属するのは上半身、皮膚、胆嚢《たんのう》、胃、小腸、大腸、膀胱《ぼうこう》など、陰に属するものは下半身、心臓、肺、脾臓《ひぞう》、肝臓、腎臓《じんぞう》などです。そしてこれら陰陽の組織間で対立関係にバランスがとれていれば、健康は保たれるとされています。ですから、バランスを欠きどちらかが強くなった状態、もしくはそこに外邪と呼ばれる気候の変化、疫病の流行などの発病要因が加わった状況を病気と見做すのです。つまり薬膳とはこうした生体内のアンバランスを矯正するための治療法なのです」 「となると漢方医学の基礎は陰陽道《おんみようどう》にも通じているといえませんか?」  椙山に指摘され、わたしはうなずいた。 「薬膳に使われる食品はどんなものがあるんでしょうか?」  あわびとフカヒレスープに舌つづみを打っているなつみは、興味津々といった面持ちである。 「薬膳で常用する食物と薬物について説明しましょう。まず果実類。不眠症に竜眼肉、高血圧にさんざし、強壮になつめなどというといかにも薬膳といった印象ですが、他にくり、すいか、ぶどう、桃、バナナと来るとわたしたちにも卑近な食材ですね。穀豆類では利尿作用のある緑豆が筆頭で、野菜類は大根、かぼちゃ、トマトなど。しそ、唐辛子なんかの香味野菜も含まれる。肉、魚類ではおなじみのアヒルなどの他に、有毒と無毒二種類のヘビが入っている。他に犬肉、すっぽんなど。シナモンやこしょう、酒などのスパイスや調味料も治療剤としてとらえられている。強力な効能を発揮する薬物類にはきのこの一種の霊芝《れいし》、鹿の角の鹿茸《ろくじよう》、土中の虫に寄生する菌類である冬虫夏草《とうちゆうかそう》などがあります。驚いたのは附子《ぶし》の調理法。附子といえば猛毒であるトリカブトの根なんですよ。関節炎リウマチや冷え性を伴う激しい疼痛《とうつう》を抱える人のためのものです。学生時代、フィールドワーク先でわたしが試したメニューは、毒性を抑えて加工したこの附子九グラムに羊肉、くこの実、ねぎ、生姜《しようが》、こしょうなどを加えたスープでした。美味しかったけれど、ひやひやものでした」  いった後で、しまったとわたしは思った。椙山は砒素中毒の実害に身をもってあったばかりだったし、まだ病床にいる絵島郁子はなつみの身内だったことを思い出したからであった。だが椙山は嫌な顔をせず、 「最後にまた微量の毒性は健康にいいという、ヘビ毒の話に戻ってきましたね」  飄々《ひようひよう》といってのけた。  またたらふく食べて満腹した様子のなつみは、そういえばという顔になって、伯母が遭遇した事件について触れた。椙山が被害にあったことは知っているのだろうが、えてして若さというものは配慮を欠くものだった。 「砒素は調理室で混入されたらしいという話を新聞で読みました。そうすると犯人は調理室に監視カメラがないことを知っていたわけですね」  わずかではあるがなつみの言葉尻《ことばじり》にホテル側へのなじりが混じった。監視カメラさえあったら、もうとっくに事件は解決しているのにといった口調だ。 「これからは必要かもわかりませんよ」  なつみは続ける。 「だって薬膳が大流行《おおはや》りしないとも限らないでしょうから。すると調理師さんの中に、中国医学の勉強を積んで、微量の毒を健康に生かそうと思いつく人も出てこないとは限らない。調理は毒性実験」  そういったなつみの真顔が溶けて破顔一笑した。悪い冗談だったが彼女がいうと憎めない種類のもので、わたしたちもともに笑った。もっとも椙山は、 「ただし砒素だけは例外にしてほしいですね。あれが医薬としてまかり通ったのは、十六世紀の錬金術盛んなりし頃の梅毒用|軟膏《なんこう》から、晩年砒素中毒だったというナポレオン、彼が飲んでいたという、インチキ薬までですから」  と大笑いしながら応戦した。  今度は彼の方が真顔になってわたしに向かって、 「長寿と薬膳をどう関連づけられますか?」  と質問してきた。 「薬膳の目的が健康ならば長寿とはほぼイコールと考えていい」  わたしは答えた。すると彼は、 「男性七四・五四歳、女性八〇・〇一歳。これは昭和五十九年の厚生省の調べで、日本人の平均寿命が世界の頂点に立ったことを示す数字です。以後不動。となると日本食は中国薬膳よりも長寿につながるということになる。日本食こそ世界の新しい薬膳になりうると考えられませんか?」  質問を進めてきた。 「あなたがいいたいのは棡原《ゆずりはら》のことですね」  わたしはすぐにぴんと来た。山梨県にある上野原町棡原は東京都と神奈川県に接した山間の集落である。この地区に健康優良児と壮健な老人が数多いことは有名で、学術調査の結果日本一の長寿地区と認定されてきたはずだ。 「実はずいぶん前うちの社であそこを取材して本を出したことがあるんです。その際、長寿の要因は水、空気、暮らしやすい気候、傾斜地での激しい労働もさることながら、麦、雑穀、イモ類を中心とした伝統的食生活ではないかと結論づけました。棡原の食生活に日本人の薬膳の手がかりはないでしょうか?」 「おおいにあると思いますね」  わたしはうなずいた。 「どうでしょう。わたしがそこへ先生をご案内するというのは。実をいうと、ヘビや家庭の主婦が入手できにくい中国薬膳の特殊な材料ばかりでは、本のレシピは埋まりません。といって卑近な材料ばかり並べては絵島先生をうならせることはできない。だからここはどうしても斬新《ざんしん》な切り口が必要なんです」 「わかりました。協力します。ぜひ行ってみましょう」  わたしは心からいった。    八  椙山に誘われて、棡原を訪れたのはその週の日曜日だった。 「八王子の先ですからね。休日といっても油断できませんよ」  椙山はそういって早朝に迎えに来た。彼が案じていたのは都心を抜ける際の交通渋滞だったが、午前十時には上野原町のメインストリートに車をつけていた。 「信じられないことにここはまだ八王子のちょい先なんですよ。豪勢なものでしょう」  彼が視線を注いでいるのは、ひっきりなしにメインストリートへ乗り入れてくる家族連れのマイカー族たちだった。車の種類は手頃な値段の国産車の小型から外車、スポーツカーまで、実にさまざま。 「目当てはスーパーですね」  わたしは安売りをうたった真っ赤な円い看板と、工場のような白い無機的な壁面でそびえている建物を見据えた。それはメインストリート沿いに建っていて、すでに駐車場の入り口は長蛇の列だった。 「スーパーはわたしたちが取材に訪れた頃はまだできていませんでした」  椙山がため息をついた。  わたしはいささか気を落とした様子の彼を励ました。彼の運転する車は鶴川渓谷へ向かってのぼっていった。梅雨晴れの、雲一つない青空の下、深緑がまばゆい。木々の葉がどれもきらきらと輝いている。射しこんでいるはずの陽の光が、植物そのものの生命力であるかのように感じられた。鳥の鳴き声が心地よい。 「電車を使うとここへは新宿駅から一時間半ほど。あの新宿の喧騒《けんそう》と隣り合わせにこんな別天地がある。不思議ですね」  わたしは自然から受けた感動を素直に口にした。一方椙山は、 「自然だけはね」  といって一度言葉を切ってから、 「今わたしたちがのぼっているところにバス路線が開通したのは昭和二十七年です。以来この地は兼業化の波にさらされ、出稼ぎ、パートがあたりまえになっています。これだけの自然に恵まれているのに農家はその規模を縮小させている」  とゆううつそうにいった。 「それと長寿との因果関係はありそうですね」  わたしは指摘し、彼は黙ってうなずいた。  辿《たど》り着いた記念館は簡素なつくりの平屋で、軒下が生産者の名前入りの野菜売場、サッシの中が乾物などの売店、その他のスペースはドライブインまがいの食堂になっていた。 「おや、長寿食についての資料の展示がなくなりましたね。前に来た時はあったのに」  椙山は無念そうにいった。彼の視線はほうとう用の生うどんのレトルト、そば粉、あわ、麦こがし、さつまいも粉、コーンミール、各種ごまなどの土産物が所狭しと並んでいる空間をにらんでいる。すると、 「それはもうここの長寿食が過去のものだからですよ。村民の生活習慣病の罹患率《りかんりつ》、死亡率はそのうち都市生活者並みになるでしょう。現に卒中や癌《がん》などで七十代の両親より先に逝《ゆ》く中高年が増えてきています。長寿食はここで売られている土産物の中にだけ生き続けるわけです」  奥のレジのあたりから言葉が返ってきた。五十歳ほどの変哲のないサラリーマンといった風貌《ふうぼう》の男性が、眼鏡に手をやりながらこちらへ歩いてきた。 「永井《ながい》といいます。ここに勤めている者ですが、棡原と長寿の研究もしています」  わたしたちは名刺を交換してまだはじまっていない食堂に入った。テーブルに座る。 「ここがこれほど変わってしまったとは。わたしたちが調査に来たのは、ここに短命化が起きてきたといわれはじめた昭和五十九年でした。ちょうどその年は日本が長寿世界一になった年でもあった。しかし今おっしゃった現状はショックですね」  椙山は目の前の永井に訴えるようにいった。 「信じられていた長寿食について説明していただけますか?」  わたしはまずそれが聞きたかった。 「わたしは土地の人間ではないのでどこまで正確にお話しできるかわかりませんが」  と前置きしてから永井はまた眼鏡を直し、話しはじめた。 「伝統の基本食は麦、雑穀、イモです。ここの特徴は主食が米ではないことでした。麦は小麦と大麦の両方を栽培し、小麦ではうどん、ほうとうなどの他に酒まんじゅうの皮、たらしモチを作りました。大麦の方は主食です。�オバク�といえば炊いた麦飯で、おかずはネギ味噌《みそ》と決まっていました。アワ、ヒエ、ソバ、モロコシなどの雑穀は粉にひいてモチやだんごに使われることが多かった。イモ類はサトイモとジャガイモがメイン。現金収入にもつながるコンニャクイモの加工も盛んでした。あとはフキ、ワラビ、イタドリ、タラの芽などの山菜類。こんなところになります」 「動物性たんぱく質はめったにとらなかった?」 「近くに鶴川があって付近の川や沼や池畦《いけあぜ》からあゆやどじょう、うなぎ、たにし、沢がに、食用ガエルなどがとれました。海のものでは大麦のこうじと上野原から購入したイカで塩辛が作られていた。塩鮭や干物などは日を決めて食べられていた。蜂の子、マムシ、ヤギの乳や肉、うさぎ肉、鶏肉が食卓にのぼるのは年に数回だったと聞いています。酪農をしていてもその恩恵には与《あずか》らなかったわけですね」 「そしてその当時ここの人たちは皆長寿だったわけですね。流通経済の万能化に伴う、高カロリーのグルメ食や食生活のインスタント化、つまりは文明化によって村民の健康は侵されはじめたとお考えですか?」 「まったくその通りなんじゃないですか」  わざわざ聞くまでもないことではないかと、永井は憮然《ぶぜん》とした面持ちで答えた。そして、 「つまりここは日本という国の縮図なんですよ。食に象徴される戦後の日本人の生きざま、特に醜さそのものだといっていい。貪欲《どんよく》であさましい。結果墓穴を掘っている。ちがいますか?」  と続けた。わたしは、 「なるほど一理あります。とはいえ、だから昔ながらの棡原の食事が極め付けの長寿食で、対極に現代人の放縦な食生活があり、長生きしたければ食への執念を断ち切れ、棡原に戻れというのはどうかと思うんです。人間にとって食は何にもかえがたいロマンだとわたしは感じていて、長生きと食への充足、どちらをとるかといわれて迷うところではないかと思うからです」  と受け答えた。  食堂は十一時にはじまった。永井はセルフサービスのほうじ茶をいれてくれた。わたしと椙山は彼の勧めでセイダのタマジを注文した。セイダのタマジとはここ独自のジャガイモ料理。セイダは天明の飢饉《ききん》の際、ジャガイモ栽培を奨励した代官|中井清太夫《なかいせいだゆう》にちなんだ命名で、タマジは種いもにならない小玉のイモのことである。イモを油で炒《いた》め、甘味噌煮《あまみそに》にする。炒《い》るように煮るためついたままの皮が口の中で香ばしくはじける。 「これは美味しいですね」  わたしはたて続けに三個ほどほおばった。  言葉にした通り、たしかにセイダのタマジは美味だった。  タマジに満足しながら、現代人の食に思いがいった。食の充足の代わりに自己顕示に活路を見いだす文明人について、あの絵島郁子がブラウン管や講演会を通じて多くの支持を得ているのだとしたら、彼女の信条や生活、つまり生き方は将来、普遍のものとして受け入れられる可能性がある。終生自己顕示という欲望にとりつかれて長生きを願う人たちの群れ——。  強い緊張感にとらわれた。なぜか、今ここにいることの、何かがどこかが歪んできているように感じた。最近、水野や亡くなった新海に感じた違和感に似ていた。  その時わたしは突然異臭を嗅《か》ぎ当てた。同時に、目をそむけたいようなビジョンが電撃のように脳裏に閃《ひらめ》いた。 「たぶん裏庭でしょう」  わたしはいいかけ、 「崖下《がけした》へと続くここの裏で亡くなっている人がいます」  といい直した。 「とにかく行ってみましょう」  椙山がいってくれた。職員の永井は何をいい出したのかと半信半疑の表情のままだ。 「第六感ですか」  いわれて、わたしはやっと自分が不用意な発言をしたことに思いあたった。記念館の中にいて裏で起こっていることなど、普通わかろうはずもないからだ。 「わかりません」  無言でわたしたちは裏庭に急いだ。記念館の裏手のスペースは崖を望む一面の竹林である。何度か駆逐しようとしたのだが生命力が強く、いつしか野放図に茂ってしまうのだと永井は説明してくれた。  死体は深い竹林の中ほどにうつぶせに横たえられていた。白い長袖《ながそで》のワイシャツにグレーのズボン、皮ベルト。小柄で痩《や》せ型。頭部はみごとな白髪だが老人とは断定できない。恐怖が頭髪を変えることもあるからだ。  全身は衣服のまま土にまみれている。さっきのビジョンで血のように見えたのはこれだったのかとも思う。臭気を放ちはじめてはいるが、もちろん記念館の中に届くほどではない。 「警察へ連絡します」  わたしたちはともに硬直状態だったが、いちはやく次の行動へ思考をつなげたのは永井だった。  わたしたちは食堂に戻って座った。そのうちにわたしは自分が孤立させられていることに気がついた。椙山は売店の電話を使っている永井とともに行動していた。  食堂には白い三角巾《さんかくきん》とかっぽう着をつけた職員が一人。セイジのタマジを作ってくれた人だ。中年の主婦。裏庭で起こっていることを知らされたその彼女はまだ硬直している。顔色が青ざめ立ち尽くしていた。それでもわたしと目があうと、 「お茶いかがです?」  などと声をかけてくれた。  わたしはかぶりを振り、思いついて携帯を取り出した。水野へ連絡をとる。考えてみればある人物が誰も知ることのない事実を知っていて、それをいい出したとしたら、その御仁は犯人である可能性が大きい。急に椙山と永井がわたしにそっけなくなったのもうなずけた。  以前からわたしは幾多の殺人現場に立ち会ってきた。そのたびに犯人扱いされたのも事実だが、今回のは容易ならざる嫌疑がかけられるだろう。わたしは覚悟した。警視庁の刑事である水野の助力を乞《こ》わなければ切り抜けられそうになかった。 「警察が来る前にお話があります」  椙山が食堂に入ってきた。座っているわたしと向かい合う。 「これは永井さんともしめしあわせようという話になったんですが」  と前置きを述べてから、 「死体発見の経緯は、われわれが裏庭を散策していて偶然見つけたということにしたらどうかと思うんです」 「わたしを庇《かば》ってくださると?」  わたしの顔はまだ、相手への猜疑心《さいぎしん》から解放されていなかったはずだ。 「実は第六感のことで永井さんと話合いました。日下部先生のさっきの言動はわからないでもない、ただし公表はしない方がいいということになったんです。世の中には真実なのに信じてもらえないゾーンがかなり広く深くにわたって存在していて、これはその一つだと。第一、先生とわたしはチームですからね。つまらないことに引っ張りこまれないようにガードするのも、わたしの役目です」  椙山は笑みを含んで極力気楽に話そうと努力をしている様子だった。彼の人柄については信頼のおけるものだとわかってはいたが、これほどの思いやりとデリカシーの持ち主とは思っていなかった。わたしはどちらかというと、情よりも理の方がまさった切れ者の編集者だと思っていた。それほどまだ深くつきあっていなかったからだろう。 「わかった。信じてくれてありがとう」  わたしがそう礼をいったとたん、近づいてきていたパトカーの警報が止まった。急いで外に出ると山梨県警のものではなく、水野薫がほぼ一年を通して着用しているように見える、エナメルの黒いダスターコート姿で車を降りた。運転席から出てきたところをみると、自分でパトカーを駆ってきたところのようだ。 「ちょうど仕事で相模湖《さがみこ》付近にいたのよ。何よりだったわ。それで近くの車を借りたというわけ」  これで彼女が県警よりも迅速に辿り着いた理由が判明した。 「一番乗りね。そうでなきゃ。やった。大満足。水野薫、警視庁捜査一課の刑事です。事件の通報をここにいる日下部遼さんから受けたので、立ち寄らせていただきました」  例によってぽんぽんと言葉を叩きつけるようにして感情を表わした後、自己紹介をした。 「裏庭だったわね」  ポケットから白い手袋を取り出してはめ、当惑気味の二人と慣れているわたしを促した。  裏庭に案内するとすぐに彼女の検視と現場検証がはじまった。まず死体を仰向《あおむ》けにして死因を特定する。腫《は》れあがって見える首に、食い込んだワイシャツのボタンを二番目まで外した。首の中ほどを赤黒い太い筋がぐるりとまわっている。 「死因は絞殺。索溝痕《さつこうこん》がはっきりしているからこれはまちがいなし」  次に彼女はワイシャツのボタンを全開にして、ズボンを脱がしかけた。上半身から下半身の状態をじっと観察する。右|肋骨《ろつこつ》の下に二十センチにも及ぶ切開痕が見えた。縫合はしてあるが縫い目は粗い。 「ねえ、この縫い目、彼女のに似ていない? ほら血を抜き取られた女性の骨髄の部分の傷に」  水野はわたしに聞いてきた。 「そうだな」  答えたが確信があるわけではなかった。もとよりその手の鑑別眼は鍛えられていない。 「これは死後つけられたものよ。傷に生活反応がないのも共通している」  そういいきったところで水野は独自の検視を終了した。死体のワイシャツのボタンをはめ、ズボンを穿《は》かせ元通りにうつぶせに返す。  その後現場検証に入った。彼女はしゃがみこみ、竹が這《は》い出ている地面に目を凝らした。 「竹の葉や雑草を薙《な》いだ形跡はない。死体は引きずられていないということよ。犯人は車でここまで来たとしても、県道からは担いで来て遺棄した。女性が犯人である可能性は低い」  といい、それからそのままの姿勢でじっと間近に泥まみれの死者の顔を見つめた。 「決め手はきっと土ね。死体に付着している土がどこのものかわかれば、捜査は容易になる」  そういって彼女が立ち上がったのと、到着を告げるパトカーの音が聞こえてきたのとはほとんど同時だった。  そして長い半日がはじまった。山梨県警へ同行したわたしたち三人は深夜にまで及ぶ、事情聴取につきあわされる羽目になったからだ。解放されたのは朝の四時で警察の玄関口には水野が待っていてくれた。受付で椙山たちのことを聞くとまだだといわれた。  わたしは別個に聴取されている他の二人を待つことを考えたがやめた。わたしも含めて今は誰でも、この事件を一時忘れたいのではないかと思ったからだ。それほど疲労が限界に達しているのが自分でもわかった。  そんなわたしを彼女はパトカーではなく、警察専用車で都内まで運んでくれた。車は二十四時間営業のファミリーレストランで止まる。  わたしは特大サイズが売りもののスペシャルハンバーグをあっという間にたいらげる。警察が気遣いしてくれた夕飯の幕の内には食欲がわかず、昼にセイジのタマジを三個食べただけだった。気になるひき肉の正体についてもまったく頓着《とんちやく》しない。ミックスサンドウィッチを食べている水野の姿がいつになく、優雅に見えた。 「死体に付いていた土の分析だけこちらでしたの。急ぐ必要があったから。その結果あの土は東京の吉祥寺《きちじょうじ》近辺のものだったわ」  水野はいった。続ける。 「それからあの死体の縫合痕と切り刻まれた若い女性の骨髄部分の傷痕も照合した。同一人物による可能性が強いとわかった。縫合の仕方は粗く、わざと下手に縫っているけれどプロのもの。ただし使った糸はただの木綿糸。これはたぶん姑息《こそく》な目くらましね」 「傷痕はやはりどこかの臓器を摘出するため?」  同一犯の仕業だとすると考えられることだった。 「肝臓とその周辺の臓器がまるごとなくなっていた。ただしこれらは末期の癌に冒されたものよ」  そこで彼女はコーヒーをすするのを止めた。 「そしてもう一つはっきりしたことがあるの。あの死体の老人は茨城県の住人で行方不明の届けが出ていた人なのよ。碁会所に行って姿を消した相川菊二《あいかわきくじ》さん、七十七歳。病院からいなくなったあの五十嵐《いがらし》まゆみさん、二十四歳とつながる。二人は同じ犯人に殺されたのよ」 「とするとあと一人いなくなったという人も?」 「おそらくね。老人ホームから消えた稲垣静《いながきしずか》さん、八十一歳。彼女も同じ運命を辿っているわ、たぶん。ただわからないのは犯人の目的。相川さんの方が五十嵐さんより先に殺されている。でも血は抜かれていないのよ。これはなぜなの?」 「それはね——」  その時なぜか自分の意志とは関係なく、答えられるはずもない質問に答えようとしていた。あたりが暗くなって何も見えなくなった。さっきよりも強くビジョンが出てくる時の前兆だ。まず電撃が閃く。  頭の中に細胞を想わせる馴染《なじ》み深い形が現われてぐずぐずに一度崩れ、前のとはちがう異端の紋様がいくつも広がっていく。際限がない。頭いっぱいに繁殖していく。悲鳴をあげかけた。  その時水野の持っている携帯が鳴った。受信音にかき消されるかのようにそれらの紋様は消えてなくなった。    九  水野の運転する車は一路新宿へと向かっている。 「豊島区目白で殺人事件が発生した。事件現場は中根揮一郎《なかねきいちろう》七十五歳の邸宅で、殺されたのは妻の瑞穂《みずほ》三十八歳、次男|芳彦《よしひこ》七歳、それに妻の遠縁でお手伝いの宮本正子《みやもとまさこ》五十三歳。中根氏自身は書斎で亡くなっている。中根揮一郎氏は出版社の山野書房の会長で、社長は長男の君彦《きみひこ》氏。長男の家とは私道をはさんで向かいあっている。この一家の方は全員無事」  水野はかかってきた電話を切ると書き留めたメモを目にしながら、降って湧《わ》いた事件の概要を説明してくれた。 「惨事がよりによって山野書房の関係者の間に起こったとはね——」  そこでわたしは複雑な思いにかられ、編集者の椙山やこの出版社との関わりについて話した。 「電話で聞いた情報から推測すると、これは十中八九、当主中根揮一郎の引き起こした無理心中ね。他に考えられない」  水野は確信ありげにいった。 「僕もそう思うが一点気になるのは、中根揮一郎の経歴や人となりなんだ。この人物は明治期から続く山野書房の跡取りなんだが、同時に教職にもついていた。家業にさしさわりのない程度に各大学で非常勤講師を務めていたんだ。高名な民俗学者。専門は山の民俗で僕も大学時代、講義を受けたことがある。とにかくロジカルで理知的な人だった。颯爽《さつそう》とした紳士」  わたしはやや感傷的に故人の思い出を披露した。 「でもそれ、まだ彼が若かった現役時代の話でしょ。年をとって例えば病苦にとりつかれるなどしたら、いかに理知的な人でも思いつめたり、衝動的になったりするものよ」  水野はうがった分析をした。  車は山手通りをひた走っていく。ここは渋滞でしか経験したことのない界隈《かいわい》だ。季節柄もう充分明るいが店も人もまだ目覚めていない。しんという、聞こえるはずのない音がどこからか聞こえてきそうで、わたしは不気味だった。  目印は高級感があることで有名なストアーのチェーン店。そこを左折して数十メートル行った角が目当ての家だった。 「発見したのは長男のお嫁さんで朝の四時。ゴルフに行くからこの時間に起こしてくれと揮一郎氏から頼まれていた。何度携帯にかけてもつながらないので、持っていた合鍵《あいかぎ》を使ったというわけ」 「ずいぶん仲のいい舅《しゆうと》と嫁だな。朝起こすのぐらい、同居している奥さんかお手伝いに頼めばいい」 「なかなかの明察よ」  水野はうなずきながら例の手袋を取り出してはめる。  それからわたしたちはすでに壁面が、ビニールシートで覆われている家屋の中に入っていった。 「残念。死体はすでに運び出されたあとだわ」  水野が声高にいった。はめた使い捨て手袋が張りついた白い手を大げさにひらひらさせた。 「一歩遅かったな。ご苦労さん」  同僚と思われる刑事の一人が微笑《ほほえ》みながら近づいてきた。表情は笑っているが目の色は険しい。年の頃はわたしたちより十は年長だろう。くたびれてはいるがスーツ姿。ネクタイも締めている。記念館の永井同様、一見サラリーマンに見えないこともなかった。 「こちら佐藤さん」  水野は相手をわたしに紹介した。わたしたちは目と目を軽く合わせて挨拶を交わした。佐藤は水野にわたしが何者かとも聞かない。 「死因はどれも銃弾によるものだった。近距離から確実に息の根を止めるよう頭をねらって撃っている。中根揮一郎自身もその方法を応用して、銃口を口にくわえて引き金を引いていた。殺害に使われた銃弾は全部で九発。被害者全員の銃創は六ヵ所。中根が口にくわえて発射した銃弾の数はおそらく三発」 「中根揮一郎は前からハンティングに凝っていた?」  水野が聞いた。 「くわしいことはわからない。わかっているのは、彼の猟銃はきちんと所持の登録がなされていたということだ」  佐藤は答えた。 「故人は民俗研究者であり、専門は山でした。長年にわたって山の民、マタギといわれる猟師たちとも交友があり、狩猟は彼のフィールドワークに欠くべからざるものではなかったかと思われます」  わたしは推測した。そこで水野はあわててわたしと中根揮一郎との関係を説明した。 「ああそれで」  佐藤はうなずいた。 「中根が死んでいた部屋に熊や鹿などの動物の画が多かった。剥製《はくせい》や毛皮ならすぐにぴんときたんだが」  わたしの知っている中根揮一郎は環境問題にも正論をかかげる人だった。つまり真の知識人だったのだ。猟師仲間との友情は大事にしていたが、だからといって動物の死骸《しがい》を陳列する悪趣味は持ち合わせていなかった。 「ついてきて」  水野に誘導されてわたしは殺害現場を見てまわった。妻の瑞穂と次男の芳彦、お手伝いの正子の三人はリビングでテレビを見ているところを、射殺されていた。ライトブルーのクロスが張られた応接セットの上は血の海。流血の勢いはさらに、同色のじゅうたんをどす黒く浸していた。すでに倒れていた位置を示す人型が描かれている。三ヵ所。そしてその一つはあまりにも小さい。たまらない気分になりかけた時、 「幸福といえることがあるとしたら、ほとんどみんな即死だったということぐらい」  同様の厭世観《えんせいかん》にとらわれていた様子の水野がいった。次にわたしたちは二階の中根氏の書斎に移った。ここにも生臭い死の臭《にお》いは充満していた。あつらえの古い西洋机の上の血溜《ちだま》りを取り囲むようにして、頭部の丸い形が描かれている。中根揮一郎は机の前の椅子に座って、床に降ろして椅子にたてかけた猟銃をくわえたのだ。 「そしてここまでは佐藤さんのいう通り。これからよ」  水野はそういってわたしを急《せ》かし、ドアのある方向へ歩きかけたが、わたしは引き出しの把手《とつて》に見入っていた。わたしは何かに魅入られたかのようにその把手に手をかけた。引く。そして、 「何? どうしたの?」  といって彼女がわたしの手元をのぞきこんだ時にはもう、古新聞の切り抜きを手にしていた。ただしそれは変色して朽ちかけている現物で、透明のファイルに保管されている。わたしはそのファイルごとつまみあげたのだった。  そのあとわたしたちは長男中根君彦氏の家を訪ねた。その際に、 「長男の君彦四十五歳、もしくは嫁の治子《はるこ》三十八歳が犯行に及んだ。その可能性も当初皆無とはいえなかった。家族間の不仲とか、相続の問題とかのもめごとがあったとしたら、こうした事件の原因にはなるからね。ただ昨夜、知人のパーティーに出席した二人には、アリバイ的にも、猟銃の扱いという点をとっても犯行は不可能だったと見做している」  と佐藤はいった。  わたしたちは長男の家の応接間に通された。中根揮一郎の家に比べてこちらの方が明るい印象を受けた。カーテンや調度品の趣味のせいだろうかと思いかけたとたん、茶を運んできた夫人に十七と十六、年子の娘がいると知らされた。彼女たちは今頃、きっと二階の自分の部屋で息を潜めているにちがいない。  水野は犯行があった時間の二人のアリバイをもう一度確認した後、娘たちの行動についても聞いた。 「家にいたに決まっているでしょう」  ソファーに座ったまま、所在なげに煙草をふかし続けている中根君彦がぶすりといった。抗議の口調である。君彦氏は早朝から騒動に巻き込まれていたというのに、すでに背広姿で、髪も撫《な》でつけている。中根揮一郎とは外見もよく似ていた。一目で親子とわかる。几帳面《きちようめん》な性格までも受け継いでいるとわたしには感じられた。  水野は笑みを浮かべたまま質問を続けた。もっとも視線は鋭く、目の色にはいっさいの感情が除外されている。今にも凍りつきそうな冷徹な表情だった。 「経営をめぐってあるいは異母兄弟の弟さんをめぐって、相続の問題とか、お父さんとの間に意見が対立することはなかったんですか?」  ずばりと切り込んだ。 「それはありました」  すでに相手は水野の迫力に気圧《けお》されていた。 「でもその程度の意見のちがいは世代がちがえば、どんな親子でもありうることだと思います。それと父は年がいってできた子供である弟を溺愛《できあい》していたことは事実ですが、弟を跡継ぎにとは考えていませんでした。跡継ぎはわたしたちの娘のどちらかにふさわしい婿を、山野書房の社員からという話をよくしていました。何やらそれが父の先祖のやり方でもあるとか。そのへんのくわしい思惑《おもわく》はわかりません。芳彦がふさわしくないのは虚弱だからです。弟の場合、生まれつき強度のアレルギー体質という以外、医者もよくわからないようでした。だから処置の施しようもない。そのせいで幼稚園もほとんど行かずじまいでしたし、むりやり押し込んだ私立の小学校も行ったのははじめの一日か、二日では? 父は不治の病や悪化を辿る持病を持っていたわけではありませんから、それが原因ではなく、芳彦のことを案じるあまり、こんなことをした。それならわたしにも理解できるのです」 「失礼ですが、お父さまと後妻の瑞穂さんとはずいぶんお年が離れていますね。結婚に反対はしなかったのですか?」  さらに水野は突っ込んだ。 「結婚については祝福しました。だってそうでしょう。父はわたしが中学一年の時、母に死なれてからずっと独り身を通してくれていたのですから。それに瑞穂さんという人は、父が非常勤を務めていた先の女子大の教え子なんです。非常に優秀で真面目《まじめ》な信頼のおける人でした。派手好きでもありませんし、年が離れているとはいえ、父とは似合いに思いました」 「奥様と瑞穂さんとは?」  水野は視線を隣りの夫人に向けた。 「年が同じなので気が合いました。それにわたしも大学は違いますが、お義父さまの教え子なんです。何かの縁だわねっていいながら、嫁、姑《しゆうとめ》という仲ではなく、お友達みたいにおつきあいさせていただいていました」 「ということは中根さんと瑞穂さんも、民俗学を通じて話の合う、仲のいい夫婦だったわけですね」  わたしは念を押した。とするとどうして中根揮一郎が最愛の妻にではなく嫁に、朝起こしてくれと頼んだのか、理由がはっきりしてきた。彼は嫁に特別の親近感を抱いていたわけではなく、ただ殺人現場を通報する役目を担わせたにすぎない。 「それはもう。それだけに芳彦さんの体調や前途のことでは、お二人とも悩みは深かったと思います」  夫人の治子は沈痛な面持ちで頭を垂れた。 「実は見ていただきたいものがあるんです」  わたしは手にしていたファイルを治子夫人に手渡しながらいった。 「これはいつの新聞記事ですの?」  記事を読みはじめた夫人は、旧仮名や旧漢字の羅列に閉口した様子でいった。 「はっきりとはわかりません。ただし高知県とあるから廃藩置県以後の明治期から、出版物が新仮名、新漢字で統一される前のもの、戦前までが射程距離です」 「ようは高知県中村郡|神《かみ》の木《き》村というところで起きた村民の暴動。原因不明の流行病で、パニック状態に陥った村民が警察関係者をリンチにしたという事件ですね。これが何か?」  読みおわった相手はわたしに向かって首をかしげた。 「この記事もしくは事件について、亡くなったお義父《とう》さんと話されたというようなことはありませんか?」 「どうでしたかしら」  夫人は数秒視線を宙に泳がせたあと、 「義父《ちち》からはたくさん民俗学に関する面白い話、興味深い話を聞かせてもらいました。でもこんな陰惨なものは一つもなかったように思います」  といった。  するとそこへ君彦氏が、 「第一これは単なる犯罪の三面記事でしょう? 父の専門とも関わりあいなどない」  割って入った。 「ところがそうでもないんですね。ここを見てください」  わたしは夫人からファイルをとりあげて彼に渡した。 「タユウ、巫女《みこ》というのが出てきていますね。これは民俗学の用語なんです。犯罪の理由や経過を文化人類学や民俗学で立証しようとするジャンルもあります。中根先生はそのためにこの記事をファイルされていた。そう考えることもできます」 「それが事件や父の死とどう関係するんです? それ以上のお話はその因果関係がはっきりしてから聞きたいものですね」  そこで中根君彦はそっぽを向いてしまい、戸惑い気味に事態を見守っていた妻を下がらせた。  中根家を辞したわたしは水野と別れ、開館を待って国会図書館に潜入した。わたしは中根揮一郎の机の引き出しにあったその記事に魅せられていた。何としても事件の詳細が知りたかった。  午前中いっぱいかかって知り得る限りの情報は得た。切ってあった携帯のスイッチをいれて警視庁の水野を呼び出す。 「こっちは何度も電話してるのよ」  彼女は不機嫌な声を出した。 「すまない。とにかく即刻会った方がよさそうだ」  その後三十分ほどして、わたしたちは館内の談話室で向かいあった。 「そちらからどうぞ」  わたしは彼女を促した。 「中根揮一郎、瑞穂、芳彦、宮本正子、四人の検死結果が出た。現場を見た佐藤さんの見解とほぼ同じだったわ。つまりこれは中根揮一郎の無理心中。原因は病弱な愛息の前途を悲観してのこと。事件は解決。でもね、わたしは気にかかるの。どうして中根揮一郎はお手伝いの宮本正子まで殺さなくてはならなかったのかしら? あなたの意見が聞きたい」 「その前に君の刑事としての意見を聞くべきだと思う」 「唯一考えられるのは中根揮一郎が彼女をも�家族��身内�だと思っていた可能性。例えば愛人であったとかね。でも聞きこみ捜査からそれはないとわかっている。あと残るは芳彦君に多大の愛情を注いでいた宮本正子がともに死をと願ったケース。残念ながらこれもなし。中根揮一郎の銃弾は宮本正子の体に四発打ち込まれていた。つまり彼女は念のいった殺され方をしている」 「なるほど。ということは彼女ははじめから無理心中の標的であったわけだ。たしかに謎だな」 「でしょう。彼女に当日休みでも出しておけば、お隣りの治子夫人にわざわざ死体発見の任を押しつけなくてもすんだわけですもの。従来この手の犯罪でお手伝いさんが果たす役割は第一発見者と相場が決まっている」 「考えついたのは彼女が奥さん方の縁戚だということ。生き残ったらかえって悲しむだろうという思いやり。きれいごとすぎる?」 「まあたしかに宮本正子は縁者がほとんどいない状態。でもこれは瑞穂夫人にもいえることよ」  そこでわたしたちはため息をつきあい、しばし黙りこんだ。だがすぐに、 「あなたの方の話を聞かせてちょうだい」  水野は気力を取り戻した。 「中根揮一郎が保管していた新聞記事の出所がわかった。大正元年八月十四日の毎朝新聞。中根揮一郎はまだ生まれていない。だから先代中根太郎からの申し送りということになる。奇妙な家宝だな」 「家宝だったら銀行の貸し金庫か何かに保管していたでしょうに。単に捨て忘れていたゴミの一部なんじゃないの?」  水野は中根君彦宅に居合わせた時からすでに、この記事には興味薄の様子だった。まさしく立証と無縁なことは信じない刑事魂。わたしの執拗《しつよう》なこだわりに呆《あき》れているのだ。だがわたしは彼女の反応を無視して先へ進んだ。 「幸いこの事件をもう少しくわしく扱っているルポルタージュが見つかった。『日本の毒殺』という書名。昭和の初期のものだ。作者は匿名の社会主義者。これによれば、村民のパニックや警察への疑いは根も葉もないものではなかったとしている。彼らは巡査たちが村の共同井戸に毒を放りこんだといって騒いだ、あるいは、警察が設けた仮派出所での疫病対策に業《ごう》を煮やしたとされているが、これらはすべて無知|蒙昧《もうまい》がなせる業《わざ》ではなく、悲惨な真実とそれへの抵抗だったと見做している。もちろん巡査殺しもその一環」 「井戸の消毒は石炭酸ではなく砒素《ひそ》で行なわれたとでもいうの?」  記事を一通り読んでいる水野はやれやれといった顔になった。 「そう、まさしく砒素という毒薬名まで出てきた。つまり疫病などというものは存在しなかった。村民たちは疫病と偽られて毒殺されたと書かれていた。そしてこの神の木村は全滅した。ただこの作者もわからないと匙《さじ》を投げているのがタユウと巡査の関係。記事にもあるように村民たちはタユウと巡査が共謀していると疑った。これがわからないというんだ。タユウ、巫女とは日本の地域社会における、漢方以前の太古からの民間医師なんだ。呪術《じゆじゆつ》と薬草によって村民を癒す神に近い存在。強い味方のはず。そのタユウと国家権力の象徴である巡査との結託は、考えられない構図だ。僕にもわからない」 「四人いた巡査のうちの一人は助かったようだし、タユウは殺されたとは書かれていなかった。この人たちの線を辿って聞いてみれば?」  水野はすでに呆れ顔から怒りの表情に転じている。そこでわたしはとっておきの一言をつけ加えた。 「この事件の解釈は今度の毒殺事件の教訓につながるものだよ。わかっていることだけ、表面だけなぞっていたんじゃ、真実は姿を現わさない。真犯人は被害者のうちの一人でもなければ、狂気の大量殺人者でもない。少なくともそういう可能性だってある」 「じゃあ、誰なの?」  水野が苛立《いらだ》った声をあげた。    十 「ごぶさたです」  電話の椙山はまずそういった。中根揮一郎一家の惨事から約三週間がたっている。椙山は言葉を続けた。 「密葬とはいえ、お立場のある方なので、いろいろ大変でした。後で聞いた話なのですが、先生は現場を見られたそうですね」 「ええ。山梨県警で取り調べの後、一報入って水野刑事と同行する羽目になったんです。偶然ですよ」 「原因はやはりご子息の病気と行く末を悲観してのものでしょうか?」  それをいわれた時、またしても黄色い古新聞の字面が頭に浮かんだ。だが、 「わかりません」  と答えた。 「ところで中断していた例の�日本人の薬膳《やくぜん》�の件なのですが、続行させたいと思います。ただ難解な事態に陥りまして」  椙山の声がわずかだがよどんだ。 「絵島先生のことですか?」 「よくおわかりですね。どうやら先生、ご自身が作られたレシピにこちらが難色を示していると、察知されたようなんですよ。それで病院を出られると何もこちらへは連絡してくれずに、京都のご自宅へ帰られた。こちらから連絡をさしあげるまでそれっきりでした。おととい電話で話しましたが、上機嫌この上なし。もうすっかり体調もいいようです。ただし京都のご自宅で編集会議を開きたいとおっしゃる」 「あのレシピで進ませるための懐柔作戦ですね」 「もちろん。なかなかの策士ですよ」  椙山はさらにゆううつそうな声になった。 「京都で編集会議。河岸を変えるのもいいんじゃないですか」 「出席してくださる?」  沈んでいた椙山の声がほっとなごんだ。 「ええ。今は夏野菜が旬《しゆん》を迎える頃でしょう。京野菜も例外ではない。実をいうと京野菜に興味があるんです。長寿食としての薬膳というコンセプトも面白いけれど、野菜の在来種には格別の薬効があったという推理、これもなかなか捨てがたいと思っていました」 「たしかパーティーの当日、新海先生とやりとりなさっていたテーマでしたね」 「ええ。だからわたしとしてはこの在来種の野菜にこだわるのが、新海君への供養にもなると思う」 「そうですね。そう思います」  椙山は即座に賛成した。 「新海君、あなたに執筆箇所の要点みたいなものを何か、残していませんでしたか?」  わたしは気になっていたことを口にした。 「いえ、いただいていません。新海先生の名誉に関わることですのでここだけの話ですが、絵島先生のレシピを見てから考えるとおっしゃっていました。追従とまではいいませんがご自分の方が何歩も引いておられた」  聞いたわたしは新海が会場で見せた、およそ従来の彼とは不釣り合いな姿を思い出していた。仕立てのいい高価な背広、行き届いた気障《きざ》なおしゃれ。距離を感じさせた雰囲気。 「本意とは思えない」  わたしは思わずつっぱねたいい方になっていた。 「同感です。ですから先生が在来種の野菜にこだわるのは大賛成なんです。それと京都が出身の絵島先生も、京野菜の見直しについては好意的だと思います。これは一挙両得ですよ」  すっかりほがらかになった椙山は抜け目なくいい、 「なるほど」  とわたしは苦笑して電話を切った。  それから五日後の土曜日、わたしは八時台の新幹線で京都に向かった。絵島郁子の家は愛宕山《あたごやま》を望む右京区に建てられている。この絵島邸で行なわれる編集会議は夜の六時からで、それまでの時間わたしは京野菜についてのフィールドワークを行なうことにしていた。  十一時近く京都駅を降りるとまず四条河原町《しじようかわらまち》まで歩いて、錦市場へと足を踏み入れた。市場のあるアーケードは新京極《しんきょうごく》の錦天満宮から高倉通りまでの約四百メートルに及ぶ。狭い道筋の両側にぎっしりと並んでいる店舗の数は約百五十。商われているものは鮮魚や干物、京野菜、かまぼこ類、漬物、惣菜《そうざい》、乾物など。  京野菜専門の店の前で立ち止まってみた。瀟洒《しようしや》なつくりの店舗の中に長岡京《ながおかきよう》市などと、産地の名札をたてられた京野菜の数々、賀茂なす、伏見とうがらし、京うど、くわい、桂《かつら》うり、九条ねぎ、壬生菜《みぶな》などが芸術品のように鎮座している。  わたしは高倉通りから入った。アーケードの天井は低く、歩く道は二メートルも幅がない。奇妙な興奮にとらわれていることに気がつく。うす暗いトンネルの中にさまざまな食物が生きて蠢《うごめ》いているかのような印象。あるいはねばりつくような目に見えない情念の存在。ある種の異様な熱気はこの地に住む人たちが、何代も伝授を続けてきた貪婪《どんらん》な食欲そのものではないかとふと思う。  もしかしてこういった食物にまつわるこだわりの歴史と、京野菜などの在来種を生かし続ける念力じみた情熱こそ、各々の食物に科学を超える薬効をもたらすのではないか?  市場のアーケードを出たわたしは知らずと買物客の波に乗って、錦天満宮に向かっていた。錦天満宮は錦市場の守り神といわれ、ここの境内に湧く清水は錦の水を象徴するといわれている。水と調理を含む食とは密接な関係がある。わたしはここでまたしても食の根源について再認識させられた。  錦天満宮に詣《もう》でてから北区上賀茂池端町にある夏目四郎《なつめしろう》宅へ向かった。夏目四郎は山野書房の椙山から紹介された人物。市内で農業を営んでいる。驚いたことに京都市内ではこういった農業者が少なくなく、京野菜の生産を支えているのも彼らだというのだ。これはうれしい話でもあり、同時に羨《うらや》ましくもあった。 �なつめ青果店�の看板が見えてきた。老女が店番をしている簡素なテントの前が約束の場所だった。夏目氏に会いたいと告げると、老女ははいはいといって、一度奥へ引っ込んだ。 「はじめまして。日下部です」  わたしは名刺を渡しながらいった。 「夏目です」  作業服姿の相手はよく陽に焼けた顔に白い歯を見せた。電話の感じとはちがってぶっきらぼうな第一印象ではない。といって人好きというわけでもなく、飄飄《ひようひよう》淡々としているのがさわやかだった。京の風のような人だとわたしは思った。  年齢はこめかみに白いものが目立ちはじめている頭髪から推察して、五十代前半。背はわたしの顎《あご》ほどだが、ひょろりとしていない。筋肉質の逞しい身体に贅肉《ぜいにく》の忍び寄る隙《すき》はないように見える。 「まあ、ざっとごらんになってください」  そういって彼は先に立って歩きはじめた。�なつめ青果店�の奥は事務所と加工のための工場になっている。さらにその奥がビニールハウスだった。一番はじめに入ったハウスの中はまるで野菜の博物館。柊野《ひいらぎの》ささげ、桂うりなどの京野菜の苗に混じってあしたば、アロエ、つるむらさき、ニガウリ、バナナピーマン、しそ、バジルなどが植えられている。  めずらしいものの一つはケナフで、これは空気中の炭酸ガスを吸収する有益植物だという説明があった。あとところどころにマリーゴールドを植えているのは、土中の線虫から農作物を防御するためだという。 「特にごらんになりたいのは京野菜でしたね」  そういいながら彼は隣りのハウスへと進んでいった。 「今は賀茂なすのシーズンです。ただし今年は畝《うね》に二本しか植え付けていません。ここ三年、三本ずつ植え付けてきたので土がくたびれてきている。何といっても農業は土づくりが一番。わらやさとうきびなどの有機肥料とリンや石灰などの無機肥料のバランスをとって、とにかくいい土を作ること。作物にいい土というのはその昔、自然土の中にあった。ところが今や自然や環境が破壊されてきていて、自然のままのいい土が壊滅状態になっている」  幸いなことに夏目氏は雄弁のようだった。 「ということはいい土で作った野菜はそれだけ優秀だということですね」 「もちろん。まずビタミンCの含有量についていうと、京都の辛味大根は標準値の三・九倍、土中にあった根が食用の堀川ごぼうは四倍です。また高血圧などの生活習慣病の予防に効果があるとされているリノレン酸の含有量は、鹿ヶ谷かぼちゃは日本かぼちゃの六・八倍、山科なす、えびいも、金時にんじん、九条ねぎ、辛味大根は二倍以上です。その他に聖護院かぶなどのかぶ類をも含む十六種の京野菜の食物繊維の量も見逃せない。土中にある根を食べるものが高く、標準値の二倍以上」 「ということは土が変わると成分や効能も変わってしまうわけですね」  わたしは新海が辛味大根のある種類は、決められた場所でしか作れないといっていたことを思い出していた。 「当然ですよ。たまたまこの京都は伝統ある古都で、市政が外観保護に熱心だった、だから京野菜が残されてきたといえる。もっともこの外観保護というのは環境保護ではないから、目に見えないところからじりじりと侵食されてきている。京野菜にしていただけないものが出てきている。土がよくないと見た目は同じでも味がよくない。ひいては身体によくない。とはいえこんなことを真剣に考えて土作りをしている農家は少ないんです。京野菜と銘打てば売れると単純に思いこんでいる輩《やから》が多いですから。土のことは考えない。その意味では京都の農家は遅れている。学ぶべきは東北です」 「東北?」 「年何回か、岩手県で行なわれる勉強会がありましてね。全国から参加者があります。スポンサーは京都市内にあるスーパーのオーナーと聞いています。これはこの土地の誇りですよ。土だと確信したのは参加してみた成果でした」  そこで夏目氏は一度言葉を切り、水田やとうもろこし畑も見学するかと聞いてきた。 「お願いします。ただそれとは別に一つ気になっているのは唐辛子類なんです。さっきのビニールハウスの苗床に唐辛子がなかった。唐辛子は京野菜の主要メンバーのはずでしょう?」  彼は微笑んだ。 「そのことなら追って説明しますよ」  それからわたしは夏目四郎の運転するライトバンに同乗させてもらって、まず�なつめ青果店�の半径一キロ内外にある水田や麦畑、とうもろこし畑を見せてもらった。どれもささやかといえばいえる程度の耕作面積だが、祇園《ぎおん》などのネオン街に隣接していることを思うと驚異だった。特に田植えの終わったばかりの水田は、まだ短い稲穂が青々しく力強かった。ある種の豊かさを感じさせてくれる。 「これらの土地は全部地主から借り受けている借地です。京都の冬は底冷えしますが農業には適している。ここは悲惨なほど冷涼な夏もある東北とはちがいますからね。うちでは今でも借地料は米や野菜で払います」  夏目氏は水田やとうもろこし畑では車を止めずに先を急いだ。 「ここですよ」  着いたのはビニールハウスの前だった。 「唐辛子もビニールハウスで栽培するんですか?」  彼に続いてハウスに入りながら思わずわたしは感想を洩《も》らした。  ハウスの中には八十センチほどの草が並んでいる。よく見るとどれも枝から緑色の大小の実をぶらさげていた。唐辛子の形ではあった。 「細長いのが伏見とうがらし、肉厚なのが万願寺とうがらし、小ぶりなのが田中とうがらし。すべて青とうがらしの種類で甘く風味がある。皆、ししとうの種類です。天ぷらにしたり焼き物、煮物に使う。辛いものはここでは作っていません」  そういいながら相手は個々の唐辛子をもいでわたしに渡してくれた。 「食べてみてください」 「京都では辛い唐辛子は作らない?」  これが気になった。 「わたしたち世代の地元の人間は食べないが、若い人やアジアから来た人たちに需要があります。それで作ってはいる。ただし山の上です。辛い唐辛子と青とうがらしを同じ場所で作ることはできない。辛い唐辛子の花粉のせいで辛くない唐辛子まで辛くなってしまうからです。このハウスにしてもたった一本辛い唐辛子が混じっていれば、他もすべて辛い実をつけます」 「なるほど。ビニールハウス内で栽培されておられるのも、辛い唐辛子の花粉に汚染されないようにとの配慮だったんですね」  わたしは納得した。それから思いついて、 「一時マスコミで唐辛子が注目され、あの辛味の成分、カプサイシンが血行をよくして身体を暖める、ひいてはダイエットにもいいといわれましたね。となると辛くない唐辛子は薬効があまりないということになりますか?」  と聞いた。 「カロチン、ビタミンC、B1、B2の含有という点ではどの唐辛子も優秀だと思いますよ。むしろ野菜のように抵抗なく食べられる辛くない唐辛子の方が、こうしたビタミン類を摂取しやすい」  相手は在来種の唐辛子を弁護した。 「ただし辛い唐辛子の方にある薬効は持たないわけですね」  なおもわたしはこだわって念を押した。すると彼はやや気むずかしい顔になって、 「わからない部分のわからない効能については無視しているわけです。ですからこの唐辛子類についても、辛いものはこれこれ、辛くないものはこれこれと効能を限定するのは実は正しい判断ではないんだそうですよ」  といってから、 「加えて植物の品種を確定、維持させるむずかしさがありますね。さっき京野菜の優秀さを知ってもらいたくてつい、数字を口にしましたが、あれはあくまで統計なんですね。個体差がある。例えばこの辛くない唐辛子が花粉の影響で突然ほどほどに辛くなったとする。その場合の個体はどういう数値を示すか? もしかすると、とてつもない薬効を持つ唐辛子に変身しているかもしれないんです」 「面白いお考えだ。大変参考になります」  そこでわたしは抱えているテーマである�日本人の薬膳�と在来種の辛味大根へのこだわりについて話した。そして最後に、 「どうも土だけにこだわりすぎていたようです。あなたの唐辛子の話で視野が開けました」  と礼をいった。  別れ際に彼はまたこういう話もしてくれた。 「大根の煮付けをふるまう寺が京都にあることはご存じでしょう。あれは中風《ちゆうぶう》の予防といわれていますが、呪術的な意味もある。時間がおありなら、鞍馬山《くらまやま》の地下をのぞいてみてごらんなさい。お調べになっていることの参考になるはずです」  それで彼と別れたわたしは出町柳《でまちやなぎ》駅に出て、叡山《えいざん》電鉄鞍馬線に乗ることにした。京都も鞍馬もはじめてではないが、今までのはどれも観光が目的だった。  時刻は午後一時すぎ。空腹であることに気がついて途中、ガイドブックで目星をつけておいた洋食屋へ立ち寄った。ここは夏目氏の自宅からも近い下賀茂の住宅街にある。京野菜を使ったおそうざい西洋料理というのが売りである。  一階はフルーツ類と京漬物の売店になっていて、二階がレストランである。  レストランでは野菜カレーを注文した。サービスにりんごをベースに大根、京水菜、せり、金時にんじんなどをブレンドしたジュースが出てくる。カレーの方はたけのこ、なす、うど、えびいも、くわい、ししとうなどの具がふんだんに入っていた。もちろん素材は新鮮。歯ごたえと舌ざわりがいい。ただしルーは市販の化学調味料と油脂たっぷりのものであることにまちがいない。パンチのきいたレトルト風味。  もっともがっかりはしなかった。空腹時にはこの癖になるインスタント味はなかなかのものだったし、大盛り七百円、何より安かった。  実をいうとわたしは、京野菜について足で調べるのだから、何とか京野菜に関わる旨《うま》い物を食べてやろうと計画していた。その際すぐに、著名な寺の精進御膳とこの地ならではの野菜寿司が候補に挙がった。だがそれらにはあまり魅力が感じられなかった。  だからここ、流行に敏感で商魂たくましい、およそ京都らしくないようなところを選んでみたのだ。そしてわたしは、 「ここの京野菜はどこから仕入れるんですか?」  と支払いの時に聞いてみずにはいられなかった。  ここからは夏目四郎宅は近い。半ば期待したが返事に彼の名は出てこず、別の名が何人か挙げられた。 「いずれも近くの農家です」 「なるほど」  わたしはうなずいた。ここには夏目四郎のような農業従事者が何人もいる。その事実がうれしく頼もしかった。そして旨いカレーだったとさらにしみじみ思った。 「今、京都のよさは、町中で育つとれたての野菜で作った料理を食べさせてくれることですね。こんな奇跡はわたしの育った札幌近郊でももうありませんから」  わたしは思わず正直な感想を口にしていた。    十一  始発の出町柳駅から終点の鞍馬駅までは三十分ほどの距離である。この線は典型的なローカル線の一つで、山深く進むにつれて、車窓からは老杉が見え、流れてくる風は冷たく感じられる。  驚いたことに鞍馬駅に夏目四郎氏が立って待っていた。さっきと同じ作業服姿。照れたように笑って、 「あなたに鞍馬の話をしたら自分も来てみたくなりました」  といった。それを聞いてわたしはうれしくなった。相棒ができたこともうれしいが、突然こんな粋狂な行動をとる相手と知りあえたことを幸運に感じたのだ。彼は、車は近くの駐車場につけてきたからと断わって歩きはじめる。  わたしたちはひなびた鞍馬寺山門から、山上の本殿をめざした。午後三時少し前。ケーブルを利用しないで、つづら折りの道を辿《たど》った。紫式部や清少納言も詣《もう》でたという信仰の山道である。  途中、夏目氏が樹木や野草の説明をしてくれる。めだつ高木はカゴノキ、タラヨウ、ウラジロガシなどの暖帯性の常緑樹、欅《けやき》、桂《かつら》、イロハカエデなどの落葉樹、それにモミ、ツガ、杉などの針葉樹。 「多様ですね」  思わずそういった。わたしの故郷ではこんなに樹木の種類が豊富ではない。 「前にもいったでしょう。京都の自然は豊かで人に優しいんです。だから住みやすく、文化が栄えた」  彼のいった言葉はさっきのわたしの感想とよく似ていた。 「ここに食べられる野草というのはありますか?」  わたしは聞いた。 「面白い質問ですね」  相手は微笑んだ。続ける。 「ここへ来てそういう日常的なことを思いつく人はあまりいませんから。鏡餅《かがみもち》にかやの実を入れるとか、ふたばあおいと桂で葵祭《あおいまつ》りの牛車を飾るとか——。古都特有の儀式に使われる植物の使い道についてなら、結構興味を持つ人もいるんですけどね。思いつくままにあげてみましょうか。まず花いかだ。これは若菜を摘んで茹《ゆ》でて食べる。あと果実酒にするニワトコ、薬用植物では弘法大師が用いたという腹痛に効くクロバナヒキオコシ、強壮剤のつるにんじん、オタカラコウ。実はあまりくわしくありません」 「おや、笹がありますね」  わたしは近くの笹の茂みに目を止めた。郷里に驚くほどはびこっている隈笹《くまざさ》を思い出したからだ。それとよく似ていた。もっとも初夏なので白い隈どりはまだ見受けられない。 「ちまき笹ですよ。隈笹の一種。八坂神社の祇園祭に使われます。中に人がたに巻いたちまきを入れて包み、一年間戸口に吊《つ》るして無病息災を祈る。清々《すがすが》しい笹の香りや葉にはきっと、腐敗防止の効能があると信じられていたのでしょう。もっとも今は不衛生ということになってちまきのモチ米の代わりは藁《わら》ですが。この笹は富山の鱒《ます》寿司などにも使われているはずです」 「となると食を媒介にして植物と儀式がつながりますね。今や儀式でしか知られないかややふたばあおいにしても、その昔は何らか食生活とつながっていた可能性がありそうだ」  わたしは大胆な推理をし、 「たしかに食は人間の生活の基本ですからね」  夏目氏はうなずいた。  本殿に登りつくとそこにはすでに、ケーブルを利用してきた観光客があふれていた。 「まずはおさだまりのコースを行ってみましょうか」  促されてさらに上へと続いている山道を登った。行き着く先は奥の院魔王殿。途中、 「群生しているツガの木の根に気をつけてください。躓《つまず》きますよ」  と声をかけられた。  奥の院は不可思議な形をした奇岩の上にあった。夏目氏の説明によれば岩は水成岩で、サンゴやウミユリなどの化石を含んでいるという。二億六千年前は南洋の海底にあったのが、長い年月をかけて北上し、隆起したものだった。 「ここは磐座《いわくら》といわれ、上古の人々は神の鎮座する場所として崇拝しました。鞍馬寺の創始者魔王尊が有史以前、金星から降臨したといわれるのもここです。魔王尊は地下空洞を含む地球を支配し、人類の父ともいわれ、意志と勇気と創造と進化の神であり、地上に大創造と大破壊をもたらします。魔王尊は守護、祝福の神であると同時に裁きの神でもあり、神の正義に反するものは破壊されてしまうのです」  彼は魔王尊について熱っぽく語った。 「魔王尊の姿かたちは人間と同じですが、十六歳の若さのまま不老不死です。人界に残っている肖像画は、絵師狩野法眼元信が燃えるような熱い信仰によって描きあげた一作だけです。ただしこれの公開は六十年に一回、丙午《ひのえうま》の年に限られていますが」 「意外でした。寺というからには仏教で、宗派の名が告げられるものと思っていましたから」  わたしは異境を感じさせる木立と風の流れの中に身を置いていた。 「この他に鞍馬寺の本尊は毘沙門天《びしやもんてん》、千手観音。どれも仏教の神で信仰の厚い修行者の僧たちがここで奇跡の降臨を見たとされています。毘沙門天は太陽の神で福徳、幸運を、千手観音は月の神で慈愛をもたらすものです」 「魔王尊は従来の日本の神々とは異質に感じられますね。魔王尊には裁きの一面があってキリスト教の神を想わせる」 「金星から降臨したというあたりが、唯神的な信仰に結びついているんじゃないかと思います。魔王尊は人類が遠い未来、水星に移住する時に先導してくれるともいわれていますから。何だか最近流行しているハリウッド映画みたいで、ここまでくるとつきあえない」  そういった彼はさすがに苦笑した。  それからわたしたちは来た道を降りて本殿に向かった。ほぼコンクリートの塊といっていい、新築の本殿が落成してからまだ三十年はたっていない。 「一階はどうということもありません」  夏目四郎は、展示物が並べられ小冊子や資料などが売られている売店を横目にしながら、入ってすぐの階段を下りはじめた。階段は石でできていて、地下からは絶えまなく、ひんやりとした風が上がっている。  最後の一段を降りるとさらに空間の冷たさは増した。わたしはよく晴れた空の下の熱気や光が、あるいはぴかぴかのショールームを想わせる、手入れの行き届いた一階の様子が遠いもののように感じられた。 「鞍馬寺へ来る観光客は多い。でもここへ来る人は少ない。もちろんここは見学自由。禁止などされているわけではありません。ただし積極的に順路の札はたてていない」  彼はそういいながらぱちんと音をさせた。壁の電気のスイッチが操作されて、地下の暗闇《くらやみ》が青白い蛍光灯の下に浮かび上がった。  縦横に陳列棚がしつらえられていて、白い素焼きの壺《つぼ》が並べられている。壺は両手の中にすっぽりおさまるほどの大きさ。どれにも姓名を書いた紙が貼《は》りつけられている。アイウエオ順に分類されていた。剃髪《ていはつ》という文字が目に入った。たぶん壺の中身を示しているのだろう。  特に異形のものを見たというわけではなかったが、わたしはぞっと背筋が寒くなるのを感じた。 「どう思われます? これは単なる信仰の証《あか》しでしょうか? それともここは墓地のない鞍馬寺の墓地代わりだと思いますか?」  相手に聞かれた。 「信徒は骨壺の代わりに髪壺をおさめていると? 考えられないでもありません。遺骨、遺髪という概念は並列していますから。ただそれに加えて何やらもっとまがまがしいものを感じますね。呪術《じゆじゆつてき》的なものというか——」  呪術という言葉は夏目四郎がわたしに、ここへ来てみろといった際にすでに使われていた。 「これは何かわかりますか?」  彼は中ほどに立っている羽のある彫像を指さした。黒光りのするその巨大な像は天井に向かって屹立《きつりつ》している。 「天狗《てんぐ》ですよ。鞍馬寺の天狗は有名で本殿の外の離れにも祀《まつ》られています。ただこれはちょっとちがうんです」 「凶悪に近い強さ」  わたしは思わず口にしていた。鞍馬寺にある天狗の間は以前、学生たちと来た時にのぞいたことがあった。そこに鎮座していた天狗は羽こそ目の前のものと同様についていたが、どこかユーモラスで人畜無害な印象だった。 「偶像崇拝。六十年に一度しか見られない魔王尊の代わりですね」  わたしは確信をもっていった。 「まずまちがいないでしょう。ただし謎はなぜ魔王に羽がなければならないのか、魔王と天狗は合体させられなければならなかったのかなんです」  そういって彼はわたしをじっと見据えた。  わたしはその後、一度下山してケーブルに乗った。  夏目四郎氏とは山門で別れた。鞍馬駅から市内までの電車を一時間近く待ったこともあって、終点の出町柳駅に着いたのは五時すぎになっていた。  右京区にある絵島邸に着いたのは約束の六時ぎりぎり。まだ陽は落ちていない。総檜造《そうひのきづく》りの表門の前に降ろされてまずあわてた。上質の分厚い檜が織り成す造形美に圧倒されたからではなかった。 「こちらへ向かわれる時に出先からお電話ください。そうでないと長くお待たせすることになってしまいます」  東京を出る前、そういってかけてきた絵島なつみの電話を思い出したのだ。  つまり絵島郁子の家は一庶民の想像しうるようなものではなかったのだ。例の表門の周囲はうっそうとした庭木の茂みで、家屋らしきものはどこにもまだ見えていなかった。  わたしは電話をしそびれたことを後悔しながらインターフォンを押した。 「今行きます」  インターフォンの向こうでなつみがくすりと笑うのが聞こえた。  檜の門が内側から開いた。現われた彼女はブルーのシンプルなワンピース姿。大輪の白バラの印象がスズランに変わった。元は郷里の野山に生息していたというこの可憐な花が、わたしは好きだった。香りまでその姿同様清々しい。ただし、もう野生地はわずかな場所に限られている。 「何分待ちました?」  なつみはやはりくすっと笑いながら聞いてきた。 「この門の前で十五分」  彼女は腕時計に目を落としかけたわたしが答える前にいい当てた。 「へえ」  わたしは思わず驚きの声を洩らした。それから前を行くなつみの後について坂道を昇りはじめる。時折立ち止まった。これは何だろうかという思いで建っている建築物などをながめる。そのたびになつみが、 「それは従業員の寮舎です」 「あれは伯母《おば》専用の工場兼台所」 「あ、そこ、第一庭園」  などと説明してくれる。  いよいよ小高い丘の頂上に行き着くと、そこに開けたのは京都の寺社の庭園を想わせる佇《たたず》まいだった。枯れ山水や石庭などの建築様式がミックスされたつくりの庭園で、北山杉や鞍馬赤石、白川|灯籠《どうろう》といったグッズも興を添えている。ゆるやかなカーブを描いた美形の小さな山と、竹やぶのコントラストも充分絵にはなった。ただしおさまりがいい構図すぎるような気はしたけれども——。 「ついでにいうとね、あの山も竹林も伯母のもの。この庭も今からご案内する家もあと三ヵ月ほどの命。取り壊しちゃって、畑にするんだそう。伯母が誰かから聞いてきて、山の見えるところに女が住むのは山の神様に申しわけないなんていいだしたから。これって馬鹿げてません?」  なつみは笑いながら同意を求めた。 「馬鹿げてるかどうかは個人の判断の問題だからわからない。ただ勿体《もつたい》ない。それならわかる」  わたしもいいながら笑った。  その後家の中に案内された。廊下はすべて一枚板で丹念にふきこまれている。 「これ全部、寮舎に住んでいる従業員の人の日々の努力のたまもの。伯母は感情的でわがまま者の上、人使いが荒いしケチだからみんなよく我慢していると思う。これもひとえに絵島郁子崇拝のなせる業。伯母の近くにいれば誰でも、あんなに若く美しくいられると思わせるマジック。しょせん人間は弱いと感じさせる話。ちがいます?」  なつみは遠慮のない舌鋒《ぜつぽう》であけすけに絵島郁子を評した。 「その君はその伯母さんと住んでいて苦痛じゃない?」  わたしは床の間のある部屋に通され、みごとな輪島塗りの机の前に座らされた。目の前に掛け軸となつめ。掛け軸の方は季節の花であるつゆ草が描かれている。浅薄な知識を動員してみたが、その価値をはかりしることはできそうになかった。するとなつみがなつめのふたを開けて、ふたの裏側の金箔《きんぱく》使いの絵柄を見せながら、 「ほら、山と鬼が描かれているでしょ。伯母はずっとこのモチーフに凝っているのよ。なつめの方は室町時代の名人の幻の作品といわれていて、国宝クラスだそうです。伯母はそれが自慢で掛け軸は取り替えるけど、なつめの方はそのまま」 「盗難の危惧《きぐ》は?」 「完璧《かんぺき》な防犯システムを設置しているから、心配なし。蟻一匹あの門からは入れません。裏門は伯母専用で地下の通路から直接表に出る。地下から伯母の部屋までやはり専用のエレベーターがあるの。だから外出の時はそこに車が待機していて、彼女は煙のようにこの家から消えるわけ。もちろんこちらの方も泥棒よけのメカは万全のはず」 「すさまじい」  思わず声になりわたしはうなった。 「裏門を出入りできるのは伯母だけ。裏門やエレベーターの電源はすべて電子キーの暗号式にして、彼女一人が握っているの。従業人はもとよりわたしだって許可されていない。だから毎日階段をえっちらおっちら登り降りして学校へ。従業員たちも日々、千葉から直送される伯母のための野菜を汗水たらして運びあげる。伯母との同居、楽じゃないわ。ただし忙しい人で東京や地方に行くことが多いから、存在がうっとうしいというところまではいっていない。それに人間の偉大さは慣れるということなのよ」  なつみは大胆な告白をした。言葉は過激だがそれほど不満が募っているようには見えない。  そこへ館内電話のランプがついて外からの電話が回されてきた。 「椙山さん。今京都駅ですって。タクシーでこちらへ向かうそうです」  それから四十分ほどして椙山が現われた。わたしの時同様、なつみは出迎えにいったが、帰ってきたのは彼だけだった。 「何やら絵島先生をお探しのようでした。下の厨房《ちゆうぼう》でわれわれのために今夜の食事の用意をされているはずだとか。本格的な京懐石でしかもダイエットだそうです」 「またしてもお得意のダイエットですか」  わたしはあやうくため息をつきかける。 「でもまあ、先生の最大限のご好意とは思いますよ」  椙山がとりなす。 「ただし、美味しいし、カロリーも低く健康的、だから�日本人の薬膳�はこれでいこうと押されたら困るなあ」  わたしはやはりため息をついていた。  その時障子が音をたてて左右に開かれ、 「すみません。伯母はもう、こちらへ来てます?」  青ざめきったなつみの顔がぬっと現われた。 「絵島先生なら見えていません。まだ今日は一度も会っていない。ご挨拶させていただいてません」  椙山が答えた。 「伯母、どこにもいないんです。わたしも今日は朝から会っていません。わたし、ただ前から伯母にいわれていた通り、今夜の編集会議で秘書役を務めるだけの約束で皆さんを待ってました。いったい伯母はどこに? どこに行っちゃったんでしょう」 「部屋へ行ってみましょう。部屋はどちらです」  わたしは立ち上がった。  なつみに誘導されながらわたしと椙山は長い廊下をひたすら足早に歩いた。 「ここです」  絵島郁子の書斎兼プライベートルームは格子戸と玄関がしつらえてあった。開けるとすぐに目に入るのは、壁にかけられているセザンヌやルノワールといった馴染み深い巨匠たちの絵だった。  他にアンティークドールとマイセンの膨大なコレクション。ただし多くはいぶし銀の瀟洒な陳列ケースごと破壊されていた。人形や陶器のこなごなに飛び散った破片が白い血のように見える。誰かの悲鳴を聞いたような錯覚に陥った。  わたしたちはさらに奥へと進んだ。三つ目の扉の奥が絵島郁子のベッドルームだった。  絵島郁子は床にうつぶせに倒れていた。ほっそりとした肢体を白地の小紋の和服が包んでいる。結いあげた髪の下の首に絞めた痕《あと》を確認した。わたしは彼女が死んでいると直感した。ただしその姿は奇妙に無機的で、砕け散った人形のようにも見えた。    十二  通報後やってきた京都府警の刑事たちは詳細に現場検証を行なった。所要時間七時間あまり。日付は翌日に変わった。そして夜が白みはじめた頃になって、わたしたちは府警に同行させられることになった。 「たぶん今日一日は動けませんよ」  慣れているわたしは椙山に忠告した。 「仕事の予定が入っているなら連絡などすませておいた方がいいです。事情聴取の最中は電話もかけさせてもらえないだろうから」  と続けたところで、わたしは咄嗟《とつさ》に棡原の一件を思い出した。あの時も椙山は一緒だった。そこで、 「こういう目にあうのははじめてじゃなかったですね」  といい、相手は一種の興奮状態で笑顔など見せたが、 「奇《く》しくも日下部先生と一緒だから、あうんじゃないかなあ」  といいかけ、 「冗談ですよ」  すぐに真顔になった。  水野薫に連絡したのは事件が起きてすぐ、午後八時頃だったが彼女がやってきたのは、次の日の朝、九時近くだった。わたしはまだ尋問が終わったわけではなかったが、彼女と話す時間は融通してもらえた。もちろん一族郎党警察関係者であることの恩恵だ。何でも、父方の伯父《おじ》さんの連れ合いの長兄が府警の捜査一課長をしていたことがある、そういう話を洩《も》れ聞いた。水野にではない、担当の警部補にである。 「いささかうんざりだな」  わたしは彼女の顔を見るなりつい本音を口にした。 「行く先々でこれじゃ、お気の毒だわね」  水野はそういったが、その実少しも同情している様子は見受けられなかった。 「ここでずっと問題になってたのはあなたのアリバイ。わかってる?」  ニコリともしないで切り込んできた。 「絵島郁子の死亡推定時刻は午後の三時。この時間帯の従業員たちのアリバイはすでに証明済みよ。みんな敷地内にある工場で生産に励んでいた。そして絵島郁子は自宅に一人でいた。性格なんでしょうね。一応彼女付きの身のまわりの世話をする家政婦みたいな存在はいるんだけど、その仕事だけが彼女たちの専属じゃなかった。ようは従業員を遊ばせておきたくないわけよ。午前中に役目を終わらせて午後は工場勤務。だから午後の時間、絵島郁子はいつも一人だった。たいてい、かかってくる仕事の電話に応対し続けて時間を費やしていた。昨日も同じ。従業員以外の家族であるなつみは朝八時にここを出ている。解剖実習で九時から四時半までずっと大学の実験室にいた。それから彼女の関係者で当日の訪問客である椙山英次は殺人のあった時間、まだデスクにいた。残るあなただけはその時刻、京都にいた。これといったアリバイの証言者もいない」 「証言者なら上賀茂池端町で農業をやっている夏目四郎という人がいる。彼とずっと一緒だった。だから三時には鞍馬寺にいた。変だな。これはもう何度もいったはずだよ」  わたしは不本意だった。 「その人がなかなかつかまらなかったのよ。電話をしても誰も出ない。やっと連絡がついたのがさっき。あなたのいっていることは真実だと証言してくれた。つかまらなかったのは、夜は早寝で八時以降、朝は早朝から野良仕事で、この間の電話には出ないとのことでした」 「当たり前」  わたしはいささかむっとしていた。一方、 「内部犯行でないとすると物盗《ものと》りの犯行?」  気にかかるところだった。 「単なる消去法だけど府警ではそう見てるわね。被害者は資産家の上、骨董《こつとう》道楽も盛んだったそうだから。出入りの骨董屋の話では屋敷の中には、値段をつけても、買い手がつくかどうかわからない代物《しろもの》がごろごろしているんだそう」  わたしはふと国宝クラスのものだという、ふたの裏に金箔《きんぱく》で鬼と山が描かれたなつめを思い出した。他の物もあんな具合に無造作に置かれていたとしたら、盗ってくれといわんばかりではないか。噂《うわさ》を聞きつけた泥棒の触手が動くのも不思議はなかった。水野は続けた。 「強盗殺人だと仮定して、犯人は少なくとも一、二回は絵島邸に足を運んでいるわね。そうでないと、絵島郁子しか持っていなかったエレベーターと非常階段に続く扉、地下室の出入り口の扉の鍵束が紛失している、その理由の説明がつかない」 「犯人は地下から入って、非常階段またはエレベーターを使って侵入した?」 「ええ。非常階段の扉が開いたままだった。あの時間、誰にも見咎《みとが》められずに表玄関から入って坂を登るのは不可能。現に工場も兼ねている従業員の寮舎には、侵入者を見張る管制塔まであるのよ。夜にはサーチライトまで点滅する。もちろんこれも従業員の仕事」 「鍵がいつ盗まれたかはわからない?」 「鍵はいつも絵島郁子が肌身離さず持ち歩いていたそうよ。そしてここ一週間ほど、東京の病院から退院したばかりの彼女は外出していなかった。この間地下に降りるエレベーターを使わなかったと考えれば、盗まれたのはこの一週間に限定できる。それで目下、府警では一週間の人の出入りをしらみつぶしに調べているところ。ただしものすごい量よ。たまにしかここに帰ってこない彼女の場合、女王のご帰館だからどこからともなく、ご機嫌うかがいの貢ぎ物を携えた業者や、東京から追いかけてくるマスコミ、有名人を知人に持ちたい輩《やから》たちがうじゃうじゃ」 「だがそれだと一つ納得できないことがあるな。犯人側についての疑問。前もって鍵まで盗んでおくというのはかなり周到な作戦だ。ところが現場はあの始末」 「現場の写真はさっき見たわ。コレクションの人形や置物の大盤振る舞い。たしかにそうなのよ。犯人はこれらの陶器類は破壊し尽くしたけど、これといった価値のある物は何一つ盗っていないの」 「だからつまり殺人が目的」  わたしは断言した。 「殺人が目的だとすると動機が問題。アリバイを度外視すればもっとも可能性があるのは、遠縁のなつみだとわたしもはじめ思った。それで取り調べ室での彼女の尋問に一部立ち会った。なつみと郁子の二人は血縁といっても薄い関係だし、郁子の十八番は恩着せ。なつみの証言では、郁子はうなるほどお金があって独身なのに、時間も経費もかかる医学部に進学させていることを、繰り返しいい続けていた。ただね、ここが絵島郁子の常人ではないところ。綿密に相手の心理を読んで作成された遺言状があるの。これによると郁子が亡くなって、なつみが得ることのできる遺産は年を追うごとに多くなる仕組みなのよ。つまり今の段階で死ぬとほとんど遺産は、生前彼女が作った絵島郁子財団に渡ることになってる。家屋敷までそっくりね。せいぜい残るのは学費ぐらいのもの。アルバイトなしでは生活費だって危ういくらいよ。こうなると絵島なつみはシロね、まちがいなく。でも、内心犯人を呪《のろ》っているのは誰よりも彼女なんじゃないかしら」 「なるほど」  わたしはため息とともに納得した。ここは水野とちがう発想だが、なつみも絵島郁子のようなモンスター的存在から解放されて、さだめしほっとしているだろうと思ったのだ。だがそのことは口に出さなかった。今はなつみのためにならない。 「それから亡くなった絵島郁子は着物の袂《たもと》に、ジメルカプトプロパノールの錠剤を携帯していた。砒素中毒の解毒剤よ。府警ではすぐ東京の病院に問い合わせた。ところが東京で投与されていたのはD‐ペニシラミン系のもの。これについてはなつみが説明してくれたわ。外見はどうあれ高齢の絵島郁子は砒素中毒の症状がなかなか改善しなかった。彼女一流の解釈でそれは医者と薬が悪いということになった。それでなつみに命じて京都のかかりつけの医者に、種類のちがう解毒剤を処方させていたというわけ。ことの次第はその医師も認めたわ」  そこで水野は一度言葉を切った。それから、 「ところでこの事件とあの砒素を使った大量殺人との関連はあると思う? 実をいうと、あなたから電話があってすぐかけつけられなかったのには理由があるの。あの事件で絵島郁子同様被害者だった木下雅敏が殺されたのよ」  といってじっとわたしを見据えた。 「木下雅敏、二十九歳。赤坂のクラブに勤めるホストよ。ダイコンパーティーでは女子大生の内藤さやかの連れだった。内藤さやかは相当彼にいれあげていて、それで当日も誘ったようね。職業柄、昼時のホストは暇だもの」 「彼の死因と死亡推定時刻は?」 「鈍器による殴殺。後頭部|挫傷《ざしよう》で即死。凶器はまだ発見されていないけれど、ほぼハンマーと断定。死亡推定時刻はおとといの夜十時すぎ。いいわすれたわ。死んでいたのは代々木上原《よよぎうえはら》の自宅。争った跡はない。彼は自ら殺人者を招きいれたことになる」 「もちろん友人関係が洗われた?」 「そう。それから彼についての聞き込みも徹底して行なわれている。女性関係等の異性問題、朋輩《ほうばい》との人間関係、借金など。ホストだもの、女を食い物にしていることはたしか。まともな人間だったらホストになんぞならない。特に今は若い女の子たちがホストに群がる時代だからなおさらよ。そんなわけで女性客の中には一人、二人、彼に貢ぐために援助交際や売春をしていた子たちもいた。ただ彼女らにはそう深い思いがあるわけではなかった。ゲーム感覚。または空虚な日々の退屈を埋めるため。何よりアリバイがあった。一人は塾へ通っていたし、もう一人は学生時代の友達と飲み会。ホスト仲間の評判はよくも悪くもない。金銭感覚はややだらしのない方。サラ金に少々の借金。でもこの程度が平均的なホスト。大半のホストはテレビで紹介されるようなシビアな守銭奴《しゆせんど》にはなれない」 「犯人が同一人物だとしたら、彼は木下雅敏を殺してから京都で絵島郁子を殺すことができる」  わたしは客観的事実だけを口にしてみた。 「犯人が同一人物である必然性はどこにあるの? ホテルでの惨劇は無差別の大量殺人をねらったものよ。助かった被害者を追いかけて殺していく必要なんてないわ」 「どうかな。助かった人たちのことを知って、今度は彼らをねらうのが目的になる。その手の殺人鬼が絶対存在しないとは限らないよ」 「想像上ではね。でもあまりに現実離れしすぎてる」  それから水野は、 「とにかくここが終わったらもう一度木下雅敏の現場に急行よ。あなたも連れていく。何だかね、頭の中がもやもやしているの。何か見落としているかもしれない」  といって頭の毛をかきむしった。  府警の事情聴取が完了したのは午後の一時で、わたしと水野が新幹線に乗り込んだのは二時近かった。すでに椙山は解放されて東京へ向かったと知らされていた。なつみとわたしが終わったのは同じ頃で、玄関ではちあわせた彼女は、 「これから大学へかけつけます。解剖実習は三人で組になってやるから、一人欠けると非難ごうごうなんですよ」  と不眠不休の疲れた顔でいった。想像していた通り、親族を失った身内の悲しみとは無縁だった。 「とにかく伯母の無茶苦茶理不尽な遺言状で助かっちゃった。そうでなけりゃ、あと何日も留め置かれたかもしれないもの」  といって笑う。その後でさらに、 「その上ちょっと笑っただけで、あの子、伯母さんが死んで遺産が入って喜んでるなんていわれちゃう。まあこれでやれやれですよ」  と続けた。  車中わたしたちは遅い昼食を摂《と》った。駅の売店でわたしがみたてた精進弁当である。野菜類の煮染めやこんにゃくの天ぷら、がんもどきのうす炊きといった品々とかやくご飯だが、食べてみるとなかなかボリュームがある。 「これも日本人の薬膳に分類できるんじゃない?」  水野に聞かれた。そこで、 「精進料理は本来仏教徒の修行食でその背景にあるのは信仰なんだ。動物性たんぱく質と性欲など邪悪と見做される人間の欲望を同一視している。行き着く先は肉体を超えた清浄な精神世界の成就。つまり目的がちがう。その意味では絵島郁子が提唱していた健康のためといいつつ、実は美容のためだったダイエット食も同じ。薬膳というのは即物的、日常的にして切実なもののはずだと僕は思う」  とわたしは答えた。  東京駅から快速で新宿に出て、その後小田急線に乗った。木下雅敏が住んでいたマンションに行き着く。代々木上原駅のすぐ近くでリビングからは踏み切りが見えた。最上階の五階のせいもあるのか、遮断機を降ろす際の警報の音がひっきりなしに聞こえている。  もっともこういった外的環境と彼の部屋の様子とは対照的ではあった。5LDK。五十坪ほどのスペース。おそらくこのマンションの中で最も広い空間を有する部屋だろう。そしてそこはインテリア家具のショールームさながらに華麗だった。イタリアのレザー製品と思われる白と黒のソファーセット、一目で一点物の手作りとわかるアンティーク調のカウチ、大げさすぎてアメリカ製としか見えない天蓋《てんがい》のついたダブルベッドなどなど。感心したのは瀟洒《しようしや》な作りのサイドボードはいうに及ばず、中にワインクーラーやバカラ、グラスなどの類《たぐ》いまで凝りに凝ってとり揃《そろ》えられていたことだった。 「すごい家」  水野が両手を開いて驚きのポーズを作った。外からはまたぞろ警報機の音が聞こえてきている。何とも生活のしみた哀感のある音だ。もちろんここの様子とは少しも似つかわしくない。わたしはふと豪壮な絵島邸を思い出していた。どちらにも共通しているのは、裸の王様である主人が思い込みの城郭を築いていること——。 「この家のために彼、ホストやってたんじゃないかしらね。恋人である家に貢いでいたという感じ」  水野はいった。 「自己満足、自己愛の発露。まあ一種のオタクだろう」  わたしはため息をつきかけた。 「ここが犯行現場」  奥へ奥へと歩いていた水野が突き当たりの納戸を開けた。電気のスイッチを入れた。納戸としてはわりに広いスペースで人がすれちがえる。壁にはスチール製の書棚が組み立てられているが、本らしきものはほとんど見当たらない。床には血痕が広がっていて死体の位置を示すマーカーで縁どられている。 「犯人はここへ一緒に入って背後から殴りつけたものと見做されているの」 「ところでリビングでの応対は?」  グラスや灰皿で犯人との人間関係が類推できる。納戸に一緒に入る間柄ということになると、かなり親しいということにならないだろうか? 「これといってもてなした形跡はないわ」 「となると彼らには共通する目的があった。そうならない?」  わたしは提案した。 「ここに何かその目的があるというわけ?」  水野はけげんな顔でわたしを見つめ、それから周囲の書架をながめた。  書架は全部で五段。ワイシャツやズボン、ネクタイなど、おおむねクリーニング店から返ってきた洋服の山だ。どれもベッドルームとリビングの両方にある洋服ダンスに入りきらなくなったものだろう。その他には包みを開いて中を改め元に戻した様子のリボンのかかった小函《こばこ》。その一つを改めた水野は顔をしかめた。 「�A・M FOREVER�か。A子さんが彼に贈ったファッションリング。同性としてうら寂しい気はする」  そういって彼女はリングを元に戻した。 「これは何だろう?」  わたしは床にたてかけてあった買い物の袋に手を伸ばした。中身を引っ張りだす。新聞紙にくるまれた塗りのしゃもじとさかずきが一つずつ。 「おやおやずいぶんの年代物だこと」  水野は目を見張った。刑事らしく包み紙の新聞紙の発行年を確認する。 「昭和四十四年。こちらの方も立派な古典」  歓声に近い驚きの声をあげた後、 「まさかこんなものが目的だったなんていうんじゃないでしょうね」  と聞いてきた。 「このしゃもじは輪島塗《わじまぬ》りだと思う。それからこっちのさかずきは九谷焼《くたにや》き。そう値のはるものじゃなさそうだ。気になるのは輪島塗り。絵島郁子の邸宅でも見かけた。もっともそっちは例によっていくらするのか見当もつかない代物だったが」 「つまりあなたはこの輪島塗りで木下雅敏と絵島郁子はつながるというの?」  水野は呆《あき》れ顔になった。 「輪島塗りなんてそうめずらしいものじゃないわよ。誰でも奥能登《おくのと》へ出かければお土産に買ってくる」 「まあそうなんだが」  わたしはうなずいたが全面的に納得はしていなかった。第一、当世、アンティークともいえないがらくたである、しゃもじの骨董品など売られているものだろうか? それにまた万事に西洋趣味の木下雅敏がそんなものを買うとは思いがたかった。 「それよりこれよ。こっちの方だったのよ」  突然水野が鋭い声で叫んだ。彼女は背伸びをし両手と上体を左右に目一杯移動させながら、書棚の最上段をさらっていたところだったのだ。手についた埃《ほこり》を払いのけた後、あわただしく水野薫は黒い革の手帳をめくりはじめた。    十三  水野が見つけた木下雅敏の手帳の中身は顧客のアドレスが主だった。その他に日記形式で彼女たちとの交際の実態が書きつけられていた。来店の有無をはじめプレゼントなど、収入面の記述が多いが、情事についてのものも少なくない。 「�二月十二日。四時二十分。顧客と待ち合わせて一遊び。爽快《そうかい》。効果あり。風邪治る。しかしまだ本調子ではなかった�、呆れた、これではまるでスポーツね」  日記めいたメモの一部を読み上げた水野は苦笑した。 「まあセックスも仕事の一部となるとこんなものなんでしょうね。ご苦労様なこと。したがって隠微な描写はまるでなし。ずっとこんな調子なのかしら?」  ぱらぱらと手帳をめくり続けた。その指先がある箇所で止まった。 「�三月一日。七時前後。赤石真澄来店�、これは何だと思う?」 「事件のあったパーティーの日以前にこの二人は知り合っていたということだよ」 「警察の調べでは二人とも吐かなかったわよ」 「考えられるのは二つ。一つはどちらも忘れていた。つまりそれほど意味のある出会いではなかったということだ。木下雅敏の方は一応有名人の赤石真澄を知っていた、それでその日のメモに書き付けてはみたが、ほどなく忘れた、一方赤石真澄の方は相手をしてくれた一ホストのことなどすぐに失念した。よくある成り行きだよ。あと一つは二人の関係に並々ならぬ意味がある場合。この場合はもちろん、赤石真澄の来店にしても初対面ではありえない」 「なるほど」  そこで水野の指は手帳を最初のページに戻した。丹念にメモを読み取った後、 「といってもこの手帳は今年のものなのよ。つまり一月からのデータだけでそれ以前のものはない。わかっているのは一月から事件のあった日までで、彼らが接触したのはメモのある三月一日。この日だけ」  といった。頭を左右に振って続けた。 「ここを攻めても袋小路よ。それにこの手帳が犯人の目的だとして、木下と赤石真澄との関係だけに的を絞る必要はない。顧客リストを客観的に分析、調査する方が先決よ。ホストと客といえば、愛情のもつれによる怨恨《えんこん》が動機で殺人が起こりやすいパターンの雛型《ひながた》よ」 「メモに多額の現金の数字は出てくる?」 「いいえ。せいぜい現金は数万円が上限ね」 「とすると木下が情事をネタに、浮気がばれたら困る人妻を恐喝していたとはあまり考えられない。君のいうようにかりに犯人は客だとしよう。それならどうして犯人はこの場所を彼に案内させたんだ? 浮気の証拠となるその手帳のためだろう? ならばなぜ回収していかない?」 「それは犯人が恐喝を受けていた人妻と仮定した場合でしょ。彼にぼろぼろにされた女の子たちの一人だということも考えられるわ」 「そっちだとしたらわざわざこんなところまで案内させるとは思えない。彼が背中を見せた隙《すき》にハンマーで一撃すればことが足りる。ここに被害者と犯人が一緒にいた。この謎《なぞ》は犯人を客と考えていては解くことができない」 「わかったわ。あなたはまだ二人はここでこのがらくたを探していたというのね」  そういった水野は、新聞紙にくるまれて買い物袋に入れられたしゃもじとさかずきに目をやった。 「確信があるわけじゃない。だが気になるんだ。だからこれらについて一つ調べてもらいたいことがある。これらはどこから来たのか? 心当たりを木下雅敏の実家に問い合わせてみてほしい」 「わかったわ」  水野はしぶしぶうなずいた。  それから一週間ほどたってその件について、彼女から連絡が入った。 「木下雅敏の実家は鬼怒川の旅館で今は彼の妹夫婦が継いでいた。しゃもじとさかずきについては曾祖父《そうそふ》の代から神棚に飾ってあったものだと妹から聞いたわ。代々当家の長男が持っているべき家宝だと教えられてきたと。もっともあなたが見た通り、価値はほとんどないこともわかっていた。木下雅敏の父親は旅館が経営難に陥った時、藁《わら》にもすがる思いで鑑定に出してみたのよ。でもこれがショックで父親はおかしくなったと彼女はいっていた。近隣の山々などの自然保護に熱中し晩年を送ったんだけど、精神に異常をきたしたのではないかと思われるほどのいれこみようだった。家業はそっちのけで一年の大半を山の中で過ごしていたという。住んでいたのは洞穴だったという説まであった。おかげで母親は苦労の連続。せめてもの救いは父親よりも長生きしたことだといっていた。でも今は妹が同級生のお婿さんを迎え、旅館を民宿に切り替えてまずまずの状態だそうよ」 「しゃもじとさかずきはいつ木下雅敏の手に渡った?」 「それは父親の遺言。父親が亡くなったのは十五年前だそうで葬儀の折に母親が木下雅敏に渡した。ただしこの時彼はまだ中学生。高校を出ると、東京へ出ていったんだけど、これらの形見分けは自分の部屋の押し入れに入れたまま。でもお母さんは、彼が転職を繰り返してついにホスト業に落ち着いたことを知った時、やはりあのしゃもじとさかずきが疫病神なんだといったとか。あんなものを伝えたから息子が父親同様、どうしようもないわからない人間になったと」 「それで始末するべく東京の彼に送った」 「これは五年前のこと。今度はお母さんの遺言。妹さん夫婦に長男が生まれた時、お母さんはこれらはもうこの家に伝えてはならないと決めた。それでわたしたちは今、あの奇妙ながらくたと対面できているわけよ」 「なるほど」  相づちは打ったものの、まだ不明な点が多すぎるとわたしは思った。しゃもじとさかずきの入っていた紙袋は銀座にある紳士服のブランド店のものである。そのブランド店は鬼怒川には存在しない。となると五年前は別の入れ物で彼に届けられていた可能性が強い。五年間に彼の引っ越しの回数は三回。つまり彼はこれらのがらくたを捨てずに、袋に移しかえ大事に持ち歩いていたことになる。  その謎が解けない。 「それと彼が脅迫していた可能性のある客、または一方的に恨みを抱いている客、どちらもあがらなかったわ。前に彼は可もなく不可もなくの平均的なホストだといったわね。まさにその通りなのよ」  と電話の水野は締め括《くく》りかけて、思いついたように、 「それとね。課の同僚があることに気がついたの。若いのにずいぶん健康管理に熱心だというのよ。いわれればたしかにそう。例のメモだけど自分の身体《からだ》についての記述が満載なのよ。風邪はいうに及ばず、下痢気味とか、耳鳴り、関節痛、アレルギー症状いろいろ、肥満防止のアイテム、うつ状態から脱却するにはどうしたらいいかとかね。主にセックスと絡めてこれらの症状に対処している。変わった健康法」  といった。  そこで電話を切ろうとする彼女にわたしは内藤さやかについて聞いた。 「これで同行してきた三人のうち生きているのは彼女一人になる」 「だけどその事実にそれほど意味があるとは思えないわ。もともとこれは大量無差別殺人なんだし、砒素入りの辛味そばを食べたのは十人。内藤さやかは生存している六人の一人と見做《みな》すこともできる」 「そうにはちがいないんだが」  なぜかわたしはこだわるものを感じていた。だがそれを口に出すと、 「木下雅敏の手帳にはたくさんの顧客の名前が書かれてあった。つまり内藤さやかは彼にとって並みいる女たちの一人だ。その彼女と彼がどうしてあんな場所に連れだってきたのか、親友の三浦紗織まで一緒だったのか——」  という言葉になり、 「それが不自然だというならおかどちがいよ。群れる。これが若い人の心理だもの。同行してきた理由なんて特にないでしょうよ。しいて考えるならこの三人の中の誰かがたまたまダイコンパーティーのチケットを三枚持っていて、他の二人に振る舞った。チケットの値段は安くなかったわね。場所は一流ホテルだしこれは悪くない話だということになった。ただそれだけのことよ」  と水野から木端微塵《こつぱみじん》に粉砕された。それからだめ押しをしようと、 「たしかにこの三人とダイコンパーティーはミスマッチよ。誰もチケットを買いそうもない。特に女子大生のお嬢さん二人はね。でもあの健康管理に熱心な木下雅敏はちがう」  と続けて、 「ただしホストの彼が高いチケットをプレゼントするとはあまり考えられない。ここは不自然だわね」  と迷った。そこでわたしは、 「とにかく内藤さやかには会う必要があると思う」  といいきった。  その夜、山野書房の椙山から電話があった。彼は事件のことには触れず、共通の課題である�日本人の薬膳�について、今後の見通しの暗さを嘆いた。 「何せ絵島先生があんな具合になってしまいましたからね」 「ええ。ただこれでダイレクトにダイエットと結びつける、彼女のレシピは回避できたわけです」  わたしはそういった後で心のどこかでほっとしている自分に気がついた。ただしこれは公言しないほうが無難だろう。 「京都はどうでした?」  椙山は聞いてきた。まだ訪問した夏目四郎のことなど報告していなかった。 「夏目さんはもう京都の町中には自然のままの土はないという。近郊の山の中にわずかに残っているだけではないかと。それだけわたしたち人間をとりまく環境が破壊されている証拠だそうです」 「なるほど。まさしく薬効と土の因果関係ですね。先生が新海先生と話されていた辛味大根のことを思い出しました。となると栽培植物ではない野草、山菜なんかの薬効が気になりますね」 「そうなんです。実はそれ、ずっと気になっていたんですよ。だから思い切って一関《いちのせき》に行ってみることにしました」 「一関? ああ、釣山《つりやま》公園にある建部清庵《たけべせいあん》の野草園ですね」  さすがに椙山は察しがよかった。この野草園は十四年前に市が造園したもので約百種類ほどの山野草が植えられている。これらは当地に住む江戸中期の医師建部清庵が残した著作、『民間備荒録』『備荒草木図』に取り上げられている飢饉《ききん》を凌《しの》ぐための備荒植物でもあった。なお清庵のこれらの著作には普通は食べない野草、山菜の食べ方が記されている。食べ方といっても料理法とまではいかず、毒に当たらずに危険なく食べる方法ではあるが——。 「建部清庵のその著作は前に一度目にしています。そんなにめずらしい植物は載っていない。ただ列島をあげて都市化の進んでいるこの現代ではありふれたものとはいいがたい。取材しても食卓にのせることができるかどうかはわかりませんよ」  野草や山菜まで薬膳に入れるのはやや非現実的かなという思いが、わたしにはあった。ところが相手は、 「それ悪くありませんよ。ハーブだってもとは野生のものでしょ。だけど今や大流行をへてすっかり、ガーデナーのベランダに定着しつつある。ということは野草、山菜だって薬効さえあれば栽培したいという人、必ず出てきます。日本人の健康志向は未来|永劫《えいごう》続きそうだから。�日本人の薬膳�栽培編を分冊にしてもいけますよ。その場合は土にこだわる。いいですね、これ」  とすっかり乗り気になってしまった。さらに、 「絵島先生が亡くなって販路が狭まったのは事実です。でもくよくよしてはいられませんよ。とにかく前向きに考える。われわれのモットーです」  さばさばした調子になった。そして、 「ぜひわたしもお供させてください」  と椙山はいった。わたしは行く日が決まったら教えると約束して電話を切った。  三日後、わたしは例によって八時台の東北新幹線に乗った。一度出勤してから電車に乗るといった椙山とは十二時ちょうどに釣山公園で待ち合わせている。  降り立った新幹線の一ノ関駅は他のまにあわせの新幹線駅と同様、ある種の演出された喧騒感《けんそうかん》が充ちていた。本物の都市特有の猥雑《わいざつ》で旺盛《おうせい》な活気とはもとより無縁で、どんよりと澱《よど》んだ熱い空気が、何か別のものを主張しているかのように感じられた。涼やかな風が頬《ほお》を撫《な》でて通りすぎる。ふと地霊という言葉がわたしの頭の中に浮かんだ。  一関大橋の手前に位置する釣山公園へと向かいかけてきびすを返した。椙山との約束の時間にはまだ一時間以上ある。思いついて商工会議所に隣接している文化センターへ足を向けた。  一関を訪れたのははじめてである。広い歩道が続いているのは故郷に似ていなくもない。だがその両脇《りようわき》に連なる人家のつくりや商店の看板は、どれもがゆかしい歴史や伝統をとどめていた。比べると北海道のそれらはもっと渇いた印象。熱気と無機質だけが同居していて、ここに感じられるようなひっそりと何代も血縁者たちが住み続けてきた、たゆたうような豊かなしかし重い血の流れとは無縁だった。  建部清庵の像は文化センター内の芝生の上に建てられていた。坊主頭の入道といった姿の胸像は豪放|磊落《らいらく》な医師を想わせた。  わたしは白壁の現代的な建物となっている文化センターに入った。小ホールの受付で聞くと、建部清庵の人となりについて書いた小冊子が売られているという。それを求めてソファーに座った。持参してきた彼の著作物を鞄《かばん》から出して、しばしながめてみることにしたのだ。 「みちのくの戦い」と題された小冊子を読みはじめた。建部清庵が類いまれなるヒューマニストにしてリアリストであることはすでに知っていた。彼が備荒植物の研究にいそしんだのは、この当時東北に多かった天候不順に伴う冷害によって生じる飢餓死を救済するためであった。  一方わたしが何より驚いたのは、一田舎医者にすぎない建部清庵がこの時代すでに蘭学といわれた欧米流の医学について疑問を抱いていたことであった。  最後まで読んで以下のような清庵の言葉が心に残った。 �遂げずばやまじの精神�  美しい言葉だった。    十四  文化センターを出たわたしは祥雲寺《しよううんじ》へと向かった。ここは建部家の菩提寺《ぼだいじ》である。清庵の息子で飢餓食の研究をさらに集大成させた清庵|由正《よしまさ》もここに眠っている。  まさに東北の寺と墓地そのものだった。寺は簡素で飾り気がなく、広々とした墓地には各家、各人の墓石がひっそりと佇《たたず》んでいる。やはり無機質的な印象は感じられず、墓石の陰からゆらゆらとたちのぼる紫色の煙を見たような気がした。幽鬼の存在をふと信じる気分になった。人が生き死んでいくという過程の中にこめられている情念、不滅の精神の存在もまた信じたくなった。  釣山公園には十二時ちょうどに着いた。傾斜の険しい坂道をのぼった先が公園入り口である。公園そのものが小高い丘になっていた。 「栗の木がここのシンボルのようですね」  先に来て待っていた椙山がベンチから腰をあげた。 「ほら、あの花壇の中にある木彫の塔も栗の木を丸ごと使ったものでしょう? 門柱もネームプレートも同じく栗。何か意味があるんでしょうか?」  聞いてきた。 「清庵の『民間備荒録』の中に�備荒樹芸の法�という括《くく》りがあって、彼は飢饉《ききん》を救うのに最も役立つ植物は栗、桑、柿、アブラナであるとしています。これらの植物は需要が多いので普段は投機的に栽培し、飢饉の時は備荒食にする。だから米一辺倒の農業に頼らず、大いにこれらを栽培するべきだと奨励しています。清庵のキャッチフレーズともいえますね。その意味もあってここでは、そこかしこに栗が象徴的に使われているのかもしれません」 「なるほど」  椙山は深くうなずき、わたしたちはともに野草園へと続く坂道を登りはじめた。 「道が悪いですね」  椙山は足を滑らせかけた。坂道も中腹ぐらいから両脇が花壇である。花壇には清庵ゆかりの山野草が植えられているはずだった。しかし盛り上げられた土のほとんどは、崩れた土砂のように道にこぼれ出している。ネームプレートにしてもおおかた土砂の中に埋まってしまっていた。そのせいで多少残っている青々とした葉や、枝の折れたおびただしい低木の正体が何であるか、まるでわからなくなっていた。 「このところ異常気象で全国的に集中豪雨が続いていますからね。しとしと霧のように雨が降る梅雨がめずらしくなった」  わたしは内心落胆しながら惨状の説明をしてみた。 「江戸時代に起こった享保、天明、天保の三大飢饉の時も、やはりこんな具合だったんでしょうか?」  椙山が立ち止まった。 「たしかに十八世紀の中頃から十九世紀にかけてざっと百年続いた飢饉も、原因は異常気象だったといわれています。一口に冷害といわれるとああ気温が上がらないのかという理解で終わりそうですが、実はいつくるかわからない豪雨も関係していることが多い。豪雨のあとに何もなくなる。これは結構こたえますよ」  わたしは穴が掘られたかのように土が移動している、目の前の花壇の中程を見つめた。とうていあらがうことなどできない自然への畏怖《いふ》を感じさせる。 「とはいえ、こんな状態が何度繰り返されても人は生きなければならない。糧をえなければならない。それで清庵は徹底的に備荒植物とその利用法を研究した。弱いと自覚した人間たちの生きる知恵です」 「具体例を話していただけませんか?」  そこでわたしたちは立ち止まったまま話を続けることになった。 「わたしなりに少し勉強しなおしてみました。再認識したのは清庵の飢餓食は虚弱体質の薬膳だということでした。まずたいていの植物は茹《ゆ》でて水にさらしてアク抜きをします。トチノキやコナラ、柏《かしわ》、松などはたしかに人体に有害な毒があり、それなりの解毒をしなければならない。これは事実。ただし、しそや春菊となるとどうかなという気がする。現代人はこれらをつまやサラダで生食しますね。当時|蔓延《まんえん》していた寄生虫のことを考えあわせても、大事をとりすぎている。その理由は飢饉の時にはみんな体が弱る、これを前提にしていることがわかりました」 「体が弱るというのは免疫力がなくなると解釈していいですか?」 「もっとも単純に起こる免疫力の低下は飢餓によるものです。飢餓下では胃腸が穀物と塩を供給してもらえない状態が続く。この状態でワラビ粉など食べ続けると、失明、歩行困難、死に至ることもある。いわゆる栄養失調に陥ると山野草のアクさえ命とりになるわけですよ。だから清庵はその著作で念には念をいれた調理法を紹介しています。ポイントは茹でてアクを抜くこと、塩を調味料に使うこと。塩は寄生虫を殺すだけではなくアク消しにもなった」 「まさしく薬膳そのものじゃありませんか。でもそれ、微量の毒は体にいいという中国薬膳の大前提と矛盾しませんか?」  椙山は頭をかしげた。  そこでわたしは清庵の当世蘭学批判に触れた。 「つまり彼は虚弱体質の人と強壮な人とは、薬や食物にもちがいがあるべきだという考え方だったんですよ。もっともこれが当時の漢方全般の考え方かというとそうではなくて、過激な処方で症状を軽減させてしまおうという流派が古方、ケースバイケースを提唱したのが後世方。現代の理想とされる医学はこの後世方でしょう。そして清庵はすでにこの時代からそれがわかっていたことになります。それから彼と交流のあった杉田玄白《すぎたげんぱく》、前野良沢《まえのりようたく》など、後に蘭学の重鎮といわれるようになった人たちにもわかっていたと思う。彼らが心ある医者だったからですよ」 「すると飢餓食には動物性たんぱく質などは全く補われなかったとお考えですか?」 「前に棡原で聞きましたよね。川魚や畦《あぜ》のたにしなど、動物性たんぱく質の摂取は年に数えるほどだったと。清庵の周囲の人たちの生活もそんなものだったと思います。漁師にしても自分たちが毎食食べられるほど魚を獲ることはできない。ただし飢えを凌ぐために人肉は食べたと思う」 「人肉ですか?」  椙山ははっと息を呑《の》んだ。 「非常事態の飢饉食のメニューに、動物と人間が含まれていたと考えるべきですね。『天明|卯辰梁《うたつやな》』という飢饉時の八戸《はちのへ》領をルポしたものがあります。これによるとしょうゆや味噌《みそ》を借りる要領で、死者の片身なりとも片足なりとも貸してくれという会話が交わされていたといいます。つまり人肉は非常時の食としておおっぴらに市民権を得ていた。塩漬けやスモークにして瓶に貯蔵していたという記述もあります」 「非常時に宗教上の罪悪感は伴わなかったと?」 「仏教は神の血肉で人間が作られたとするキリスト教とはちがいますからね。一時の緊急避難的なものとして受けとめ、飢餓という危機が去るときれいに忘れることができた。これはもちろん、未開社会の神との共食を意識したカニバリズムともちがいます。まず生物学的に生きるということ、その極限」 「八戸で行なわれたとされていることが一関でもあったと?」 「もちろん。ただし東北と限定せず飢餓下の日本全国にあったとわたしは考えています。清庵の著作にツワブキやしそ、鳳仙花《ほうせんか》が出てきます。これらはすべて手ごわい食中毒の特効薬として紹介されている。わたしはこれらの植物は実は、人肉と一緒に食べられたのではないかと思っているんですよ。その人肉にしても本体は飢餓死であり、煮炊きして食べるとはいうものの、伝染病に罹《かか》っていた可能性もなくはない。飢餓に伝染病はつきものですからね。また腐敗した動物性たんぱく質が原因の食中毒の恐《こわ》さは熟知していたはずです。それもあってとにかく用心のためにこれらの野草を調理に使った。わたしがそう考える根拠のもう一つは、あれだけの清庵の著作が存在することです。穀物が絶対的に不足すれば人の健康が保たれにくいことも知っていた。つまり彼は食物としての人間の価値も認めていた。それでできればリサイクルできる状態で死を迎えてほしかった。『民間備荒録』や『備荒草木図』があれほど山野草の薬効、調理方法を極めているのは、人々にできうる限りの健康体を保たせる必要があったからですよ」 「人の肝や妊娠している女性の胎児を薬にする話なら、説話などで読んだことがあります。中国でも病気の親に子供が腕を切って血を飲ませる習慣があったという。ここでの人肉もそれらに匹敵する驚異のパワーがあったと?」 「明治まで牛肉や猪、野鳥などの肉類は�薬食い�といわれたものです。これは支配者が肉食を禁止しているたてまえそのものにも見えますが、長い歴史に培われた庶民感情でもあると思う。人々は経験的に肉類が栄養不足を原因とした多くの病気を癒《いや》すことを知っていた。人肉も例外ではなかった。人肉も動物の肉もともに薬であるという認識があって、非常時にはどちらも食べることに抵抗がなかった」  とわたしはいいきり、再び前へと足を進めた。 「ところで建部清庵という人が外科医だったことをご存じですか? これはあくまで独断的印象なんですが、そのせいで判断が合理的で目的が明確なんじゃないかと思います。つまり内科はアマチュアなんですよ」  といいそえた。 「技術や新しさばかり競いあっている現代の外科医に聞かせたい話ですね。あるいは明治以降、この国に根を降ろしている近代医学の盲点かもしれません」  背後の椙山の口調が皮肉なものに変わった。 「まったくその通りですよ」  わたしは相づちをうち最後の三歩を登りきった。頂上に来ていた。風雨をまともに受けるここの花壇はほとんど壊滅状態。炎のような赤土が一面に噴き出している。いわれなければ誰でも遺蹟《いせき》か何かの発掘の跡だと思うだろう。 「あそこに行者にんにくがあります」  遅れて登ってきた椙山が明るい声をあげた。 「ほら、あそこ」  いわれた場所は花壇と思われる場所とは反対の木陰だった。野生化していたもののようだ。白い小さな花が咲いていた。真上には柿の木と思われる大木が二つに裂けていて、裂目から青空が見えた。無残な印象。 「よくご存じですね」  わたしは別名アイヌネギといわれるその植物を見つめた。普通のにんにくとは葉の形がまるでちがう。スズランに似た楕円形《だえんけい》で鮮やかな黄緑色をしている。行者にんにくの行者とは山伏の意味である。本州北部から深山や日本海沿いの林に生える。北が故郷の人間にはめずらしくないが、椙山が知っているとは意外だった。それで、 「故郷は東北ですか?」  と思わず聞いた。すると彼は、 「いえ、愛媛です。前にアウトドアシリーズで山菜の本を出した時この植物を知ったんです」  と照れ臭そうにいった。  それからわたしたちは下まで降りていって、公園を出た。引き続き坂道を下りながらわたしは、 「実はこれから立ち寄らなければならないところがあるんです。よかったら同行してくれませんか?」  と彼を誘った。 「いいんですか?」  相手は当惑気味に確認してきた。 「ええ。実はあなたにもあながち無関係なことではないんですよ。これからあの砒素《ひそ》混入事件の被害者の家を訪ねます」 「ああ」  聞いた椙山は胃のあたりを押さえて眉《まゆ》をしかめた。 「トラウマですかね。事件の話を思い出したり誰かにされたりすると、具合が悪くなるんです」 「やめておきますか?」 「いや。同行させてください。事件の方はあまり捜査に進展がないようですね。犯人がつかまったとは聞きませんから。それとも日本の警察というところは容疑者を逮捕するまで、徹頭徹尾秘密主義を貫き通すものなんでしょうか? どちらにせよ、早く解決してもらいたいですよ。そうしないとこちらのトラウマも解消できない。辛いです。もう待ってなどいたくない。最近胃が痛むたびにそう思っていました。ところで訪問予定の相手はどなたです?」 「内藤さやかさん。砒素中毒で亡くなった三浦紗織さんのクラスメートです。同行してきたホストの木下雅敏さんは内藤さんの関係者です。この人物は中度の砒素中毒で一命はとりとめましたが、後日殺害されました。死体が発見されたのは絵島先生が殺されたのと同じ日です」 「そのニュースは新聞で読みました。何か因果関係があるんでしょうか? 実は気になっていたんです。警察へ聞きにいこうかとも思っていたんです。ただ相手にされないのは目に見えるので迷っていました」  椙山はやや青ざめた面持ちになった。 「わかります。犯人がつかまっていない以上、あの砒素混入で死に至らなかった人たちをねらいはじめている、と考えられないこともありませんからね。それが異常な神経の犯人の新たな生きがいになっていないとも限らない」 「先生は恐くないんですか?」 「恐いです。だから正面からこの事件に関わろうとしているのかもしれません。生来人一倍恐がりなので忘れようとするとますます恐くなるんです」 「同感です」 「頑張りましょう」  わたしたちはお互い肩を叩《たた》きあいながら、内藤酒造株式会社のある磐井《いわい》川沿いへと歩きはじめた。 「内藤酒造は有名な造り酒屋ですよ。なるほどわかりました。さやかという女子大生が今ここにいるのは、あんな事件にあった娘を案じた親が呼び戻したからですね」 「何もせっかく入った大学をやめさせてまで、呼び戻すことはないように思いましたがね」 「まあ、内藤酒造の娘さんとなれば、このあたりでは大変なお嬢さんですからね、親たちはとるものもとりあえず隔離作戦に出たんでしょう。�嫁入り前の娘に傷をつけてはならない�。この地方ではまだこんな言葉が生きていますよ、きっと」  今度は椙山の方が苦笑した。 「しかしよく会わせてくれますね」  一瞬だが彼の目に不審の色が宿った。 「もちろん正攻法ではありません。彼女の大学の担任だと偽って彼女に電話に出てもらったんです。電話の彼女には三浦紗織と木下雅敏について聞きたいことがあるといいました。彼女自身もいいたいことがあるように思われましたね」 「友人三人のうち二人が死んだ。次は自分だという思いはわれわれより強いかもしれませんね」 「だと思います。それでわたしたちは今から酒の民俗博物館を見学します。そこで彼女と待ち合わせているからです。この博物館は彼女のお祖父《じい》さんが設立したもので、会社とレストランに併設しています。というわけで、わたしたちはしばらく、酒に魅せられた民俗学者を演じるのです」    十五  それからわたしたちは内藤酒造のある場所まで住宅街を歩いた。よく晴れた昼下がりで豪雨の後のせいもあるのか、空気に水と土と植物の匂いが混じりあっている。ゆっくりと時間が流れていた。  内藤酒造株式会社の隣りは眼科医院であった。すでに酒を造る工場はここにはなく、杜氏《とうじ》部屋などを含むかつての仕込み蔵が博物館として保管されていた。  玄関を入ると受付で小柄な老人が出迎えてくれた。いくらかの入館料を払い中に入る。午後三時ちょうど。約束の時間だがまだ内藤さやかは現われていない。 「ご迷惑でないならご説明しますよ」  老人が微笑《ほほえ》みながらいった。 「お願いしましょうか」  そこでわたしたちは老人とともに順路を辿《たど》ることになった。うす暗がりの中に赤や桃色の花をつけた枝が浮かびあがっている。よく見ると相当量の赤や桃色に着色されたまゆ玉飾りだった。今ではもうめったに見られないだろうずっしり太い梁《はり》を一面に埋めていた。これらは直接酒造りとは関係がなさそうだが、古びた蔵の雰囲気に似合ってはいる。 「東北で酒といえば長い間どぶろくや焼酎《しようちゆう》しかなかった。酒の後進地域でした。それでも近江《おうみ》商人がこちらに流れてきて、本格的な酒造りの技術や職人が入ってきてからは飛躍的に進歩しました。何しろここは水と米がいいですからね」  老人は胸を張った。 「薬酒や果実酒のルーツはまた別でしょうね」  椙山が聞いた。わたしの頭にもよぎった質問だった。 「いやうちではそれもやっとりますよ。今の若い女性は甘い酒が好きだそうですから。アップルリキュール、あと近隣でとれるさくらんぼ、洋梨を使った酒なら売店で売っています。なかなか好評です。試飲なさるのなら——」  といいかけたところを、 「そういうのではなくて、昔から家庭でつくられてきた保健薬でもある、まむし酒やマタタビ酒、アケビ酒なんかのことなんですけどね。中国では酒には通経活血作用があると四千年も前からわかっていたようです。百薬の長ともいう。酒は北に住む人間たちにとってかっこうの暖房効果をもたらし、健康維持に役だったのではないかと思うんです。その上まむしやマタタビなど、薬効のある成分を添加すればもう鬼に金棒でしょう?」  わたしは質問の意味を正しく伝えた。 「それときたらここにかなうところは、全国広しといえどありゃしませんよ」  老人はうなずいて声の調子を上げた。それから急に下げて囁《ささや》くように、 「万病に効くというふれこみの猿酒を知っていますか? これは東北のある地方で戦前まで売られていたものです。東北のある地方がどこだかはお教えできません。ひょっとするとこの一関かもしれない。ご想像におまかせします。漬けこんであるのは猿の子供だという。そしてその酒樽《さかだる》を見た者は死ぬとまで、まことしやかにいわれています。とはいえ見た人がいる。もちろん死んでいません。その人がいうには猿のようでもあり、人間の赤ん坊のようでもあったと。どうです? これは怪談ではありませんよ。素晴らしくよく効く東北の薬酒を紹介させていただいただけです」  といった。そして不気味ににっとなど笑わず、はじめに挨拶した時と同様わずかに微笑んだ。それからふと思い出したようにつかつかと杜氏部屋に戻った。わたしたちがついていくと、 「これの説明を忘れましたな。たしかに酒の守り神は松尾大明神なのですが」  と床の間の掛け軸を一瞥《いちべつ》してから、火鉢の隣りにある置物を指さした。竜を背負った行者が同時に竜を従えている。竜は蛇のように見えなくもない。坊主頭で野球のベース形の顔の行者は、文化センターの中庭にあった建部清庵に似ていないこともなかった。 「十六羅漢の一人、びんずる尊者。この像を撫《な》でると諸病が治るといわれています。なぜここにあるのかはわかりません」  こうした成り行きもあって、わたしたちはぞっとさせられる代わりに真実を告げられたと感じた。 「やっぱり事実なんですね。地元の人の説明には説得力がありました。建部清庵の遺志は生き続けている。そんな風にも感じました」  老人は説明を終えて受付へと帰っていく。その後ろ姿を見ながら椙山はつぶやいた。 「そしてもしかしたら猿酒、もしくはそれに類する民間医療薬は使用され続けているかもしれない」  わたしはいった。誓っていうがそうあることを望んだわけでは毛頭なかった。なぜかそうであるように強く感じられたのだ。  その瞬間、何かが告げられようとしている。予感めいたものがあった。わたしは苦痛を感じた。わたしだけに見えるビジョンの来訪を恐れたのだ。いつか夢でみた迫りくる生肉の山々の存在を——。わたしは思わず身構えた。  だが次の瞬間、それが杞憂《きゆう》であることがわかった。 「ごめんなさい。すっかり遅れちゃって」  やや甲高い若い女性の声が蔵中に響いた。内藤さやかだった。緊張していた電話の声よりもはなやいだ印象。午後三時五十分。 「仙台まで買物に行っていたんです。目当てのエルメスの新しいバッグが手に入りそうだったものだから。朝一に出たんですけど、手間どってしまって」  わたしは言いわけの名手といった感じの相手を見つめた。小柄だがすらりとした体型の彼女は赤いノースリーブのシンプルなワンピースを身につけている。セミロングの髪は赤くはないが不自然に黒く、ごく最近染めなおしたことを物語っていた。  高い踵《かかと》のサンダルを履き、金のチェーンをまきつけた細い足首を強調している。完璧《かんぺき》な化粧術。この蔵にはいささか不似合いな強い香りをまきちらしている。内藤さやかは東京でさえあればどこにでもいそうな、自称�イケてる女�の典型だった。 「それでご飯まだなの。お腹ぺこぺこ。ごちそうするからどこかへ入りません?」 「実はわたしたちも昼食はまだなんです。隣りはたしかこちらのレストランでしたね」  わたしはいった。 「隣り? いいんですか? あんなところで。ぱっとしないわよ」 「かまいません。楽しみです」  そんな成り行きでわたしたちは隣りのレストランに入った。ここにはビールまたはワインとソーセージ類、酒とそば定食しかメニューにない。わたしたちは酒を抜いてそば定食セットを、さやかはボトルのロゼと特別に生チーズとフランスパンを注文した。ソーセージは食べ飽きているし、カロリーが高すぎるという。  天ぷらや山菜の和物《あえもの》、野菜の煮物などの小鉢がついたそば定食は食べごたえがあった。一般に冷涼な栽培地で食べるそばは風味があって美味しいものだ。  食べるのに一段落した後、わたしは要件を切り出した。犯人が被害者をねらいはじめた可能性があることはすでに電話で話しあっていた。 「実はお聞きしたいのはダイコンパーティーのチケットのことなんです。あなたは警察に自分が買って三浦紗織さん、木下雅敏さんにあげたと証言していますね。あれはほんとうなんですか?」 「いったことを覆すと罪に問われるんでしょ?」  あわただしく三杯目のロゼワインを嚥下《えんか》しながらさやかは聞いてきた。第一印象とは変わってややびくついた印象。 「その程度のことなら問題ないですよ」  椙山は安心させるように微笑んだ。 「そう。じゃ、正直にいうけど、あの二人とは会場で偶然はちあわせしただけなの。ほんとうよ」  けろりとさやかはいってのけた。 「つまり三人ともそれぞれチケットを買うか、もらうかしていたということ? あなたの場合は?」  わたしは追及した。 「招待状が実家|宛《あ》てに来ていたの。春休みにこっちへ帰ってきていて見つけた。面白そうだったからくすねておいた。わたしの方はそれだけの事情。あの二人も同じようなものなんじゃないかしらね。買ってまで行くなんて考えられない。そうでしょ。だってライヴでも有名人のトークショーでもないのよ。いったいどこで見つけて買えるの?」 「警察であんな風に答えた理由は? 木下雅敏に頼まれた?」  わたしはなおも追及の手を緩めなかった。 「そう。たいして意味のないことだと思ったけど、彼がそうしてくれというから。あの時点ではまだ彼が面白かったのは事実。うーん、死ぬまでまずまずだったわね。だから死んだと知った時は大泣きしたわ。でもすぐ警察から電話なんてかかってきてアリバイを聞かれたり、地元の刑事がうろうろしたりしはじめた。それでうんざり。親のいう通り帰ってきて正解だと思ったわよ。それで周囲がやんやと勧めてきていた結婚の話にもオーケーした。お相手は隣り町の病院の若先生。いい潮時だってみんないうわよ。木下雅敏とあたしは今のところ、ホストと客の関係。これがホストと愛人の関係だったと噂《うわさ》されると困るでしょ」 「なるほど」  わたしはうなずいてみせたが内心、どちらも似たようなものでどこがちがうのかと反論したくなった。 「ということは三浦さんとはそうは親しくなかった?」  わたしはそれも気になってきた。内藤さやかが二人にチケットを渡したという前提は、彼女たち二人が無二の親友であるかのような幻想を抱かせる。 「もちろん。クラスは百二十人ほどだから、顔があえば挨拶ぐらいはする。その程度よ。東京の人なのにとにかく地味な人。勉強熱心でおしゃれや遊びに興味ない人、そういう人、あたし苦手なんだ。お父さん、大学教授でたしかとても偉い外科の先生。あんなに真面目だったの、そのせいかしら?」  さやかはそういってロゼの最後の一杯を飲み干した。  わたしたちは帰りの新幹線の中で、会ってきた内藤さやかの話に触れた。 「はっきりしているのは彼女が木下雅敏を殺したのではないということですね」  椙山はきっぱりといった。 「自分の将来に邪魔だから殺したとは考えられない?」  わたしは自分でもまるで信じていない可能性を口にした。すると、 「木下雅敏が彼女に結婚でも迫ったとでも? 考えられませんよ。彼はホストなんですからね。そんな無謀なことは思いつきもしないはずです。地方のこういった資産家のやり口は従来シビアですよ。娘が選んだ相手とはいえホストを婿にはしないはずです。それなら娘の方を勘当してしまう。守り続けたいのはとにかく家名と繁栄なんです。そんなことぐらいホストなら百も承知だと思います。考えられるのは恐喝。でもそんなネタ、どこにあるんです? 今どきホスト遊びをしたぐらいでは結婚の障害にはなりません。それは、彼女がいっていた通りなんじゃないですか?」  みごとに反論された。それから、 「三浦という名で医学部の外科教授というのは気になりますね。三浦|良一《りよういち》だったら移植学界の重鎮のはずですが。ただしこれはわたしが思いつく外科医の三浦です。他にもいるだろうからたしかなことはいえないが」  といって頭を何度もかしげた。 「あなたのいう三浦だとして、内藤さやかの推理通りだったとしたら、会の招待状は移植医師、旅館経営者、酒造会社に送られてきたことになります。しかしこれらにどういう共通項があるのか、まるでわからない。ところで何度も警察で聞かれたことだとは思うんですが、あの日来賓席の席割りをしたのはあなたでしたね。あれには全く意図はなかったわけですよね」  それについては前から聞いてみたいことであった。 「ええ。来賓として意図的に名札を並べたのは絵島先生、新海先生、椎名先生の代理の日下部先生、幹事の赤石真澄さん、関係者で先生方と懇意のわたし椙山。それだけなんです。あとの五名については空席ができては困るので適当に配した。それだけのことなんです」  椙山は途方にくれた顔になった。  東京に帰りついたわたしは水野に連絡を入れた。三浦紗織の父親の職業に興味があったからだ。それから木下雅敏の実家に招待状が行っていないか知りたかった。  三浦紗織の父親については、 「彼女の父親は三浦良一。東京経済医科大学教授。出身は京都にある飛鳥医科大学。まちがいないわ。ここのところ社会問題化している移植医療の立役者。五十七歳」  と彼女は即座に答えた。  半日ほどしてかかってきた電話は、 「木下雅敏の実家に問い合わせたところ、ダイコンパーティーの招待状のことを覚えていた。宛名が�木下家ご長男殿�となっていたんで、東京の彼のところに転送したそうよ。何しろこの家ではホストのご長男のことが話に出るのはタブー。なるべく足を向けてほしくないので彼宛ての物はすべて転送していたそうです」  と伝えてくれた。  そこでわたしはたぶん三浦家にも招待状は送られてきたはずだといいきり、移植医師、旅館経営者、酒造会社に共通する心当たりはないかと聞いた。 「ぱっと思いついたのは食物」  水野はいった。 「旅館に食はセットになってるものだし、酒造会社でつくる酒も口に入る。あと移植医師だけれどこれも元をただせば医者のはしくれ。医者が指示したり調合する薬もたいていは胃腸から吸収される。ここまでは明確に理屈がつくわね。あとこれはわたしの印象なんだけど、臓器移植って�ベニスの商人�みたいな感覚ない? つまり肉の切り売りみたいな。もっというともらう方は相手の肉を生で体内に入れる、つまり食らいついちゃうみたいな。この感覚が生々しすぎて、肉食経験の浅い日本人は移植に抵抗があるんだと思う」 「ありがとう。参考になった」  電話を切ったわたしはしばらく水野のいった言葉を反芻《はんすう》した。少なからずショックを受けていたからだ。  移植は現代の人肉食いではないかという思いにわたしは浸《ひた》された。たしかに利用するのは脳死を宣告された肉体で、人間としての生命は絶たれた状態だといわれている。  しかし一方、人間もまた生物であり、基本的に生物の本能は自身の生命の維持だけのために働く。それは人間も飢饉の時には人肉さえ口にして命をつなぐことで明らかだ。  そこまでは許せる。しかし脳の回復が見込めないという事実のもとに、死とリサイクルを宣告するのはどうだろうか? たとえ意識がなくとも心臓が波打っている状態は、生命体の最後のあがきとして認められ、それもまた生そのものではないのか?  食養生とリサイクルとを同時に実現させようとした、あの建部清庵はたしかにリアリストだった。しかし彼の根底にあったのは、草木だけで凌いでいるような食生活では栄養失調が進み、いずれ死ぬとわかっていても、なお、自然から与えられた生命をよりよく輝かせようとする、壮大なロマンだったような気がする。  わたしは清庵が残したいくつかの養生訓を思い出した。どれも野草、山菜の毒にあたった時の処方ばかり。身体中に湿疹《しつしん》ができたり、全身が草色にむくんだり吐き下し続ける症状には、どれにもごくごく薄い粥《かゆ》と塩が効くと書かれていた。  現実問題この処方でどれだけ癒えたかは疑問である。こんな状態に陥った人の多くは死が近かったものと思われる。飢餓の極限で粥が美味しく味わえたかどうかについても疑問だ。しかしこれには優しさが十二分に感じられた。食という本能を宿す命への慈しみそのものだった。  一方移植医療にはそれが感じられない。現代の人肉食いには、まずドナーの側に生物としてあるべき人間の生が無視され、それゆえ人肉食いの必然性が欠落している。これはもう、人類の歴史はじまって以来の残酷と紙一重ではないだろうか?  そう思いかけたところに水野からファックスが届いた。三浦良一に関するくわしいデータだった。受け取ったわたしはリビングのソファーで読みはじめた。  それによると三浦良一は埼玉県川口市生まれで父親は鋳物工場経営。医師の家系ではない。名うての受験校である大阪の難波中学、高校と進んでいる。ここでの成績はもちろん上の部類。ストレートで公立の飛鳥医科大学に合格。飛鳥医科大学といえば関西では、京都大学医学部に次いで偏差値が高い。ここまではごくありきたりの優等生の人生だ。  医学部二年で学園紛争を経験し学生運動の洗礼を受ける。授業ボイコット、大学を強制的に閉鎖させるなどの過激な行動に参加。この間、学部長襲撃の首謀者として任意同行、拘置されている。もっとも実刑は受けず、二年留年した後、医学部を卒業。一年後国家試験に合格。  これ以降は職歴の記述しかない。以下は十三年間の記録である。  広島県|福山《ふくやま》市陽明会病院勤務、沖縄県那覇市民病院勤務、山形県|天童《てんどう》市光正会病院勤務、新潟県新潟市営癌センター勤務、栃木県大田原病院勤務。  その後が今の東京経済医科大学。もっともここでは助手の時代はなく、いきなり講師で、助教授、教授と昇進していた。    十六  三浦良一には勤務先の大学で連絡がついた。要件をいうと、 「娘のことならすでに警察にお話ししてあるんですがね」  予期していた通り断わりの言葉を口にした。そこでわたしは、 「実はわたしは被害者の十人のうちの一人なんです。被害者になりかけた一人といった方が正確かもしれませんが。ホテルでの事件以後、被害者が連続的に亡くなっています。犯人の手が自分にもまわってくるかもしれない。いてもたってもいられない気分なのですよ」  といった。 「なるほど」  相手は相づちを打ってくれてから、 「いいですよ。ちょうどわたしも警察には不満を抱いていたところでした。まだ犯人が挙がらないのに何の報告もないんですから。市民には洗いざらいしゃべらなければならないという義務があって、あっちには組織ぐるみで秘密を守り通す権利がある。これじゃまるで日本の警察は帝王じゃありませんか?」  と怒りの口調になった。  そんな成り行きでわたしは三浦良一を荻窪《おぎくぼ》の自宅に訪問することになった。その日はウィークデーだったが、彼は夜の八時以降ならたいてい帰宅しているといった。 「いろいろごたごたしてましてね。現在のところ大学内でわたしとまともに口をきこうという者はいないんです。孤立無援。しかし悪くありません。こっちだってそうそう周囲に好意を持っていたわけじゃありませんから」  とも、この少壮の大学教授はいった。  これについては水野が、 「三浦医師が日本における臓器移植の草分け的存在であることは確かよ。ただ彼は目立ちすぎるの。自分の意見や主張をどんどん前に押し出すタイプ。恩義のある人の意見や学説、やり方でもまちがっていると判断すれば、自分の信念にもとづいてやっつける。これでは日本の社会では青いといわれる。彼がここまで出世したのは睡眠時間三時間と噂される、不眠不休の努力ゆえよ。こういう勤務態度も仲間内ではずっと評判がよくなかった。だから彼が今、学界や移植関係者の間で干されている表面的な理由は事務的なミス、移植希望患者名簿の管理の杜撰《ずさん》さだけど、これははめられただけのこと。真相は彼のキャラクターにあるらしい。つまり昔ながらの全共闘流」  と前もって情報を提供してくれていた。  門灯の点《つ》いていない生け垣のある家のインターフォンを押した。電話で聞いた三浦医師の声が出て、やがて大柄のいかつい印象の男が現われた。ネクタイを外しただけのワイシャツ姿である。白髪まじりの頭髪はふさふさしているが、脂っ気はない。かつて生気にあふれていたと想像される野球のベース形の大きな顔は、しみと皺《しわ》が目立った。目尻《めじり》も口角も下がって情けない老いの表情を作っている。だが突然、 「なに、一時の嵐ですよ。そのうちまたやりたい放題やれる時が来ます。わたしは何度もがれても生えてくる翼を持っているんです」  といい出した時の彼の目は見開かれて、恐ろしいほど澄んでいた。幼子に通じる生気そのものといっていい。  わたしは三浦良一に案内されて玄関から続く階段を降りた。地下は全室彼のスペースで書斎とベッドルーム、オーディオルームで占められているという。わたしは分厚い医学書で埋まっている四方の壁を見回しながら、黒い革張りのソファーに腰を降ろした。 「今、コーヒーをいれましょう」  わたしはいれてくれたコロンビア豆の酸味の勝ったコーヒーをすすった。 「それでは本題に入りましょうか」  彼は手持ちぶさたにテーブルの上の葉巻を手に取った。 「現在の苦境はわたしのつきあいの悪さと意固地な性格が招いたものだという人もいます。まあ、どうでもいいことですよ。しかしだからといって家庭的な人間だったかというと、全くそうではなかった。つまりこのありさまです。ところであなたはおいくつですか?」  聞かれたわたしが三十五という自分の年齢を口にすると、 「お若いんですね。あの七〇年代にはまだ幼児だった。それでそんな具合に割り切ることができる」  ため息をついた。それから、 「家を新築してここをつくったのは娘が生まれてすぐのことです。二十年前。わたしにはここが必要でした。わたしはここに潜むことで表で発散する厖大《ぼうだい》な気力、体力を養う必要があった。わたしは自分は家庭にではなく志に生きる使命があると信じてきました」 「それを奥さんは理解されていましたか?」 「仕方がないと思って諦《あきら》めてくれていましたよ。あるいは彼女は典型的な常識人でしたから、娘には形だけでも父親が要《い》ると思いこんでいた。せめて娘が結婚するまではと思っていたのかもしれません。それで娘があんなことになると即刻家を出て行きました。離婚のための細かい手続きは、弁護士を通じてほどなく完了します。妻の実家は裕福な開業医でしたが格別の支援を仰いだわけではありません。この家もわたしが自分の力で建てたものです。そのせいもあって離婚に当たっての財産分与はすっきりしたものでした。妻にはこの家以外のすべての資産が渡るはずです。その中には予定されているわたしの退職金も含まれています」  三浦良一は淡々とした感情のこもらない言葉で続けた。 「お嬢さんの死はショックでしたでしょうね?」  わたしは思い切って聞いた。 「ちょうどその頃わたしの社会的立場は微妙なものになりつつあり、運命を感じました。正直にいいます。あんなことになってもわたしは泣きくずれるようなことはなかった。涙も出ませんでした。わたしの運命を動かしている歯車の一部が欠けた、だがまだ全部破壊されたわけではない。そんな感じでした。妻はそんなわたしの態度を冷たいとののしりましたがね」 「ダイコンパーティーの招待状はあなた宛てに来たものですね」  わたしはやっと核心にふれることができた。 「そうです。家内が楽しそうなパーティーだから、自分が行こうかといっているのを聞きました。けっきょく何かの理由で家内も行けなくなり、興味を示した娘が行って悲惨なことになったわけです。招待状は目にしていません。主催者側にも心当たりはありません」  そこでわたしは、 「あなたのご実家は鋳物工場をされていたようですが」  被害者ともくされている人たち自身、またはその実家が何らかで食と関わっている事実について話した。旅館経営の木下雅敏の実家、酒造会社の内藤さやかの実家がいい例だった。新海龍之介は大根を研究していたし、絵島郁子は名だたるダイエット食の大家だった。このわたしにしても食文化の研究者で実家は北海道の海産物の卸し業である。椙山英次の勤務先は食についての出版をしている。 「家業には興味がそれほどありませんでしたが、しかしそれとあの招待状が関係しているとは考えがたいな」  三浦良一は頭をかしげた。 「あなたの職業と関係しているとは思われませんか?」  わたしはずばりと切り出し、水野が臓器移植について語った、極めて生々しい人肉食に通じる印象を口に出してみた。 「面白いお話ですね。ちょっと、一杯やりたくなりました」  そういった相手は立ち上がってサイドボードから、ワイングラスとロマネコンティをとりあげた。 「こういう時はブランデーがいいんでしょうが、弱いわたしにめんじて勘弁してください」  医師はワインを開け、グラスについでわたしに渡してくれた。この時はじめて、彼の背中がやや湾曲していることに気がついた。 「ああこれね。職業病ですよ。手術で長時間立ち続ける、そのせいです」 「面白いとおっしゃった根拠を話してください」  わたしは質問した。 「もう三十年以上前のことです。通っている大学内に医学史研究会というのがあったんです。魅力を感じて入ったのはその頃すでに、規制の秩序、学問大系、モラル、権威の押しつけなんかに生理的な拒絶反応を感じていたからだと思います。この会がわたしにアナーキーな医学思想を本格的に植え付けた。当時は西洋医学だけが科学で、漢方でさえも迷信に充ちた野蛮な医学だと見做されかけていましたからね」 「医学史研究会というからには、研究対象に近代医学以前のものも含まれるわけでしょう?」  わたしはしばらく彼の思い出話につきあうことにした。 「もちろん。そればかりか扱うのは前近代の反近代医学的なものばかり。漢方はいうに及ばず、心霊手術、シャーマニズム、密教治療の実態などです。漢方は別にしていわゆる迷信、呪術《じゆじゆつ》というやつのオンパレードですよ」 「たぶんそれにはマムシ酒などの民間療法も含まれますね」 「そうです。わたしたちはまずこれらのものが迷信ではないかと、疑ってかかった。ところであなたはヨーロッパ中世の魔女狩りの目的をご存じですか?」 「魔女狩りが実は開業医もかねる産婆の追放、根絶やしなど有能な民間療法施行者への弾圧であったことは知っています。彼女らは薬草学のプロでもあり、当時麻酔なしで、ただ切ることしか能がなかった男性外科医よりも、ずっと人々に信頼されていた」  わたしは急いで、魔女狩りと医学がクロスする部分についての知識を結集させた。 「産婆たちが切り捨てられたのは、国が定めた正規の医師よりもすぐれた産婆がいてはまずかったからです。彼女らへの弾圧が一世紀以上にわたらなければ、西洋医学の発達はもっと闊達《かつたつ》なものであったはずです。麻酔なしの手術の話をしましたね。これが行なわれていたのはつい一世紀半ほど前のことなんですよ。またその頃の医療は清潔とは無縁だった。産婦は自宅で分娩《ぶんべん》せずに病院へ行くと、必ず産褥熱《さんじよくねつ》で命を落とすといわれていました。医師たちは死者の解剖に使用したメスも手も消毒せず、血と膿《うみ》にまみれた白衣を勲章のように着ていたといいます。薬草学さえ正規に伝承されていれば、歯科医の麻酔薬であるクロロホルムや石炭酸の消毒液の発見を待つ必要などなかったのです」 「たしかに鎮痛効果といえばけしやベラドンナ、朝鮮あさがおなどがあるし、殺菌消毒作用にしてもミントやタイムなどのハーブ類にも、かなりの効果があるとされていますからね」 「今日ではね。ただしこれらのものさえ迷信の一つに数えられていたこともあった。もっとも合成のクロロホルム剤と石炭酸をより多く売ろうという、コマーシャリズム側の魂胆もあったろうが。だから迷信は常に疑ってかからねばならない」 「西洋医学的立証はそれほど必要ないと?」  正直いってこうした話の流れはわたしにとって意外この上なかった。臓器移植を専門にしている外科医といえば、医学をも含む現代科学の最先端を行く人物で当然、科学万能の思想で凝り固まっていると思っていたからである。 「臓器移植を可能にしたのは、免疫抑制の仕組みを立証したからだといわれている。ただね、このような試みが過去の歴史の上でなかったはずはないとわたしは思っている。例えばフランケンシュタイン。あの怪物は小説の想像上のものだが、西洋における臓器移植事始めだとわたしは見ている。何体もの死者から使えそうな臓器を取り出して交換する。すると心臓が動きだし生命が宿る。ただし脳だけは上手くいかず狂暴な怪人と化する。血液型や免疫の問題を除けば現代の移植手術とそう変わるものではない。臓器移植でもっともたやすいのは腎臓に次いで心臓だろうし、脳は最後までタブー視されるだろう。何しろ提供の前提は脳死なのだから」 「日本での例は?」  これが気にかかった。 「京都に羅城門跡という場所があります。『今昔物語集』の悪業|譚《たん》として出てくるし、芥川龍之介の『羅生門』の舞台でもある。平安時代、ここには埋葬することのできない死体が山積みされていたという。ここへ当時の医師たち、陰陽師《おんみようじ》や密教の僧たちは通いつめていたとわたしは思う。目的は死体。運がよければ瀕死者《ひんししや》漁り。より鮮度の高いものを求めて毎日やってきていたはずだ。安倍晴明《あべのせいめい》には死者を蘇生《そせい》させたという話が多いが、それらがすべて濃厚なマインドコントロールや祈祷《きとう》だけによるものだったとは考えにくい。またあるいはやはり平安期に狩人だった人が出家して皮上人と呼ばれた僧がいる。この人は臓器移植のスペシャリストだったのではないかと思う。日本の場合多くは仏教説話や美談に隠されているからわかりにくい」  そこで彼はぎろりと目を剥《む》いた。 「しかし成功率は低かったでしょうね」  わたしはため息をつきかけた。 「現代人が考えるとすぐそれだ。血液型のちがいもわからず免疫抑制剤も存在しなかったのだからね。しかし皆無ではなかったはずだ。だから数々の奇跡が伝えられてきている。時に血液型が偶然一致、免疫的にも問題のないケースというのがないとは限らない。人間存在と生命の神秘が科学を超えたものであることを忘れてはならない」 「しかしそのためにわたしたちの祖先はある種の残酷を生きていた。それも事実でしょうね」 「クレオパトラは奴隷や囚人を使って毒の実験をした。ヒトラーのアウシュビッツの大量殺人は非難されるが、医学の進歩は人体実験によるところが大きい。ある種の残酷に耐えないと進まない。これも事実です。そしてそれが医者の使命だとわたしは思っている」 「つまりそういった視点で迷信やいい伝えに真実の可能性を見いだしたというわけですね」  わたしは少なからず失望を感じていた。娘さんを殺した犯人もあなたと同じ思いだったらどうしますか? と聞きたかったが、さすがに言葉には出せなかった。すると相手は、 「実はあの事件の犯人は医療関係者で、今話してきたようなことのマニアかもしれないと思っているんです。これは直感です。理由はありません。命というものの行方に興味があって、とにかく試してみようとしている輩《やから》」  と提案してきた。 「現代の陰陽師や皮上人ですか?」 「ええ。少なくとも犯人は毒殺だけに絞って行動しているのではないと思う」 「必要な死体がなければ殺人も辞さないと?」 「そう思います。ただしその場合には冷蔵できる場所がいるでしょう。昔の医師たちならきっと、山あいに氷室をさがしあてて使ったでしょうね」 「氷室ですか」  ある思いが頭をよぎりかけた時、テーブルの上に置いたままになっていた三浦医師の携帯電話が鳴った。    十七 「君か——」  電話に出た三浦医師は言葉少なに相手に応じた。うんうん、探しておくといって切った後、 「出ていった妻からですよ。紗織の遺品で思い出したものがあるから探してくれというんです。古い役者絵です。位牌《いはい》に供えたいそうです。幼い頃から娘が気に入っていたものです。妻と娘は歌舞伎《かぶき》が趣味でよく出掛けていましたからね」  といってさすがにせつない様子を示した。  三浦家の正確には地下室を辞したわたしはタクシーを呼んでもらって帰宅した。時間はすでに夜中の一時近かったからだ。シャワーを浴びてベッドに横になったが寝つけなかった。カモミールティーをアイスで試してみたがこれでもだめ。諦めたわたしはリビングのソファーに座って気になっている、とりとめもない思いをメモ用紙に書きとめてみた。  近代と前近代 臓器移植と迷信 毒殺と死体 マニア 臓器と氷室  書いた自分の字を繰り返し見つめているうちに、ある閃《ひらめ》きに打たれた。三浦医師から氷室という言葉を聞かされてからずっと、潜在意識の中に何かが蠢《うごめ》きはじめていた。その正体がやっとわかったのだ。  わたしはリビングの電話に飛び付き、水野の携帯を呼び出した。 「もしもし」  水野が眠そうな声で応《こた》えた。 「僕だ。君に確認したいことがある。棡原で殺されていた老人、相川菊二の死体の土についてだ。あれはたしか吉祥寺のものだったね」  わたしは息せききって追及した。 「正確にいいましょうか。典型的な関東ローム層。武蔵野周辺。土壌的にもっとも近いのが吉祥寺」  それがどうしたとばかりに水野は不機嫌に答えた。 「たった今、あの吸血鬼の見当がついたんだ」  わたしは叫ぶようにいった。 「こんな時間よ。夢でもみたんじゃないの?」  水野はうんざりした調子で皮肉った。そして、 「こっちは当直。ここは警視庁の仮眠室。最低の睡眠条件。でもあなたの目を覚ましてあげることぐらいはできそうね。あの事件で他にわかったことを教えるわ。相川菊二はアルコールによる肝臓癌の末期だった。それから同じく失踪《しつそう》中の稲垣静、八十一歳は胆石の持病があって癌に移行。最近|胆嚢癌《たんのうがん》を宣告されたばかり。全身の血を抜かれた五十嵐まゆみは白血病。血液の癌。この三人の共通項は癌患者だったということなのよ」 「彼らが通う医者または医療関係者なら各々の病歴がわかっていたはずだ。その筋に犯人がいる。医師や病院が同じだとは考えられないから、たぶん三人の血液検査に関係した人間が犯人だ」 「たしかにね。三人とも同じ茨城県で近隣ではあるから、血液検査は同一業者が引き受けていても不思議はないわ。ちょっと待ってね。今ファイルをくわしく見るから」  そこで一度水野の言葉は途切れた。そして再び話しはじめた水野の口調はさっきのものとは打って変わって緊迫していた。 「業者の名はグリーンメディカルサービスセンター。北関東全域が主な守備範囲。あなたが推理した通り、相川菊二、五十嵐まゆみ、稲垣静の血液は同じ担当者によって検査されている。癌専門のプロフェッショナル。坂本和幸《さかもとかずゆき》、三十二歳。十年近く医学部、留年を続けている学生。チームワークを必要とする実習に参加せず、その単位が足りないの。もっとも知識があるせいか、検査の腕はよかったとアルバイト先では証言しているそうです。ここでは腫瘍《しゆよう》マーカーなどの入る込みいった検査には、医学生や看護学生を使うんだっていばっていたとか。そうじゃない、ごく普通の健康診断は主婦のバイトも可。実はひどい話」 「坂本和幸の住まいは?」 「それがまだわからないの。彼が深夜、仕事をしていた検査室が土浦市内であることがわかっているだけ。それも先月で辞めている。もちろん携帯はもうつながらない」 「吉祥寺で廃屋化している病院とか、食堂はないかな」 「そんなのも含む不審なものには当たってみているはずよ。住民からの聞き込みもしている。でも派手なピンクに塗りかえられた保冷車が一台、住宅地をよく行き来しているという話ではね。悪趣味な住人がいるなんて話は参考にならない」  彼女がその言葉をいい終わらないうちに、 「それだ。まちがいない」  とわたしはいい切った。 「犯人は保冷車の持ち主だ」  と続けると、 「わざと目立つ色に塗りかえたのかもしれない。盗んだものである可能性もある」  やっと気がついた水野が同調した。 「今からそこへ行く。あなたも行ってくれるわね」  念を押され、支度をしてベランダに出て二十分ほど待っていると、彼女が運転する警察の専用車が玄関口につけられた。  車中わたしたちはめずらしく黙りがちだった。いくらか緊張も手伝っているが確信しているのはわたしの方だけで、水野はまだ半信半疑であることがわかる。そうでなければ警察が大挙してめざす家を包囲、続いて家宅捜索するだろう。  考えてみれば今のわたしたちの行動には何の物的証拠もないのだ。相川、五十嵐、稲垣の三人の血液検査を癌専門の担当者がしたからといって、彼が犯人だと断定できる根拠はどこにもなかった。第一、動機が何もないではないかと詰問されかねない。  だからたぶんこの水野も上司にも仲間にも何一つ明かさず、自分の心一つに留めてまっしぐらに車を飛ばしてきたはずだった。 「三人の共通項は癌患者だったわね。そこから導き出されたのが坂本和幸。でも彼らの癌と坂本の動機との間に関係があるとは思えない。どうして彼らなの? 彼らが選ばれなければならない? これがわからないと誰一人説得できないわ」  我慢と不安に耐えかねたのか、とうとう水野が最大の疑問をわたしに向けてきた。 「これは人類の歴史に共通する事実の一つだ。人間は共食の儀式としての人肉食いとは別個に、薬として同類の血と肉を食べてきた。そうなったのは飢餓の時の非常食に人肉を食べたことがきっかけだったのか、それ以前からのものだったのかはわからない。ハンセン病に人の尻肉、肛門《こうもん》が薬効あらたかだというのは江戸時代にすでにあった俗信だが、他に肝臓、肺臓、心臓は眼病、脳や性器は梅毒にも薬効があるとされていた。こうした俗信は二十世紀初頭の当時でいう朝鮮にも死体泥棒という犯罪で見られるし、中国には割股《かつこ》という風習がある。割股は親の重病に際して、子供が腕の肉を自ら削《そ》ぎスープにして飲ませる、それでも効果が薄いと内臓までも提供したという」  そこでわたしは一度言葉を切って運転している水野の横顔を見つめた。 「つまりあなたは坂本和幸が薬餌《やくじ》目的で連続殺人を犯したというのね」  水野は感情のこもらない澄んだ声でいった。 「五十嵐まゆみは全身の血と骨髄、相川菊二は肝臓と周辺の組織、そしてたぶん稲垣静も癌化した胆嚢を切り取られているはずだ」 「何よりわからないのはね」  隣りの水野は薄く笑って、続ける。 「『今昔物語集』の平貞盛の話ならわたしでも知ってるわ。奥さんのお腹の子を特効薬として疱瘡《ほうそう》にかかった父親にねらわれる話。それから|安達ケ原《あだちがはら》や戸隠《とがくし》の鬼女伝説。こうした話で特効薬として登場するのはどれも胎児ね。それならわかるのよ。胎児の後から出てくる胎盤が、ある種の病気に効き目があるといわれてきているでしょう。それから胎児ほどではなくても、成人の他の臓器にもそこそこ薬効はある、まあそこまでぐらいなら妥協してもいい。この手の人体実験は現代ではタブーだけれど、江戸時代はそうでもなかった。警察学校の法医学の先生に聞いた話だと、人間を素材にした薬は表向き刑死人の死体に限られていたけれど、かなり広い範囲にブラックマーケットは存在したらしい。だからあなたの今いった話を笑いとばす気はありません。ただし癌細胞に冒された組織がどうして必要なのか、それがわからない。だから犯人は薬餌が目的だとは思えないのよ」  そこで彼女は以前関わった、やはり臓器にこだわり続けた犯人の僧侶《そうりよ》について触れた。それは父親の跡を継いだ若い僧侶が起こした猟奇殺人で、彼は人間の脳が万病を癒やすシャーマンになるための特効薬だと信じていたのである。 「彼もそうだったけれど、ようは狂気のなせる業なのよ。どうしてそんなことをするのかなんて誰にもわからない。本人だってきっとわかっていないんだと思う」  そういった後、 「ただしこれはあくまで坂本和幸が犯人だと仮定しての話」  と釘《くぎ》をさすのを忘れなかった。  夜はすでに明けはじめていてあたりは白みかけている。水野は住宅街に入ると何度か左折したあと奥まった路地で車を停止させた。ピンクのバンが止められていたのは行き止まりで、家の表札には野口とあった。  平屋建ての一軒屋で敷地面積は五十坪ほど。相当老朽化している。門を入ると荒れはてた庭が一望できた。伸び放題の雑草にまじって苔《こけ》むした石灯籠《いしどうろう》や手水鉢《ちようずばち》が無残な印象。もとは手入れの行き届いた由緒ある住まいであった様子が見てとれる。  彼女は素早くポケットから白い手袋を取り出して、一組をわたしに渡し、自分もはめた。その手で玄関のドアノブに手をかける。するりと難なくまわった。 「おやおや、これはまた用心の悪いこと」  言葉とはうらはらに横顔に緊張が走っているのがわかった。  水野は靴を脱いで玄関を上がった。わたしも後についていく。長い廊下だ。両側はすべて障子で部屋数は五室ほど。その一室、一室の障子を彼女は念入りに開けて確認していく。玄関を入ってすぐが使用人の部屋と思われる三畳の板の間で、あとはどの部屋も畳が敷き詰められている。タンスなどの調度品には白い布が掛けられていた。ただし黄ばんだ畳はところどころぶかぶかで黴《かび》と埃《ほこり》の巣窟《そうくつ》だった。 「クレゾールの匂いよ」  最後の部屋に佇《たたず》んだ時、水野が囁《ささや》いた。 「音がする。ブーンという音」  そこでわたしたちは顔を見合わせた。 「この奥ね」  水野が断定し、その部屋を出てさらに進んだ。廊下は右手に折れていてその先から匂いと音は流れ出していた。 「ちょうど家の北側に当たる。台所だな」  わたしはいった。古い家の台所は陽の当たらない北向きの場所に設定されていることが多い。  台所の扉は板でできていた。引き戸になっている。その前に立っただけで頭がくらくらした。強烈なクレゾール臭だったからだ。ブーンというモーターの回る甲高い音も耳を占領している。  水野が扉を引いた。気がつくと拳銃《けんじゆう》を右上半身に引きつけている。油断のない態度で一歩、二歩、板敷きの台所へと踏み込んでいく。 「早く」  急《せ》かされてあわててわたしも中へと踏み出す。  台所は変形の十畳間で矩形《くけい》に近い。そのスペースには一瞬、ひんやりと冷たいうす暗がりが広がっているように見えた。旧式の調理台に木製のふたがついた釜《かま》。記念館で見る古い民家の台所の作りを想わせる。  だがよく見ると漆黒の真新しい大型冷蔵庫が一台、でんと壁際に居座っている。それからやはりこの場には似つかわしくない医療用のベッドが一台。それにかかっているグリーンのビニールには血のしみがついていた。 「この先だわ」  水野の声がかかった。彼女は台所を突っ切ってさらに右へ進んだ。 「ここよ」  上半分ほどが模様付きのすりガラスでできている引き戸を引いた。ものすごい臭気に目がくらみかけた。涙が出かかる。ハンカチを取り出してとりあえず目と鼻を押さえた。  半畳ほどの脱衣場から続くスペースは浴室と思われる。ただしそこも引き戸が閉まっている。こちらの引き戸は上から下まですりガラスでできているが模様はついていない。うすぼんやりとだが向こう側が見えた。タイルの浴槽に人の形と肌の色。  浴槽に全裸の人間がうつぶせで浮いている。死んでいるのは首の索溝痕《さつこうこん》でわかった。人指し指二本ほどの太さの赤い筋がくっきりとついていた。 「これは」  いいかけたわたしに、 「誰が死んでいるのか確かめることが先決」  と水野はいって、洗い場にたてかけてあった木製のふたの一部を手に取った。この手のふたは扇型の浴槽の形にぴったりおさまるように作られていて、ジグソーパズルのように組み合わせて使われる。 「この浴槽の水はフォルマリンよ。わたしは慣れているから、はじめからこの家の臭いはクレゾールだけじゃないとわかってた。フォルマリンはクレゾールとちがって皮膚に有害」  彼女は幅二十五センチほどのふたの一部を浴槽の死体の背中の裏側に沈めた。ふたを櫂《かい》のように操って、向きを変えさせる。途中わたしにも声がかかった。 「下半身をお願い。現場保存のためにくれぐれも死体に傷はつけないように」  そこでわたしも櫂代わりにふたを取りあげ、二人で三十分ほど奮闘した結果、死体は素顔を現わした。わりに整った顔立ちの細面《ほそおもて》の輪郭がわたしたちに迫った。ただし少年のような若々しい顔にはアンバランスな白髪。 「まちがいないわ。坂本和幸ね」  水野は荒い息を吐き出すようにいった。 「身長百六十二センチ。体重四十八キロ。盲腸の手術痕あり」  さらにポケットから入手済みの証明写真とメモを取り出して、わたしに見せた。 「坂本和幸は死んでいる。自殺ではなさそうだ。だがそれだからといって、彼が吸血鬼ではなかったということにはならない」  わたしはまずそういった。坂本の死と彼の所業とは別個に考える必要がある。 「もちろんよ。それには探さなければならないものがある。戻りましょう」  水野も同意しわたしたちは台所へ引き返した。 「現代は冷蔵庫の夢を見る刑事を増やしたわ。もちろん悪夢に決まってる」  そういって水野は、黒い扉の把手《とつて》をつかんだ。  あやうく白い閃光《せんこう》に吸い込まれそうになった。棚が外されたスペースにゴミ用の特大のビニール袋が五包み、きっちりと封をされて並べられている。その他のものは何一つ入れられていない。特有の臭気が漂いはじめていた。ビニール袋の中身はすでに赤黒い色ではなく茶色がかっている。信じられない場面で信じられないものを見てしまった、そんな感じだった。 「これだけじゃないわね」  水野が感情を抑えているのがわかった。 「後の部分は庭にあると思う」  わたしは黙ってうなずいた。それからわたしたちは庭に出て、土の色が変わっている場所をしらみつぶしに探した。それらは二ヵ所もあって、相川菊二を埋めて掘り起こしたと考えられる穴はそのまま放置されていた。 「ここの土は採取が必要ね」  彼女はその仕事を素早く片付けると、 「もう一ヵ所は人を呼んでまかせるわ。冷蔵庫の中身だけでみんな十分動くはずだから」  といった。 「それより今じゃなくてはできないことをしたいのよ」  ともいい、再び各部屋を確認しはじめた。 「坂本和幸の遺留品を見つけたいならバンの方じゃないかな。彼がここでやったのは摘出、解体の作業だけだと思う。バンが彼の部屋だ」  わたしは思いついていった。 「そうだったわ」  わたしたちはバンを調べた。バンは保冷車でスイッチが切られておらず、冷蔵庫の状態だった。そして彼はここに日常生活に必要な諸道具を置いていた。電気カミソリから歯磨き粉、下着や着替え、ビール、簡単なスナック類までとり揃《そろ》えられていたのだ。  本や雑誌、ファイルの類いまであった。 「たしかに完全な個室だわね」  水野がいった。  わたしは書籍類に目を通しはじめた。知力にかけては優秀な青年だったらしく、原書の医学書が多い。中には中国語やアラビア語で書かれているものもあった。  ファイルに手を伸ばした。分厚いファイルを持ちあげかけた時、新聞記事の切り抜きがはらりと落ちた。  ファイルを置き、色の変わった切り抜きを拾って読みはじめた。  記事は昭和四十四年七月五日の朝刊である。医学関係の記事で福山にある陽明会病院の内科医師の研究が取り上げられている。内容はマクロファージと呼ばれる白血球の一種を老化防止に応用できないかというものであった。マクロファージには貪欲《どんよく》なまでに癌細胞などの外敵を攻撃する性質があり、その際老化と呼ばれる生体反応、メイラード反応を阻止する働きがあるというのだ。  もともと老化という現象はヒトのDNAに組み込まれた遺伝的なデータだが、遺伝質とは関係のない老化の生体反応を皆無にしていくと、人間の寿命は男で九百歳、女で二千四百歳まで伸びる可能性もあり、飛躍的な長寿の時代はすぐそこまで来ているとこの記事は結ばれていた。  高度成長まっただなかの記事らしく楽観に充ちた未来像が想定されていた。写真で紹介されている温厚そうな医師の顔も生き生きと明るく輝いて見える。  浅井一也《あさいかずや》氏 七十七歳 飛鳥医科大学名誉教授 専門 内分泌外科  次にわたしは一度置いたファイルを取り上げた。丹念にファイルに目を通していく。こちらの方は種々雑多で特に医学だけに絞って収集されたものではなかった。植物学、動物学、生理学、生化学など。変わったところでは文学、哲学、民俗学まであった。中に時折坂本和幸自身がワープロ打ちしたものが混じっている。三分の一ほどいったところで次をめくる手が止まった。開いたファイルが以下のようなものであったからだ。   �マクロファージの変異性と臨床応用への試みについて�     ——ある早老症多発地域に学ぶ—— 坂本和幸    十八 「何なの?」  坂本和幸のリポートを読み終わったわたしはわずかな間だがぼんやりしていたのだろう。せっかちな水野が声をかけてきた。 「さっき君が車の中でなぜ彼は癌《がん》患者をねらうのかといったね。あの答えがこれ。日本のある小さな村ではそこの有史以来、根強い風土病がなくならない。早老症だ。そこに住む人たちの人口が何百年と変わらなかったのには理由があった。その村の住人の遺伝子は代々若年性の癌を伝えるものと、マクロファージの遺伝的異常性を示すものとに分かれていた。そこにはこれ以外のいわゆる正常といわれる遺伝子は存在していない。癌の遺伝子はウェルナー症候群、早老症の遺伝子に乗って存在していた。つまり早老症の人たちはそのほとんどが二十歳前に癌死したわけだ。これはもう手の施しようがなかった。一方変異したマクロファージの方は思春期が山だった。子供たちは普通、思春期まで大腿骨《だいたいこつ》と胸腺《きようせん》から成長促進のためのリンパ液を流出させる。ところが変異したマクロファージの持ち主たちは、こうした当たり前の人体のメカニズムを受容できなくなる。ほうっておくと悪性の血液病でみんな死んだ」 「でもそれではその村はとっくになくなっているはずよ」  水野はじっとわたしを見据えた。 「これははじめに誰が試みたのかわからない。あるいはこれも飢饉《ききん》の時の咄嗟《とつさ》の人肉食いが幸いしたのかもしれない。とにかく村も住民も生き延び続けた。彼らはかっこうの治療方法を見つけだしたからだ。変異したマクロファージに癌細胞で対処したのだ。マクロファージ異常の子供たちは、癌死した早老症の仲間の患部を食べて思春期までの薬餌《やくじ》とした。思春期が来て成長が止まると不思議にマクロファージの暴走も止まった。これはおそらくホルモンと免疫のメカニズムに関係してくる未踏の領域だと、坂本和幸は結論づけている。救われた子供たちは長寿者が多く、そして老いるにつれ、自分の体が共同体の役にたつよう誰もが癌死を願った。癌細胞が自分たちの種を救済すると識《し》った時、村人たちは神の存在を信じたかもしれない」 「でも三十二歳の坂本和幸がマクロファージ異常だとは考えられないわ」 「その通り。ただ彼はそう信じこんだ。変異したマクロファージには癌細胞が有効だという研究にとりつかれたんだ。マクロファージ異常は思春期の子供の病気とされているから、彼自身永遠に思春期を生きる子供だと自分を思いこみたかったのかもしれない。大人になりたくない方便が昂じた可能性はある。途中おそらく、誘拐する癌患者の種類にしても、血液中が癌細胞で埋まる白血病患者が理想的だと気がついた。この方が絶対量が多いと。それで三人目は骨髄移植を目前にした五十嵐まゆみになった。すべては救いがたい狂気だ。理解できない」 「彼の白髪頭はたぶん染めたものだと思うわ」  水野はため息をついて、続ける。 「職業柄多少は彼の行動がわかる。彼は自分で作り上げた空想の村の住人になってしまったのよ。早老症の住人を生きるために白髪に染める、そしてマクロファージ異常の子供であるために癌患者を襲う」 「村はあくまで架空のものだと?」  わたしは水野に確認した。実をいうとわたしはまだ半信半疑だった。長く文化人類学や民俗学を研究していると、常識や科学で一刀両断に切って捨てることのできない、現象をも含めた人間というものの不可思議さに行き当たることが多いからだった。 「当たり前よ。この手の犯罪者に特有な妄想癖にすぎないわ。そんなところ実在するわけがない」 「そうかな。ありそうもないでっちあげ話だと君がいうなら反対だ。この場合は医学だけれど、一般に知られている知識や情報を盲信しすぎていやしないか? 奇跡の一種が、どこかで起こっていても不思議はないんじゃないか?」  気がつくとわたしは自分でも意外なほど熱を入れて話していた。そのせいもあったろう。 「わかったわ」  水野は一応うなずいた。それから、 「だけど今考えなきゃいけないのはどうして坂本和幸が殺されたかということじゃない?」  矛先を変えた。わたしは、 「坂本和幸が相川菊二、五十嵐まゆみ、そして冷蔵庫と庭に遺体が眠っている稲垣静を殺した犯人であることはほぼまちがいない。でもまだ共犯者がいる」  といった。 「ここには荒らした跡がない。共犯者がわたしたちの先回りをして坂本を殺したと考えて、なぜバンの中に手をつけなかった? ここにある遺留品は犯行の動機を解明する役にはたっても、共犯者に行き着く手がかりにはならない。そういうことなのかしら?」  そういった水野は急に虚《むな》しさがこみあげてきたのか、バンを降りかけた。その彼女にわたしは、 「とにかく共犯者は坂本の犯行を印象づけようとしている。フォルマリンは標本に使われる防腐液だったね。これを使ったのもこの時期、死体が腐敗しすぎないため。引き上げた時、顔ですぐに坂本とわからせるためだ。それが共犯者の意志そのものだよ」  といった。  それから、 「これに心当たりはないかな?」  ファイルから落ちた新聞記事の切り抜きを見せた。 「これは」  切り抜きに目を落とした彼女は反射的にわたしの目を見据えた。 「そうなんだ。木下雅敏の殺人現場にあったものと同じだ。あの奇妙なしゃもじやさかずきを包んでいた新聞紙。昭和四十四年七月五日毎朝新聞朝刊」 「木下雅敏を殺した犯人はこれが目的だった?」 「偶然の一致で同じ記事が発見されたとは思いがたい。砒素《ひそ》による大量殺人と吸血鬼はつながっている」 「坂本と共犯者がこれらの犯罪の犯人だと?」 「その可能性はある」  そこでわたしたちは再びバンの中を点検しなおした。 「あったわ」  運転席を調べていた水野が短く声をあげた。 「白い粉が入ったドロップの缶とコックの制服」 「コックの制服と一緒ならまず砒素にまちがいない」  バンでファイルの続きを読んでいたわたしは答えた。ドロップの缶と制服を手に持って運転席から戻ってきた水野は、上下の制服を広げてみながら、 「なるほど制服業者なら白衣の他にコックのものも扱うでしょうね。それで思いついたのかもしれない」  といった。 「そうだろうか?」  わたしはファイルを読み終えて閉じたところだった。 「彼のファイルに砒素についてのものはなかった。毒殺に興味がなかったのではないだろう。砒素は坂本和幸には凡庸すぎる毒なんだ。だからこれは共犯者の趣味だと思う。それと坂本と共犯者は波長がちがいすぎる。坂本はマニアックだが解体作業や庭に埋める遺棄の手間に疲れると、無造作に死体を捨てている。その証拠にはじめに誘拐された稲垣静だけが今見てきた状態だ。最後の被害者五十嵐まゆみなどはごみ同然に捨てられている。一方共犯者はフォルマリンの例でもわかるように几帳面《きちようめん》で綿密だ。事務的でさえある。坂本に砒素を使わせたのは確実を期してのものだった」 「ちょっと待って。あなたは坂本が怠慢だといっているけれど、棡原はちがうわ。一度埋めた相川菊二の死体をわざわざ掘り起こして運んでいる」  水野が抗議を申し立てた。 「あれは共犯者の命令だと思う。それなりの思惑《おもわく》があった。あるいは坂本に罪を背負わせるための小道具だったのかもしれない。死体についていた土でいずれはここへ行き着くわけだからね」 「でもそれならなぜ共犯者は坂本に自殺を装わせなかったの?」 「さてね」  わたしは頭をかしげた。そして、 「今はそこまではわからないよ。ただ気になっているのは保冷車の存在。どうしてこれが坂本に必要だったのかわからない。普通の車で誘拐すればいい。殺害が目的だとしても鮮度が問題だとしても、この家があって冷蔵庫があればいい。もともと保冷車なんて必要ないんだ。だから保冷車は別の目的で使われたんだと思う」  といった。 「それも共犯者の計画の一環?」 「だと思う。それから目立つピンクにペインティングし直したのもね。目立つ保冷車はかえって目立ちにくいという一面もあるが、警察の捜査の網の目には引っ掛かる。見た人が忘れられないイメージだからだ。狡猾《こうかつ》な共犯者はそこまで計算した」  そういいきったわたしはしんと頭の芯《しん》が冷えるように痛むのを感じた。すでに死んでいる坂本はもう恐くなかった。まだ見ぬ敵である共犯者の周到さに、わからない目的に戦慄《せんりつ》していたのだ。  数日後の早朝、水野薫が電話をかけてきた。めずらしく寝惚《ねぼ》けた声ではない。 「おとといから赤石真澄が行方不明。テレビ局から収録後すぐ消えたの。家にも帰っていないし、マネージャーにも連絡がいっていない。所轄にご主人があわてて届けを出しに来ている。赤石真澄は木下雅敏と接触しているわね。それもあってご主人にはこちらへ来てもらって話をしていただくことにした。あなたにも同席してもらえると助かるわ」 「わかった」  わたしはタクシーで警視庁へと向かった。  水野はがらんとしたロビーの受付で待っていた。例によって徹夜独特のきりきりした表情をしている。もちろん化粧はおおかた剥《は》げ落ちていて、髪はくしゃくしゃ。それでもふっと足元のじゅうたんに目を落として、 「突然で悪いわね」  などといってわたしを驚かせた。これほどのねぎらいの言葉をちょうだいしたことなど、ついぞなかったからだ。水野も多少は人間が練れてきたのかもしれない。そう思うとおかしかった。だが笑いはこらえた。得体のしれない犯罪が続いている上に、人一人がまた行方不明になっているのだ。 「木下雅敏を殺害目的で訪ねたのは赤石真澄かもしれない。少なくともその可能性はなくはないのよ」  赤石真澄の夫、田辺雄三《たなべゆうぞう》が待っている応接室が近づくと、水野はわたしに囁《ささや》くようにいった。 「わかってる」  わたしは真顔で答え、水野は部屋の扉を開けた。  簡単な自己紹介に続いて、相手がわたしへの謝意を言葉にした。惨事と化したパーティーでわたしが果たした役割を知っていたのだ。  そのあとまず、わたしたちは収録された番組のビデオを見た。これは警察がテレビ局から借り受けたオンエア前のテープで、何かしら不審なものを探すのが目的だった。  マスコミに名の売れた中高年の女性ばかりを集めた、回答者多数の人生相談の番組である。出演者の女性たちは女優が多いせいもあるが華麗。年の見当がつきかねるほどどの顔も若々しく服装は贅《ぜい》を凝らしている。 「これには亡くなった絵島郁子もレギュラーで出ていたのよ」  水野が説明してくれた。わたしにはもちろん馴染《なじ》みのない番組であった。赤石真澄については会ったのはあのパーティーが最初で、その時も介抱しただけで会話は交わしていない。会話をじっくり観察するのはこれがはじめてであった。  その赤石真澄は発言を聞く限り、聡明《そうめい》そのものといった女性だった。知情意のバランスが巧みにとれているとっておきの美女の印象。服装のセンスの点でも並みいる有名女優たちにひけをとっていない。この手の女性の例にもれず年齢は不詳。ただしこの番組に出ているからには五十代以下ではないだろう。  一方六十代には確実に見える田辺雄三はひょろりと痩《や》せて眼鏡をかけている。どこといって変哲のない老人だった。 「妻は通訳から女優に転身しました。大学は東大を出ています。わたしは彼女が海外ロケのパスポート申請をする際、窓口で出会いましてね。妻は美しさと知性との完全な融和そのものでした。わたしたちは結婚しました。やがて子供が生まれわたしは役所を辞めました。二人目の時、彼女がわたしに家事や子供を一任したいといったからです。わたしは家庭的なこまごまとしたことがそう嫌いではないのです」  そういって彼は洗剤で荒れた手と、爪を切り揃《そろ》えた指をいとおしそうに見つめた。言葉を続ける。 「わたしたち夫婦に問題はありませんでした。非常に幸福でした。男並みに働きたい、認められたいというのが妻の希望で、わたしの方は別にそんなことはどちらでもよかったからです。はっきりいっておきますが、妻の失踪は夫婦や家庭の不和とは全く無縁なのです」 「何か他に思い当たることはありませんか?」  いよいよ水野が質問を開始した。 「わたしたちは変わらなかった。ずっと幸せな蜜月《みつげつ》が続いていた。でも暗雲は外からわたしたちを包みはじめていました」  田辺雄三の口調が陰りを含んだ。 「具体的に」  水野はきびきびと促した。 「竹内武志は、妻が現在の地位に昇りつめる前に知り合った男です。世はバブル全盛時代。旅行代理店のオーナーで、全国にいくつも支社を出していた竹内は羽振りがよかった。気にいった売れない女優の一人や二人、何の苦もなく世話をすることができた」 「あなたと結婚する前の話ですね」  わたしは確認した。 「もちろん。とはいえ妻はこの人物のことをわたしにはなかなか打ち明けなかった。わたしが知ったのは二年前のことです。この時妻と竹内との間はすでに立場が逆転していた。妻は有名になってテレビに出るようになり、彼はバブル崩壊で会社は左前になっていた。おまけに家庭さえも失って独身。失うものは何もなかった。だから——」 「恐喝ですね」  水野はずばりといった。それから、 「しかしずっと金銭が絡んでいたとすると、愛人関係も続いていたんでしょうね。大変失礼ないい方ですが、彼女は自分の体をオールマイティーのカードに見立てて使っていた」  と続けた。 「いつのまにか多額な借用書が偽造されていて——」  相手はうなだれた。 「それなら竹内さんを訴えればいい。そうしなかったのはスキャンダルを恐れたからですね。人生相談でスカッと熱弁をふるう熟年女性たるもの、女くさい古くさい過去があってはまずい。または竹内さんの借用書の金額は妥当なものだったか——」  水野の辛辣《しんらつ》な言葉にさすがに相手はうなだれたままだ。だが彼女はそこでやめず、 「去年の十二月に出版された赤石真澄さんのヌード写真集が話題になりましたね。五十五歳の最年長熟女ヌードとして。出版社に問い合わせて支払われた印税の額を確かめてあります。一千万近く。これも竹内さんへの返済を意識したお金のためですか?」  さらに追及した。  そこでわたしは、 「わからないのはご主人であるあなたのお気持ちなんです。愛人である竹内さんと切れさせるために妻にこれだけのことをさせる。または彼女の決断を許す。おみかけしたところ、あなたにはふさわしくない選択のように思える。ヌード写真集はたしかに写真家にとっては芸術でしょう。でも読者にはだんぜん男性が多い。その意味がおわかりでないとは思えない」  といった。  すると突然田辺雄三は顔をあげた。わたしたちの方は見ていない。きっと覚悟を決めた表情で壁をにらみつけながら、 「申しわけないことをしました。今まで申してきたのは虚偽でした。たった一つの真実はわたしが妻を愛し続けてきた、それだけなんです」  と震える声でいった。 「ほんとうのことを話していただけますね」  水野の声音は優しかった。 「赤石真澄にとって大事なのは何より自分でした。いつも前向きに輝いていること。そのためには家族は常に犠牲でした。別居結婚は女としての永遠の若さと神秘性を装うためです。子供を産んだのはわたしを逃がさないための保険でしょうね。わたしは外見の地味なぱっとしない男ですが、実家は近郊の農家で多少の土地があるんです。長男ですから結婚前から、家督を引き継いでいました。これも彼女の計算にあったのでしょう。それでこの結婚は損のないものだと考えた。竹内武志は犠牲者ですがわたしも同じです。わたしは次々に、彼女の仕事上の面子《メンツ》や見栄、華麗な生活を支えるために土地を売りました。それでも足りなくて妻はヌード写真集まで出す。つまりわたしと竹内はともに窮迫し、彼女は大輪のバラのように咲き誇っていった。湯水のように自分のためだけに遣う金が彼女を女神のように輝かせる。でもこのことはたぶん、わたしが妻を殺す動機になるんでしょうね」  そこでやっと田辺雄三は壁からわたしたちへと視線を戻した。    十九  次の瞬間、わたしと水野は田辺雄三がとり乱し錯乱状態になるのではないかと懸念した。だが、 「つまりもし妻に何かあったと考える場合、わたしと竹内武志とではわたしの方が容疑が濃い。気の弱いわたしはそれだけ妻に悩まされていたともいえるんです」  と微笑さえ浮かべて分析した。 「奥さんはまだ行方不明の段階ですよ。それについてこちらが慎重なのは赤石真澄さんが例の事件の被害者だからです。助かった被害者の何人かが連続的に殺害されています。赤石さんも犯人にねらわれて誘拐されたのかもわからない。こちらが案じているのはそっちの方なんです」  水野は当惑を装って対応している。もちろんそれもあるだろうが、もとより赤石真澄の生臭い人間関係も捜査の射程距離に入っているはずだ。 「竹内武志さんと奥さんの関係をどう見られていました?」  わたしは率直に聞いた。前の話では金満家の竹内が窮していた赤石真澄を一方的に籠絡《ろうらく》したかのようで、彼女は悲劇のヒロイン、きれいごとすぎるように思われる。 「真澄は竹内の大胆で強引な性格に惹《ひ》かれている様子です。そうでなければこれほど長くは続きませんよ」  相手は自嘲《じちよう》気味にいい捨てた。そして、 「それから二人は最近新しい事業の話で盛り上がっていました。今までも会社を興しては潰《つぶ》すのが趣味みたいなところがありましたから。ただ今回は絶対成功する、時代にマッチしたものだし、そのうちあの絵島郁子を凌《しの》ぐ勢いにしてみせると妻は意気込んでいました」  と続けた。 「それ、どんな職種なんです?」 「健康食品の販売店ですよ。不況でもこの手の会社は業績がいい。小売り店規模で年間四千から五千億円市場にまで拡大してきているとか。二人はそれに目をつけたようです。業界に長い真澄はマスコミにコネがあるので、一攫千金《いつかくせんきん》も夢ではないと考えたんでしょうね」 「現代の霊薬信仰ですね」  わたしはため息をついた。健康食品もまた一種の薬膳《やくぜん》ではある。  医薬ではない健康食品にははやりすたりがあり、すたれるものも多いが、そのぶん次々に新しい情報が舞い込み宣伝効果もあるので、旨味《うまみ》のある商売といえる。おまけに癌に効くなどの効能をうたった健康食品は高価である。そして値段に臆《おく》さず飛びつく人たちの心理は、現代医学に見離されたがゆえの悲壮感、�溺《おぼ》れるものは藁《わら》をもつかむ�の弱みそのものである。もちろん売る側はこれにつけこんでいる。わたしがついていけないのはこの点だった。 「健康食品を断食療法と一緒に売る。そうも聞きました。ここまで細かくわたしに話したのはわたしに資金援助を乞《こ》うためですよ。故郷に残った土地が国道沿いにいくらかあるんです。でもこれはわたしの最後の持ち物ですからね。できれば子供たちに分けてやりたいと考えています」  そこでまた赤石真澄の夫は自嘲の笑みをもらした。 「断食療法はダイエットにとりつかれている若い女性がターゲットですか?」  それならたしかに近い将来、赤石真澄と竹内武志の企業は、ダイエット食品で成功した絵島郁子の好敵手になるはずである。断食療法での効果を持続させるために、ダイエットのために工夫したオリジナルの自然食品の数々を売ればいいし、それに飽きてまた体重が増加してきた向きには再度断食療法をすすめればいい。女性たちは時折行なう断食と日々のダイエット食で、永遠にスリムなプロポーションを保ち続けられるという夢に酔いしれることができる。 「でしょうね。ただしルーツは浅間《せんげん》信仰なんだと威張っていましたよ」 「ほう、浅間信仰、富士講のことですね」  浅間信仰は浅間山《あさまやま》とは関係がない。富士山に対する信仰で、対象は木花咲耶姫《このはなさくやひめ》ともいわれる富士大神、女神である。富士講は浅間信仰の一派ではあるが、近世以降浅間信仰といえばたいていはこの富士講をさす。  一方断食療法は民間療法の一環で、何も富士講固有の修行法ではなかった。一定期間食物を断つことにより、病気の回復や健康増進が図られる。数日間から一週間以上にわたって行なわれ、その間飲み水程度の補給だけで過ごす。遠い昔から悟りや求道のための宗教的行法の一つとして行なわれてきたが、療法として確立したのは大正期からである。もっともこれ以前にも寺社では行なわれていて、一般の断食志願者は純粋に内科的な療法として行なう人たちが多かった。 「妻も竹内も富士吉田の出身でしてね。意気投合したのも同郷ということもあったかと思います」 「奥さんのご実家は何をされています?」 「雑貨屋です。本人は土地の名家だと吹聴《ふいちよう》していますが、これは嘘《うそ》です。新しい仕事がはじまったら御師《おし》だったと訂正するつもりのようでした。もちろんこれも嘘です。竹内にしても実家は養蚕農家ですからね。御師とは縁もゆかりもありません」  夫は皮肉な笑いを浮かべた。 「先祖が御師とは本格的な仕掛けですね」  わたしは真顔でいった。御師とは一般の信徒の登山を助ける強力《ごうりき》的存在である。  そんなわけで御師は中世以降富士山が山岳修行の山と崇《あが》め奉られ、全国各地から登山者が集まってくるにつれて定着した職業である。登山口の本宮《ほんぐう》、吉田などに各々富士を祀《まつ》る浅間神社があり、彼らはそこに所属していた。一般の強力と異なる点は彼らもまた宗教者であったことである。職業人と化した山伏といってもいいだろう。 「わけのわからないキャッチフレーズや自己顕示が仕事になる世界ですからね。もっとも受け入れる側が望んでいることなんでしょうが」  彼はまた冷ややかに笑った。 「そうなると食行|身禄《みろく》も出てきそうですね」  わたしはふと思いついたことを口にした。食行|身禄《みろく》というのは江戸時代の享保年間に生きた宗教者である。彼は富士講の開祖者ではないが飛躍的に発展させた人物として名高い。また身禄と断食は縁がある。彼は正直、慈悲、情、不足の四つの徳を説き、民衆の救済を願って富士山中で入定《にゆうじよう》、自主的飢餓死を遂げたからである。彼の教義に貫かれているのは反権力、世直しの思想であった。  そのため身禄の遺体は下山させられ埋葬されたと伝えられる。即身仏として民衆の信仰の対象になることを江戸幕府が恐れたためであった。また幕府は江戸八百八講にまで発展したこの富士講に、在俗者の宗教活動は認めないとしてしばしば禁止令を出し続けている。  田辺雄三は身禄を知っていた。 「身禄という言葉は聞きましたよ、断食療法の大義名分になると。断食のルーツが美形の富士山と富士講にあるというのは、悪くない発想だというわけです」 「なるほど」  今度は水野がため息をつきかけた。追い打ちをかけるように、 「仕上げは河口湖の自然です。市が全力をあげて取り組んできた、町起こしの観光事業にも一役買ってもらう予定のようでした。ラベンダー公園を主とするハーブガーデン。富士山。これらもキャッチフレーズに使おうとしていました。断食療法にはアロマテラピーを併用しようとスタッフを集めていましたっけ」  とつけ加えた。 「申し分のない現代的な企画だわ。いかにも若い女性が喜びそうな。仕事に疲れた中年女性も財布のひもをゆるめかねない。計算上はヒットまちがいなし」  水野が感心すると相手は、 「ただし資金集めがすんなりいけばの話でしょうがね」  と口元をゆがめた。 「断食療法となると道場が必要ですね。その手のものはすでにあったんですか? それともこれから探す予定だった?」  わたしは具体的な動きについて知りたかった。 「あるにはありました。わたしも一度は行ったことがあります。二度と行かなかったのは、そこが竹内の買ったばかりの別荘だと知ったからです。その別荘は富士吉田にあります。河口湖と富士山の両方が望めるいいところですよ。竹内は金に困っているはずだから、そんな金はどこにあったのかと気になっていましたが、最近出所がわかりました。中根瑞穂。ある出版社の会長夫人だそうです。妻と竹内はすでに小規模ながら商売をはじめていて、何人かは熱心な顧客を獲得していたんですよ。資金繰りが苦しいとちょいと泣きつけば、あるいは健康食品や断食療法についてまことしやかな蘊蓄《うんちく》をたれれば、ひっかかってくる輩《やから》がいる。家族など身内に深刻な健康問題を抱えている金持ちたちはいくらでも金を出す。まさしくわらにもすがる思いでしょうから。妻たちはそれがわかって、これはいけると踏んだんでしょう」 「竹内の別荘が道場。まちがいありませんね」  念を押した水野が席を立った。竹内と新たな商売をはじめていたという赤石真澄が、彼の別荘にいる可能性は高い。富士吉田署に確認を急ぐ必要があった。 「まあ竹内も妻も似た者同士ですからね。人のことは考えない。自分さえよければいい。それが変わらない限り、たとえ上手くいく仕事でももちこたえられない。ささいなことで諍《いさか》い憎みあう。わたしはそう思います」  田辺雄三はいった。自分にそういい聞かせているようにも見えたが、わたしはあの惨事のあった当日、自分一人一刻でも早く会場を出ようと交渉していた竹内を思い出していた。彼のあの呆れるほどの傲岸《ごうがん》さを——。  それから十五分ほどたって、 「今連絡があって河口湖にある竹内武志の別荘で死体が発見されたわ」  水野が応接室に入ってきた。 「赤石真澄と竹内本人の二体よ」 「やっぱり」  うなずきかけた田辺に、 「ただし二人が殺しあったり、心中をはかった形跡はないの。二人とも鈍器で後頭部を殴られて即死」  と彼女は続けた。そして、 「でかけるわ。いいわね」  とまずわたしにいってから、 「あなたもよ。あなたが行けば現場で正式な死体の身元確認ができる」  そういってさらに田辺を促しながらすでに体はドアの方向に向かっていた。 「あの、わたしは」  田辺は一瞬暗示にかかったかのように立ち上がりかけたが、すぐにソファーに崩れ落ちた。荒く肩で息をついて深く目を閉じた。 「ご主人は無理だよ」  わたしは水野に抗議した。こういう時の非情ともいえる職業人の彼女はあまり好きではない。 「ショックを受けている。しばらく時間が必要だ」 「わかった」  短く水野は答えて了承した。  そんなわけでわたしたちは二人で富士吉田へと向かった。水野の運転で東名を御殿場へと向けて走り続ける。  季節はすでに盛夏。ここのところ毎日、雲一つない晴れの日だった。時間は午後の三時をすぎている。目的地に近づいていた。するとほどなく、富士山が道路の行く手を塞《ふさ》ぐ格好で現われ出てきた。  頂上にわずかに残雪をいただいた姿である。目の前に赤く染まった同じ姿が現われて消えた。それから桃色の桜に彩られた姿の富士山。こちらの方は残雪の量が多く、純白のその色が奇妙に刺激的に感じられた。そう感じたとたん桜の色が一面の銀色に吸い込まれた。輝く円錐形の山がすっくと立っている。不思議な生々しさにとらわれた。まるで美女の裸体のような——。  例のビジョンだろうか? 気が重くなりかけて気がついた。そうではない。これはいつだったか絵はがきで見た富士の四季の表情の一部なのだ。わたしは笑いだし、水野はいぶかった。 「北海道には山が少ない上にこんなきれいな山はない。だから違和感がある。感動、畏敬《いけい》といってもいい」  わたしは端麗そのものといったその形から目を離せない。 「へえ。わたしは関東の人間だから富士は馴《な》れたものよ。見飽きている」  水野は退屈そうにちらりと前方を一瞥《いちべつ》した。わたしはその発言を無視して、 「だから昔の人たちが富士に魅せられ続けた気持ちがわかる。彼らはまず美に魅せられたんだ。美を愛《め》でる心から信仰に入っていった。その庶民感情が富士講の原点なのではないかと思う」 「ということはあながち、赤石真澄や竹内のもくろみは見当外れでもないわけよ」 「だと思うよ。それから富士には深く長い洞窟《どうくつ》があって、そこは女性の生殖器にたとえられてきた。それには性を生と同一視する人間の根源に関わる思索もあったろうが、もっと下世話にこの山は日本人のマリリン・モンロー、セックスシンボルでもあったんだと思う」  わたしはそこで、日記に自身のセックスについてのメモが多かった木下雅敏を思い出していた。彼と赤石真澄の接点について推理した。 「健康とセックスにこだわりがあった彼が信徒だった可能性はあるわね」  水野はうなずいた。  車は走り続けている。見えている富士山に向かって突き進んでいるかのように感じられるが、その距離はいっこうに狭まらない。ふとあの夢を思い出した。夢の中でもわたしは水野とこうして車に同乗していたのだ。  それもあってわたしは前方の富士山に目を凝らした。あの夢の山はこんなに美しくはなかった。もっと低くていびつでむしろ醜かった。そしてまだ遠くにあるはずなのに遠近感が狂って、山肌がすぐ近くに見えた。そればかりではない。その山肌は生の肉でできていて残雪はフリーザーの霜《しも》だったのだ。  わたしはさらに目を凝らして目の前を見つめ続けた。全身が緊張で硬直するのがわかった。だが予想に反して富士は変わらなかった。端正な山肌のスロープを雲が妖精《ようせい》の魔法のように通りすぎていった。  竹内武志の別荘の前はすでに警察関係の車で埋まっていた。湖畔に面してある七百坪ほどの敷地にロッジ風の二階家が建っていた。出入り自由の門を入って十メートルほど先が玄関だった。  水野が例によって、ごくあっさりと所轄の刑事たちに挨拶するのを聞いた。顰蹙《ひんしゆく》をかうのもいつものことなのであまり気にならない。渡された手袋をはめ彼女に続いて現場に入った。  まだ現場の死体は運び出されていない。水野からの通報で発覚した事件なので所轄が気を遣って、そのまま保存を続けていたようだ。あるいは水野が電話でそうするように指示したのかもしれない。  竹内武志が倒れていたのは一階の吹き抜けになっているリビングだった。窓を背にして赤いじゅうたんの上に突っ伏している。上半身はランニングで、ズボンと靴下をはいていた。  凶器はすでに庭から発見されていた。庭にあった石の像で五十センチほどのビーナス像である。二人分の血を吸っていると見られているが正確な分析はまだされていない。犯人はこれを殺人の目的で取り上げ、使用が済むと元の場所に捨てていったものと考えられる。 「犯人が侵入したのは窓ね」  水野はいい切った。  一方、赤石真澄はリビングを見下ろす中二階のベッドルームで死んでいた。やはりうつぶせだが倒れているのはベッドの上だ。こちらはネグリジェ姿。後頭部からの出血が白い毛布を染めている。 「次に犯人は階段を上がってここに来た。赤石真澄は気配に気がついて階下へ降りようとしていたところだった。それでもまさか階下で殺人が起きているとは予想できなかった。ここで多少身なりを整えようとしたのは事実ね」  そこで水野は血が飛び散っている楕円形《だえんけい》の鏡を見つめた。その鏡は壁に掛けられているが、ベッドの背もたれの隣りに並べられているように見えた。 「つまりベッドから降りた彼女は鏡に自分の姿を映すために犯人に背中を見せた。そこをまんまと一撃」 「女性は階下で物音がしたくらいで、鏡が必要なほどのみだしなみを気にするもの?」  わたしはそれが気にかかった。 「相手は愛人とはいえ何年もつきあいのある竹内だよ。いわば古亭主だ」 「あなたは彼女が誰かの訪問を予期していたとでも?」 「僕にはその方がわかりやすい」 「一理あるけど断定はできないわ」  それからわたしたちは階下に降りてもう一度リビングを点検した。  リビングの壁には安っぽい神棚がしつらえられていて、�浅間富士信仰�と書かれた色紙が躍っている。もとよりこうした言葉は存在しないから彼らの都合のいい造語にちがいない。 「これは何だろう?」  わたしは神棚の奥に手を伸ばした。祀られているのは和紙の束だった。共通しているのは白い顔とちょんまげ、日本髪。役者名とともに各々、忠臣蔵、里見八犬伝、義経千本桜、福助大豊年駒男、傾城稲妻草紙などと表記されている。極彩色の色があせかかってはいるが、どれも立派な浮世絵だった。  ただし古いものだ。新しくてもせいぜい明治初期のものではないだろうか? 江戸時代末期の可能性さえある。浮世絵が錦絵といわれた時代のものであってもおかしくない。 「彼らはビジネスに歌舞伎も取り込もうとしていたっていうの?」  水野は頭をかしげた。  わたしはその問いには答えず、 「気になることがあるんだ」  とだけいった。  三浦医師の妻は亡くなった一人娘の供養に役者絵を所望していた。錦絵は三浦良一の所有物だった。それを歌舞伎好きの母娘はいつも愛でていたのだ。  三浦の妻と娘は、その役者絵が古いものだからいわゆる本物だとわかって、自分たちのコレクションに加えていたのではないだろうか?    二十 「今連絡が入って、田辺雄三が専用車でこちらの署へ向かっている」  水野は門の前で、遺体が入った死体袋を見送りながらいった。 「それから彼のここ三日ほどのアリバイは完璧。碁が唯一の趣味だそうで箱根の旅館で仲間と夏の合宿をしていた。夜はおさだまりの宴会だから何人も証言者がいた。死体の所見は血液凝固や死後硬直などの状態からいって死亡後二日はたっていない。つまり死因が頭部|挫傷《ざしよう》の他殺であることはまちがいないところだけれど、赤石真澄の夫とは無関係と見做される」  とわかった情報を伝えてくれた。  それからわたしたちは車で東京に引き返すことになった。 「なんだか疲れたわ」  車にギアを入れかけたところで水野が深いため息をついた。 「それにやけに眠いの。ろくに寝ていないせいね」 「それだけじゃない」  わたしはつられて急にちくちく痛みはじめた腹部を押さえた。 「診断名空腹。お互い朝から何も食べていない」 「そうだったわね」  そこでわたしたちは笑いあった。そしてどこか食事のできるところをさがそうということになった。 「ここいらならハーブレストランが何件かあるはずだよ。それほどここのハーブによる村起こしは徹底している」  わたしは提案した。もとより食に関する限り水野はわたしに全幅の信頼を置いている。 「まかせるわ」  その一言で決まった。水野が市の観光課に問い合わせてレストランのある場所をつきとめ、わたしたちはそこへ向かった。  ハーブレストランは市営のものでハーブガーデンに隣接していた。夕方五時少しすぎ。ちょうど夜の営業がはじまったばかりの時間だった。  富士の見える窓際に向かい合って腰を降ろした。メニューが差し出されると水野はトマトをバジルの葉で風味づけしたソースのかかったパスタを、わたしはローズマリー風味のきのこのスパゲッティを頼んだ。わたしの方はローズマリーを加えて炒《いた》めペースト状にしたマッシュルームを、さらに生クリームで和《あ》えてやや細めの麺《めん》に絡ませて食べる。これにはきこりのスパゲッティの異名もあり、森の匂いがする。 「いいところね」  水野がぐるりと周囲を見回しながらいった。こういう時の彼女は多少女性らしいと感じさせる。  所狭しとハーブの鉢が置かれている。タイムが二ミリほどの白い花を鉢いっぱい、何億と咲かせながら力強いスパイシーな香りを発散させている。それから目立つのはハイビスカス。真っ赤な大輪の花弁が太陽のような印象。  つまりここはまるでおしゃれな温室で、その中に椅子《いす》やテーブルが持ち込まれているといった感じなのだ。 「おやアロエやあしたばなんかまであるのね」  立ち上がって周囲の鉢を見ていた水野がいった。 「わさびや山椒《さんしよう》、よもぎ、どくだみまであるよ。効能のある植物は何もハーブに限ったものじゃない」  わたしも興味をひかれて、店内をうろついていた。 「さすがここは日本だ」  再び椅子に落ち着くとなぜかその言葉が出た。 「そういえば西洋名を持つハーブだけが注目されるのはおかしな話だわ。でもこういう雰囲気はやはり悪くない」  水野はいい、南プロヴァンスをイメージしたと思われる、カーテンや壁紙をながめた。 「西洋礼賛。近代以降、庶民に根づいた普遍のあこがれ。そこに赤石真澄と竹内武志は目をつけたんだよ」  といったわたしは多少苦い顔になっていたかもしれない。一方水野はああ、そうだったという顔になり、 「その二人が殺された事件だけれど」  と話を切り出した。  そこでわたしたちは事件の話に舞い戻り、水野の短い息抜きの時間は終わった。 「絵島郁子、木下雅敏、赤石真澄、竹内武志。何の目的かわからないけれど、犯人はあの惨事で生き残った人たちを皆殺しにしようとしている、そんな気がしない?」 「今のところそう考えるしかないな」  わたしは三浦良一の所蔵品である錦絵と、今回現場で見つけたものが同種類のものではないかという推論を話した。 「確かめるのはお安いご用よ。今すぐあそこにあった現物を東京に送って、三浦氏に見てもらえばいいんだから」 「よろしく頼む」  それからわたしは木下雅敏が殺された現場にあった、しゃもじとさかずきについて触れた。 「つまりあなたは浮世絵としゃもじ、さかずきとの間に何らかの関係があるというのね」  予想通り相手はわたしをにらんだ。 「そうだとして発見されたのはたった三件よ。早い話、あなたのうちに似たようなものがあれば別だけど」  わたしは黙って首を振った。苦し紛れに、 「絵島郁子のところにあったなつめのふたの裏には山と鬼が描かれていた」  といってみる。 「たしかにね。古いものという点ではそのなつめもこれらの仲間だわ。でも価値がちがう。百歩譲ってあの浮世絵には価値が出ていたとしても、しゃもじやさかずきはがらくたよ。どのみち共通項にはなりえない」  水野の詰めは厳しかった。そして、 「それよりわたしが気になっているのは中根瑞穂のことよ。赤石真澄の夫の話では、竹内たちは彼女から多額のお金を引き出してあの別荘を買ったということじゃない? 山野書房会長夫人と二人の関わりを調べる必要がある。といっても今は三人とも故人。どうして中根瑞穂がそこまで関わったのかは謎よ」  といって鋭い目つきになった。 「関わったきっかけだけならそうむずかしくない。アレルギーで自閉症気味の息子だ。わが子の治療のためさ。竹内たちは自信満々で、例の断食療法なんてものを持ち出したのかもわからないよ。飽食の時代だ。断食は万病に効くかのような錯覚を抱かせる。加えてありがたい富士講。彼女は民俗学に造詣《ぞうけい》が深かったというからなおさらひっかかりやすかった。こうして夫人は赤石、竹内の詐欺まがいの商売や信仰にのめりこんでいった。ここまではしごくわかりやすい。ただね、どうしてもわからないのは、そんな夫人を夫である中根揮一郎が殺した理由。ひいては息子、妻の血縁のお手伝いまで殺して自殺した理由なんだ」 「もっとお布施をしないと子供の病気はよくならない。そればかりか祟《たた》りで悪くなる。赤石や竹内らの脅迫に屈したとは考えられない?」 「なるほどノイローゼ説ね。たしかに中根氏は高齢で幼い子供の将来が案じられてならなかったと思う。だが彼はオーナーであると同時に民俗学者なんだ。はじめから彼らの浅間富士信仰がいんちきであると見破っていたはずだし、学術的に正面きってその欺瞞性《ぎまんせい》を暴いてみせることだってできたはずだ」 「となるといったい理由は何なの?」  ついに気の短い水野はかなきり声を発した。その後、 「つまり中根揮一郎の犯行目的は、妻の瑞穂に現代ならではの健康教ともいえる浅間富士信仰に関わってほしくなかった。さらに、妻亡き後、子供が生きていれば遠縁のお手伝いがこれに関わることは目に見えていた。未婚のお手伝いは彼らの息子を溺愛《できあい》していたから。そこで彼らも殺した。中根揮一郎はわけのわからない信仰に関わりあいたくないがために、家族を皆殺しにした。後を追って自殺したのは彼らを愛していたから」  と的確に分析してみせてから、頭をかしげた。そして、 「ただ妻や家族の信仰を阻止するために殺人まで犯すというのがわからない。どうせなら乗り込んでいって赤石真澄や竹内を撃てばいい。その行動の方がまだ納得できる」  といった。 「そうなんだ。仕方なくもっと贅肉《ぜいにく》を落として考えてみた。赤石や竹内といった個人が問題なんじゃない。浅間富士信仰もその内容はどうでもよかった。ようするに中根揮一郎は宗教と関わる妻が許せなかった——」 「そんなのわからないわ。男のエゴよ。ひどすぎる」  水野は憤りを含んだまなざしをぶつけてきた。恐いほど強い。  そこへやっと注文の品が運ばれてきてわたしは内心ほっとした。フォークを握った水野の表情が和らいだからだ。わたしも彼女に倣《なら》ってフォークを手にし、知らずと窓の外を見ていた。  夕闇《ゆうやみ》が迫っている。夢中で話していたので気がつかなかったが空はいちめんの夕焼けに染まっている。夏富士が燃えていた。赤い山肌がくっきりと見えた。  わたしはその時|咄嗟《とつさ》に夢の中のあの山を見たと思った。そして不思議なことに安堵《あんど》していた。あれが予知夢である以上、必ず現実に遭遇する運命にあるとわかっていたから。 「はじめてみたわ。夕暮時の富士はきれいなものね。富士には闇が似合うのかもしれない」  水野が無邪気な声を出した。  東京へ戻るとその足でわたしたちは中根家を訪ねた。 「主人なら今日は出張でおりませんが」  とインターフォンの中根治子はいったが、 「かまいません。お話ししたいのは奥様の方ですから」  水野は受話器を握ったままわたしにガッツポーズを作って見せた。受話器を置くと、 「ご主人がいないの、好都合よ。奥さんの話が聞きやすい」  ともいった。それにはわたしも共鳴した。山野書房現社長である当主は狷介《けんかい》な人物のように見受けられていたからだ。父親である中根揮一郎に対して複雑な肉親の感情、エディプスコンプレックスにも似た競争心を抱いているだけではなく、屈折した愛情をも宿しているように感じられた。そして何より厄介なのはそうした彼の思いが妻の言動を抑制していることだった。  中根治子は同い年の義母について知っていることがある。事件の直後訪問した時は夫の手前、さしさわりのない返答をしていたにすぎない。わたしたちはそうにらんでいた。  中根両家は私道をはさんで向かいあっている。わたしは固く門が閉ざされている中根揮一郎の家を目のはしに刻みながら、現社長宅へと歩いた。 「どうぞ」  わたしたちを応接間に案内してくれた中根治子は麻でできた黒地の夏の着物をゆったりと着つけている。 「先週、富山の高岡《たかおか》に納骨に行ってきました。亡くなった義父《ちち》の出身は高知だと聞いていたんですが、弁護士さんに預けていた遺言状にはすでに、高岡に墓所が買い求めてあると記されていたんです。そんなこと聞かされていなかったと主人が怒りまして、大変でした。高岡の墓所に納骨してくれなければ山野書房の経営権は譲渡しない、然《しか》るべきところに寄贈してしまうとも書かれていて、ますます主人は怒りましたが、結局従うことになったんです。そんな事情で高岡から帰ってからどっと疲れが出て数日寝込み、ようやく落ち着いたところなんです」  そういった中根治子はやややつれの目立つ横顔を見せた。 「実は亡くなられた中根瑞穂さんが関わっておられた宗教について知りたいんです。ご存じですね」  水野が切り出した。いつも感じるがこういう時、彼女は社交辞令も含めて世間話というものを決してしない。中根治子に対してもねぎらいの言葉はかけなかった。しかし、恐いほど強い目の色だが、冷ややかではない。 「ああ」  相手はつぶやき、わたしたちから目をそらすように袂《たもと》から白檀《びやくだん》の扇子を取り出した。広げてせわしなくあおぎはじめる。 「ご存じでないはずはないと思います」  水野はさらに押した。 「ええ」  観念したようにうなずいた。 「お話しいただけますね」  おだやかな口調で促した。 「このことは主人も知らないことなのです。内密にお願いできると助かります」  中根治子は扇子をテーブルに置くと両手を組んで、思いつめたような視線をわたしたちに投げかけてきた。 「もちろんですよ」  水野は微笑した。 「実は義父から絶対主人にはいってくれるなといわれていたことなものですから」  生真面目《きまじめ》な長男の嫁はほっと息をついた。 「義父とわたし、そして義母《はは》の瑞穂さんが親しかったことは前に申しましたね。わたしと瑞穂さんは出版社の社長であった義父の、もう一つの人生と深く関わっていたからです。義父は民俗学、特に山の民俗の大家でした。ですからはじめわたしは瑞穂さんが浅間富士信仰とやらにのめりこんだのは、てっきり義父の感化のたまものかと思ったんです。もちろんきっかけは身体の弱い子供のためだとわかっていましたし。こんないいかたをしては何ですが、たいしたことじゃない、そうも思いました。現実問題、子供のことで瑞穂さんはノイローゼ状態になっていましたから、それで心が落ち着くならいいかと」 「でも宗教にのめりこんで家屋敷を失うようでは困るでしょう? 浅間富士信仰の拠点の別荘は中根瑞穂さんからのお布施で買われたもののようですよ。中根揮一郎さんは奥さんのその狂信性を恐れた。そして逆に当人がノイローゼに罹《かか》った。そして——。そう考えられませんか?」  わたしは水を向けてみた。ところが、 「ではないと思います」  中根治子はきっぱりと答えた。続ける。 「義父と瑞穂さんの結婚に主人は反対でした。すると義父は社長のポストを主人に譲る代わりに結婚を認めろと迫ったんです。つまりそれほど瑞穂さんと送る余生を楽しみにしていました。主人の弟が生まれた時も大喜びでした。それに何より瑞穂さんが浅間富士信仰に入れ揚げたお金は、彼女自身のものですもの。バブル時代にちょっとした遊び心で試した投資が上手《うま》くいって。欲がたいしてないものだから、バブルがはじける前に売り捌《さば》くことができたといっていました」 「でもその貯えにも限りがあるはずですよ。いつか自分を悩ますことになりはしないかと、中根揮一郎さんは考えたのでは?」  わたしはさらに可能性を追及した。 「それを考えるよりも先に義父には思い煩うことがあったようです。義父は突然、瑞穂さんの戸籍に興味を抱くようになりました。改姓原戸籍というものが存在してそれには遠い先祖との縁が書かれているのだと、義父はいっていました。そして瑞穂さんの父方は同郷の高知だったと落胆していました」 「落胆?」  わたしは頭をかしげた。普通の日本人は同郷人同士であることがわかると、相手が誰であれ喜ぶものである。 「ええ、非常に落ち込んでいました。世の中にはどうしようもない悲しい縁があるなどと、とりとめのないことを口走っていたんです。義父があんな事件を引き起こすちょうど一週間前のことでした。あの時の義父の顔は今まで見たこともないほど青ざめていました。まるで幽鬼のようでした」 「もしかしてそれまでの彼はそこまで絶望的ではなかった?」  わたしは確認した。 「そうなんです。だから自殺の動機は宗教にお金を吸い取られたことではなかったと思えるんです。たしかに義父は愚痴まじりに瑞穂さんの宗教熱について話していましたが、やはりわたしと同様、その程度のことで妻の心が安らぐのならともいっていたんです。義父は社長の座こそ主人に渡しましたが、株や不動産などの経営権や資産はまだ握っていましたから、お金のことを思い詰めて死ぬようなことはなかった、そう思います。これをいうと主人はまた怒りますが、義父にとって瑞穂さんと子供は主人や会社以上に大切な存在で、命に等しかったんじゃないでしょうか」  そこで中根治子は言葉を切り、テーブルの上の扇子を取り上げた。今度は広げた後ゆっくりと優雅にあおぎだす。わたしたちは退却の時が来たことを察知した。 「一つお願い事があります」  わたしは中根邸を辞す時にもう一度、中根揮一郎の書斎を見せてくれと無心した。嫌な顔をされることを覚悟したが社長夫人は、 「いいですよ。ちょうど義父の机の上のお花をかえようと思っていたところですから」  といい、一度奥へ消えた後バケツ一杯に水切りしてあるカサブランカを持って現われた。 「ユリは義父の好きな花でしたから。ヤマユリの話を義父から聞きました。自生のヤマユリの花が咲き終わると、山あいに住む人たちは競争で採りに行くんだそうです。大輪の花が咲いたあとのユリ根は大きくてちょうど食べ頃。義父は網で焼いて醤油《しようゆ》をつけて食べるユリ根が一番美味しいといっていました。主人はわがままだといいますが面白い義父でした」  そこで中根治子は辛《つら》そうな顔になった。  それからわたしたち三人は私道をはさんで向かいにある中根揮一郎宅へ行った。玄関のドアをあけたとたん、ぷんと黴《かび》と埃《ほこり》の臭いが濃く強く漂ってくる。 「毎日換気をするよう、うちのお手伝いにはいってあるんですけどね。仕方ないわ。きっと気味が悪いんでしょう」  治子は二階へ続く階段をのぼりながら苦笑した。  わたしは彼女が義父の机の花を新しくしている間、周囲を観察することにした。わたしは丹念に書棚の中身や壁に掛けられた熊や猿の絵などを点検していった。 「へえこれ」  声をあげたのは水野だった。わたしは時計回りに、彼女はちょうどその逆から二手に分かれて部屋の内部を当たっていた。 「見たことのある置物だわ」  わたしは振り返り、彼女が手に取った木彫の置物を見つめた。袈裟《けさ》を想わせる着物に長いひげ、手にしている杖《つえ》。両脇には鬼と思われる従者を二人従えている。 「役行者《えんのぎようじや》ね」  机にこぼれた水を拭《ふ》いていた夫人が微笑んだ。それから、 「日本人に馴染《なじ》み深い山の神様。日本全国の山にある神社やお寺にはよくあるものよ。山の民俗が専門の義父とは切っても切れない」  とやはりなつかしげにいった。    二十一  翌々日、大学の講義を終えて研究室へ戻ってみると水野から伝言が入っていた。頼まれたことの調べにめどがついたから家に立ち寄りたいという。神奈川にあるわたしの勤める大学から目白の自宅まではおよそ一時間半。現在五時十分。水野が訪れるのは七時すぎとメモには書かれていた。  わたしは急いで荷物をまとめると教職員専用のスクールバスに乗り、徒歩だとゆうに二十分はかかる坂道を下りた。小田急線で新宿へ出てJR線に乗り継ぎ、目白からはタクシーに乗った。  玄関を開けるとまずクーラーのスイッチを入れる。恥ずかしい話だが北国生まれのわたしは暑さと湿度にめっぽう弱いのだ。従って東京での夏はクーラー漬けの日々が続く。  着替えをすませると台所に立ち、やかんを火にかけた。ベランダに出てミントの葉を二十枚ほど摘み取った。このミントは北海道の母の家に自生していたものである。春に帰省した際に摘んできたのを鉢に移したら根づいて、今はあふれんばかりに生い茂っている。もとより正確な名前など知らない。わかっているのは、はっか草であることだけ。ペパーミントなどに比べて控えめで涼しげな故郷の香りがする。  それを使ってアイスミントティーを作りはじめた。ハーブティーをアイスでいれる秘訣《ひけつ》はとにかく濃く入れること。それから冷めるまで待っていると香りが抜けるので、これを瞬時に多量の氷で冷やす。  グラスの氷がほどよく溶けかかったなと思った頃、折りよく玄関のインターフォンが鳴った。水野である。 「あらうれしい」  リビングのソファーに腰を降ろすと一気にアイスミントティーを飲み干した。 「ところであなたに頼まれた件なんだけど」  グラスをテーブルに置くと早速|鞄《かばん》の中からファイルを取り出した。 「何より重要なのは中根揮一郎が高知のどこの出身かということだったわね。あの後中根夫人に問い合わせたけどくわしくは知らなかった。それで仕方なく、あなたの推理を採用してみたわ」  わたしの推理というのは、中根揮一郎の祖先が神の木村の住人ではなかったかというものである。そうだとすれば、彼があの大正元年の新聞の切り抜きを後生大事に持っていた理由もわかろうというものだ。そしてもちろん彼の祖先は四人のうちただ一人生き残ったとされている、一番年の若い巡査である。 「巡査の名前は中根伊三郎。同姓。中根揮一郎の祖先である可能性はある。名前がわかったのはあなたのご指摘通り、彼が地方公務員だったからよ。県庁の資料室の奥深くに当時のデータが残っていたの。もっとも同じく生き残ったタユウの方がどうなったかはわからなかった。タユウは住民登録さえ拒んでいるのよ。いい分は人間の形は仮の姿、ほんとうは神に近い存在なのだからということだったらしい。そう当時の村役場の日誌に愚痴まじりに書かれていた」 「なるほど。するとまだ中根瑞穂の祖先がそのタユウである可能性はあるわけだ」 「中根瑞穂。旧姓松本瑞穂。本籍は東京都。改姓原戸籍も調べたわ。でも両親の祖先も高知とは無縁よ。養子縁組さえしていない。つまり中根揮一郎が嫁の治子に打ち明けた話は信憑性《しんぴようせい》がないのよ。単なる思い込みなんじゃないかしら?」 「でも彼女の祖先がタユウだとしたらもともと戸籍がないわけだろう」  わたしは反論した。 「そうだとしてどうやって中根揮一郎はそれを知ったの? 警察が動いてわからないものを一個人の彼がつきとめられるもの? その方法がわからない限りあなたの推論は無よ。認めることはできない。それに仮に妻の祖先がタユウだったとして、どうして中根揮一郎は彼女の一族を惨殺しなければならないの? そっちの理由だってわからないじゃないの」 「先走りといわれそうだが彼女の祖先がタユウだったと考えると、犯行の動機ははっきりしてくる。前に神の木村が全滅したのは疫病のせいではなく、巡査とタユウが謀って井戸に毒を入れたからだとする見解もあると話したね。まさしくそれだ」 「昭和初期の社会主義者の書いた本のことね。でもそれが真実だとして、どうして彼らは生まれ育った神の木村を全滅させようとしたの? 理由なき犯行? あるいは発作的な殺人衝動? 考えられないわ。現代ではない、大正時代のことなのよ」 「これはもちろん僕の独断だが、彼らは何か大きな秘密を守ろうとしていた。そしてその秘密というのは住人が一人でも生きていたら困る、そういう種類のものだった」 「まさかあなた」  そこで水野はわたしを穴のあくほど見つめてごくりと唾《つば》を飲み込んだ。続ける。 「あの坂本和幸のリポートに書かれていた村が、実在した神の木村だったといいたいんじゃないでしょうね」 「ところがそうなんだ」  わたしはあっさりと答えた。 「たしかに坂本和幸は砒素による大量殺人の実行犯と断定されたわ。バンからあれだけの証拠が上がった上に現場に残っていた指紋が一致したの。そして亡くなった赤石真澄や竹内武志はその被害者で、夫に惨殺された中根瑞穂は彼らの関係者。となると犯人、被害者、その関係者の三者がつながらないでもない。とはいえいささか強引すぎる推理だわ」  水野は抵抗を試みた。 「わかってる。だがしばらくその強引な推理を話させてくれないか。中根夫妻の祖先の故郷が神の木村だとすると、中根揮一郎が命と引き替えに守ろうとしていたものの正体がわかるような気がするんだ」 「住民たちの特異な遺伝体質ね。ある種の早老症。あるいは幼児期発症のマクロファージの異常増殖とヒト癌細胞による治し方」 「その通り。もっとも明治期にはそんなくわしい医学的なことまではわかっていなかったはずだ。とにかくここの住民は長く生きる者と短命な者に二分されていて、どうやら長く生きる者は、早く死んだ仲間の肉を食べて生き血を飲んでいるらしい。長寿には人肉。これだけで十分だ。研究対象になったり長寿の人肉を買い付けに来られてはたまらない。その思いが巡査とタユウの直接的な犯行の動機だったと思う。そして現代に生きる中根揮一郎は祖先の信条に殉じた。これはきっと中根家代々の申し送りだったにちがいない。彼は時間、空間を超えて祖先の意志とつながっていたといえる。ただし彼は跡取りである息子の君彦氏には、申し送るまいと決めていた。親子ながら信条がまるでちがう温度差を感じてのことだと思うが、それだけではない。現代は価値観があまりに多様だ。この手の大げさにいうと思想的なものを、血縁を利用して伝承していくことにはもう無理があると悟っていたのだ。彼は現に、息子よりもお嫁さんと気が合っていたようだしね。だから自分限りで打ち止めようと意を決したんだ。あの一家惨殺は彼の人生の美学だったともいえる」 「とすると彼は妻の瑞穂さんが知らずと浅間富士信仰に関わることを、祖先への裏切りと見做した?」  自分では気がついていないが、いつしか水野は身を乗り出していた。 「そう。赤石、竹内の浅間富士信仰など営利目的の事業を成功させるためのキャッチだとわかっていただけにね。中根揮一郎の祖先の意志とはまさしく、資本主義、商業主義一辺倒に象徴される、日本の近代化を阻止することだったはずだ。ただし君彦夫人の話によれば彼の決意を決定的にしたのは、瑞穂さんと同郷だとわかってからのことだという。そこで一つわからない」 「なぜ? 同郷だとわかって彼を絶望させたのは遺伝病のことだと思うわ。今まで身内に出なかったのは、他の地方の普通の人たちと混じって自分たちの血が薄まってきたからだと考えた。そこで芳彦ちゃん。中根揮一郎はアレルギーだといわれたきり、よくわからない得体のしれないわが子の病いは、もしかして変種の早老症の前兆ではないかと思ったかもしれない。要因のある二人の間にできた子供である以上、そう思うのが当然。そしてそれだけでも彼は十分死を選びたくなるはずよ」 「なるほど一理はある。だがわが子の前途に絶望しただけならどうして、お手伝いまで殺さなければならない? そうなるとやはり父親の感傷だけでは片付けられないよ。まず僕が最大の疑問に思っているのは、瑞穂さんの祖先についてのことなんだ。タユウだとしてそれを知ったのは中根揮一郎一人のはず。当人さえ知らなかった。赤石、竹内が知っていて彼女に接近した可能性はなくはないが、薄い。彼らの目的はまず金でタユウの祖先を持つことではないように思うからだ。だが知れば必ず利用しようとは考えるだろう。誰かが赤石、竹内にその事実を告げて、彼らが中根揮一郎の協力を求めた。彼女を広告塔にまつりあげたいとでも持ちかけたのかもしれない。そこで中根揮一郎は妻と家族の存在が祖先への裏切りになると思いつめ、惨劇を実行した。問題はその誰かなんだ。追い込まれていた中根揮一郎に最後の決断を下させた人物——」  わたしは知らずとテーブルに覆い被《かぶ》さるように頬杖《ほおづえ》をついていた。 「それが坂本和幸の共犯者だと考えられないこともない。あなたが現場で見た通り、坂本の毛の白髪は脱色だった。検死の結果彼の血液は正常そのもの。胃の中に未消化の人間の組織が発見されただけ。もちろん早老症なんかじゃない。ということは彼に自分を早老症だと思わせ、白髪になる前におしゃれを気取って白く染めておけば気分が落ち着くなんてけしかけてた、またはその作業を手伝っていた輩がいるということ」  そういった水野は真顔だった。 「となると敵は容易ならざる相手だ」  わたしはそこで大きく首を振り立ち上がった。解決不可能な課題やストレスに出会いそうになると、まずわたしが考えるのは一度、その現実を忘れること、そのために食べることだった。 「何か作るよ。とにかく食べよう」  そうはいったものの、冷蔵庫の中身を思い描いてすぐ後悔した。わたしは病的に几帳面《きちようめん》。冷蔵庫には次の日の朝食分ぐらいまでしか買い置きしない主義。本日は食べきって何もないはずだった。それでも何かないかと冷蔵庫を開けるとおおぶりの唐がらしが三本、目に入った。  京都で夏目四郎からもらったもので、普通の長茄子《なす》よりも大きい。生の唐がらしについては賞味期限の見当がつかず、せっかくもいでくれたものを捨てるのも気がひけてそのままになっていたのだった。 「よしこれで作ろう」  冷蔵庫から唐がらしを持ち出し水野の目の前に掲げた。 「できれば洋風がいいわね。さっき来る時、あなたの家のミントを思い出してラム酒と炭酸を買ってきたのよ。暑い時はこれに限る。何といったかしら? ミントの葉と砂糖とラム酒を炭酸と氷で割る飲み物」  水野は床に置いていた紙袋をごそごそさせた。 「モヒート。中南米のカクテル。ミントは暑い時の食欲増進に何よりだという」  わたしはそういいおいてから料理にかかった。種をとり半分に切った唐がらしを二ミリ幅に刻んでいく。熱したフライパンにたっぷりのバターを溶かして炒め、塩、こしょうで味つけをする。この時当然バターは吟味する必要がある。わたしはとっておきの故郷の酪農大学で作られたものを使った。  水野はモヒートをすすり、唐辛子のソテーをつまみながらふと、思い出したようにこういった。 「富士吉田の現場にあった浮世絵のことをいい忘れていた。三浦紗織の父親を訪ねたわ。まだそこに三浦家の浮世絵があったから。妻からまた請求がこないうちに送らなければならないんですが、なんていっていた。あなたのいった通り仕事一筋の変わり者だった。大学へ入って家を出る時、持たせてくれたものだったという以外答えようがないと。絵柄は義経千本桜よ。こちらは一枚だけ。富士吉田にあったそれとよく似ていたけど微妙にちがった。専門家は作られた時代と技術はほぼ同じだろうと鑑定している。ただしあまり価値は高くない。こういうものとしては大量生産されたらしく線に切れ味が足りないと。わかったのはそれだけよ」  この日お互いいい気分になり、水野を送って一階へ降りると、郵便受けに一通のはがきが届いていた。京都の夏目四郎からのものだった。以下のようにあった。  ごぶさたしております。研修などを含む東北への長期出張で、連絡が遅れました。亡くなられた絵島郁子さんといえば、砒素による大量殺人の被害者でもあり、あなたも大変な事件に巻き込まれているようだと、陰ながら案じていました。  この他にも今日本の国には、想像を絶する陰惨極まる凶悪犯罪が横行しています。これはもう鞍馬寺の魔王尊による大破壊、裁きだとわたしは思っています。  それを読んだわたしは自分が少なからず共感していることに気がついて、慄然《りつぜん》とした。神の正義が仮にあるとしても、人間がその使命を代行するようなことはあってはならない——。  さらに翌々日わたしは椎名一郎を訪ねることにした。胆石のため入院生活をしていた椎名教授は、退院して世田谷《せたがや》の自宅で療養していた。 「おいでになってくれるのはとてもありがたいですわ。とにかくいくつになってもだだっ子でしょ。じっとしているのが嫌で仕方がないらしいの。食事制限も面白くないらしい。退屈でいらいらしていることもあります。でもお忙しいんでしょ。ご迷惑じゃないかしら?」  年の若い夫人は電話口で華やかな歓声をあげた。 「とんでもない。実はお聞きしたいこともあるんです。ところでその食餌療法の方は例によって絵島郁子さんのものですか?」  たしか以前病院へ見舞いに行った時は絵島郁子が、彼女の会社で作っている治療用のレトルトパックをせっせとさしいれてきていたはずだった。 「あれはもうやめました。絵島さんがあんなことになった後、お身内のなつみさんが訪ねておいでになって、必要なら病気が全快するまで送ってくださるといわれたんですが、ご辞退しました。だってあの会社は別の方の経営になると聞きましたから」 「なつみさんが引き継ぐのではなく?」  疑問を口に出す一方、たしか絵島郁子の遺言には財産の寄付が明記されていることを思い出していた。 「水田や農場を持ち無農薬で作物を育てている、良心的な食品会社だそうですよ。東北にあると。絵島さんのご遺志とも聞きました。売却ではなく寄付だそうです。絵島さんらしくないと一瞬思いましたが、らしいともまた思い直しました。ご自分が亡くなった後のお身内のことはどうでもよかったのでしょう。まあわたしとんでもないおしゃべりをしてしまって。主人にバレたら叱《しか》られますわ」  椎名夫人はそこであわてて口を閉ざし電話を切った。  そこでわたしは彼のために特製の雑炊を作ることを思いつき、デパートへ赴き、そば米を買い求める。そば米とはそばの実のこと。鶏肉、小エビは近くのスーパーでその日に買った。きのこ類や三ツ葉は椎名の家の前に八百屋があるのでそこで買い求めることにした。  椎名夫妻の住んでいるのは小田急線の成城学園前駅の近くのマンションである。このあたりは高級住宅地で豪勢な邸宅が多いが、椎名家はわたし同様ごく普通の庶民の分をわきまえて生きている。 「待っていたよ」  インターフォンを押すとすぐに椎名一郎がドアを開けた。  いくらかは痩せたように見えるがまだまだ肥満体の部類に入る体格だ。それでも、 「君、こうなると人間もおしまいだよ」  などといって、本人だけが十分へこんだと信じきっている張った腹部を撫《な》でた。そばで夫人がくすくすと笑っている。 「それはいけません」  わたしは大真面目を装っていった。続ける。 「ぜひとも体にいい美味しいものをそこに入れる必要があります」  それからすぐにわたしはそば米のきのこ雑炊にとりかかった。病院に入ればそろそろ夕ご飯が出てくる四時すぎだった。  食事にかかった。そば米の香ばしさが何ともいえないと夫人は感激してくれた。豪勢ではないがなかなか風情のある夕食だなどと、無聊《ぶりよう》をかこっていた椎名は評した。 「ところでわたしに何か用があるのではなかったかな?」  終わったところで茶をすすりながら、椎名教授はじろりと大きな目を剥《む》いた。なるほど好奇心の方もますます旺盛《おうせい》で持て余しているようだった。 「砒素《ひそ》による大量殺人や山野書房会長の一家惨殺事件は、すでにお聞き及びと思いますが」  そこでわたしは水野を相手に展開した推理を蒸し返した。 「すると君は山野書房の亡くなった中根さんは、砒素事件と何らかの関係があったというのかね」  聞いていた椎名は気むずかしい顔になった。椎名一郎と中根揮一郎は同じジャンルの学者として交友があった。椎名が年長の大学者である中根に敬意を抱きつつ、友情を温めあってきた間柄だった。同時に民俗学や文化人類学の関係図書の出版が多い山野書房とも縁は深かった。 「というよりも、医学生の猟奇的な事件を含むこの一連の事件に、山野書房の何かが関与している。そんな気がしてならないんですよ」  わたしはそこで知らずと頭をかきむしっていた。 「社員の椙山なら入社したての頃からよく知っている。骨のある若者だった。出版事業を文化の一環にしなければならないという話をしていた。わたしも同感だった。あそこまでの志を持っている編集者は今どきもういないのではないか。ただし家庭的には恵まれなかった。弟の話を聞いたことがある?」 「いえ」  わたしは首を振った。思えば彼とは私的な話はほとんどしていない。 「これはわたしも他の社員に聞いた話だが、彼は早くに両親に死なれて薄い縁の親戚《しんせき》しかいなかった。かなり苦労したようだよ。年の離れた弟が唯一の身内だったがその子が重症の肝臓病だったらしい。十年ほど前の話だ。その頃は肝臓移植などこの国ではままならなかった。椙山は弟のために必死の思いで金をため、海外での移植を望んだ。だが実現しなかった。弟は亡くなり、彼はまだ結婚もせず天涯孤独だ。仕事に生きることで孤独を紛らわせているのかもしれない」 「わかるような気がします。今回の�日本人の薬膳�にしても、取材先にまず棡原の伝統食を提案してきたのは彼の方でした。熱心な編集者だと思い、感心したんです」  それから一関の薬草園にもかけつけてくれた話をわたしはした。 「一つに彼のテーマは山なのじゃないかという気がするな。米のできない棡原のイモや雑穀中心の食は日本の山岳地帯の食の象徴といえる。東北地方は米どころだが、冷害による飢饉《ききん》に襲われると、山に食料を依存せざるえなかった。日本人にとって山はどんな時でも優しい、母なる自然だという考えを彼は持っていた。酒を飲むとたいていそんな話になったものだ。彼の故郷は四国の愛媛で、父親は石鎚山《いしづちさん》の神官だったと聞いている。そのせいもあるんじゃないだろうか?」  そこでわたしは以前から気になっていた、砒素殺人の被害者の多くが、現在もしくは祖先を介して食と結びついていることに触れた。  神官の職務の根源が豊作を願う神事であるとすれば、椙山もその一人に数えられる。竹内武志の実家は養蚕農家だが今も昔も食の担い手といっていえなくない。蚕のさなぎは重要なたんぱく源であり、家族が食べて余った分は当然売りさばいていただろう。また最近は絹をうどんやそば、菓子などにブレンドする健康食品が開発されている。 「君は少し食を限定しすぎてはいないか。食品製造や販売業、旅館、鋳物加工、養蚕農家、神官。たしかに君の代わりに出席するはずだったわたしのおやじも米問屋の末裔《まつえい》だ。だが考えても見てくれ。人間が生きていく上で食や生活にまるで関わらない階層なんて、ごくわずかなんだよ。かつての貴族や皇族がそうだというが、綿々とそういった特殊な生活を続けているのは、今の天皇家くらいのものだろう。みんな人間と生まれたからには食と関わり、日々の生活と格闘している。わたしには犯人が食と関わる人間をわざと選んでいるとは思えない。日本人ならどう選んでも似たようなものになるような気がするね」  椎名は確信ありげにいい切った。    二十二  椎名の家から帰ると、すぐわたしは中根治子に電話を入れた。折よく夫の君彦氏はまだ帰宅していなかった。 「中根揮一郎氏が社長時代、社員の採用にどう関わっていたか、ご存じではないかと思いまして」  わたしは天涯孤独に等しい椙山英次が採用されたいきさつを知りたかったのだ。 「今のように公募は一切していませんでした。といって特定のコネがあるというのでもなくて。それも主人との確執の原因でしたわね。主人はそこまで行くと義父のわがままだといい続けて」  答えた夫人はため息をつきかけた。 「採用の条件に山が関わっていませんでしたか?」 「山とおっしゃると?」 「猟師や強力の末裔とか、登山家などというダイレクトな関わりでなくとも、例えば神社関係者とか」 「たしか椙山英次さんのお家は石鎚神社と関係がありましたね」 「そうなんです。他にもそういう神社関係の人を優先的に、社員にしていたようなことは聞いていませんか?」 「思いあたりません。椙山さんはたまたまではないかしら」 「でなければ毎年山開きには登拝するような、日本全国にある山々の神社の信徒を採っていたとかいうことは?」 「そんなこともなかったと思います」  中根治子はきっぱりと否定した。  わたしは引き続いて水野にかけた。 「ちょうどこちらからかけようと思っていたところよ。椙山英次について気になっていたものだから」  驚いたことに水野も彼にこだわっていた。 「どうしてあの事件の時、彼一人回復が早かったのかとずっと考えていたの。それで治療を担当した医師に会ってみた。医師はたしかに運ばれてきた時の彼の症状は、血液や尿、吐瀉物《としやぶつ》の検査の結果、重症に近かったというのね。それはまちがいない。そして次の日の検査では奇跡的に回復に向かっていた。これが少し腑《ふ》に落ちないというのよ。身体の浄化機能に個人差はあるにせよ、回復が早すぎる」 「考えられるのは砒素と解毒剤をほとんど同時か、わずかに時間をずらして飲んだケース」 「そうとしか考えられないの」 「ということは、殺された絵島郁子が着物の袂《たもと》に忍ばせていた解毒剤も別の意味を持ってくる。あれは単に主治医にもらった薬を後生大事に持っていたわけじゃない。彼女にとってジメルカプトプロパノールであろうが、D‐ペニシラミンであろうが、そんなことはもうどうでもよかった。ダイイングメッセージだ」 「咄嗟に解毒剤とそれに関わっている人間を指したかった。となると椙山が現場で解毒剤を飲んだのを彼女は目撃していた?」 「だと思うね。警察に申し出なかったのは何か魂胆があったからだ」 「何の魂胆? 椙山を脅して彼女に得があるとは思えないけど」 「その通りなんだ。だからわからない。だがそのわからなさが今回の事件の全貌《ぜんぼう》なんだ。根気よくつきあうしかない」  わたしはそういっていささか気の短い水野をなだめた。それから椙山英次の弟がかかっていた病院と、医師の名を調べてくれるよう頼んだ。 「とにかく椙山だ。彼に会ってみる」  次にわたしは山野書房へ電話を入れた。午後七時三十分。この時間なら普通、出版社にはまだ誰かいるはずだった。  電話には椙山英次が所属している書籍編集部のデスクが出た。椙山は昨日から無断で欠勤していることが告げられた。 「今までこんなことは一度もなかったので心配しています。明日出てこなかったら、家の方に誰か行ってみようと話していたところでした」  と不安そうな口調でいった。  わたしは彼の自宅の住所と電話番号を聞いた。電話をかけると受信音が鳴るばかりで留守だった。留守番電話にさえ接続されない。そこでわたしは石鎚山へ行くことに決めた。なぜか彼はそこに行ったのだと確信してしまった。荷物を調え早めにベッドに横たわってうとうとすると、電話が鳴った。  十時五十八分。まだ深夜ではない。 「愛媛県警から連絡が入った。椙山英次の死体が石鎚山の頂上の奥宮でみつかった。三浦良一の死体も同じ場所で発見された。死因は二人とも青酸中毒。くわしいことはわからないけれど椙山が三浦を殺し、自殺したものと見られている。それから椙山の弟がかかっていた病院と医師の名がわかった。こんなことになって至急調べたのよ。三浦の非常勤先だったのね。当時を知っている人の話では、三浦は当初椙山の弟に熱心だったそうよ。めんどうみのいいお医者さんだった。でも日本初の肝臓移植を実現させたいという野心のためだった。法律とか当時のいろいろな事情でそれが無理だとわかると、興味を失った。放り出しはしなかったけど担当を降りた。その後、椙山は途方にくれながら海外での移植を心の支えにして金をためた。でもまにあわなかった」  わたしは彼が一関でいっていた、現代の医者はひどい人間ばかりだという言葉を鮮烈に思い出していた。 「医師の三浦にとっては仕方のないことでも、当事者の椙山は許せなかった。特に彼は他によりどころになる家族がいなかったし。恨み、憎しみが増幅していった。そして今回の事件。あの時の席は彼が決めた。行き当たりばったりといってたけどそうじゃなかった。砒素入りのおろしそばは人気だから、前もって予約するよう新海龍之介に勧めたのも彼だったかもしれない。それを絵島郁子も見ていたのだろう。だから彼女は椙山が何か飲んでいるのを見てぴんと来た。つまり椙山がねらったのは三浦だったのよ。これからわたしは始発の飛行機で石鎚山へ行くわ。あなたは?」 「僕も行く。そのつもりだった」  そこでわたしたちは早朝の羽田で待ちあわせることになった。  まばらな乗客に混じって搭乗する。わたしは昨夜事件を告げられてからとうとう一睡もできなかった。水野も同様で、 「何だかやりきれない結末だわ」  と寝不足のやや青ざめた顔でいった。  そしてコンビニ製のパン五個のうちアンパンをわたしにくれた。  だがシートに落ち着いても彼女のパンの包みは破られる気配はなく、ごくごくと缶のウーロン茶をがぶ飲みした後、 「残念ながら現場検証には立ち会えない。神社は聖域で死体を長時間放置するのは汚れのもとだと、神社側から苦情が出たらしい。それで夜が明けるのを待って下山させることになっていると聞いたわ。だからもう山の上はもぬけの殻」  腕時計を見ながら悔しそうにいった。それから、 「ところでどうして石鎚山なの? 椙山英次の父親が神社の神官だったという話は聞いたわ。犯罪者は生まれ故郷に戻ってくるというのもよく語られる話よ。でも恨みを晴らす舞台に選ばれた理由がわからない。だって弟が亡くなったのは病院であってここではない。深夜ならその病院に呼び出して殺すこともできる。あくまでも復讐劇《ふくしゆうげき》に舞台を重んじるならね。もっともわたしが椙山ならそんな手間ひまはかけないわ」  とつぶやいた。 「君は中根揮一郎の書斎にあった彫像を覚えているだろう」 「役行者《えんのぎようじや》ね。日本全国の山の神社に多い祀り神だと聞いたわ」 「石鎚山はその役行者が開いたとされる霊山なんだ。神仏|混淆《こんこう》の石土蔵王権現《いしづちざおうごんげん》を祀る修験道《しゆげんどう》の霊場の一つ」 「修験道?」 「山岳信仰といって山を神と崇《あが》め奉る原始的な宗教が日本にはある。修験道は神である山に入り、洞窟《どうくつ》で寝起きしながら心身を鍛え修行に励む。修験者たちは山中を走り、渓谷を渡り、滝に打たれ、顔も手も洗わず口もすすがず垢《あか》にまみれる。彼らの目的はただ一つ。神仏と一体化することによってはじめて感得できる悟り、至福の極みである即身成仏の境地に行き着くこと。わかりやすいいい方をすれば苛酷《かこく》な修行の終着駅には、極楽浄土あるいは天国の門が見える」 「仏教とはちがう?」 「仏教だよ。そもそも宗教というものはね、伝播《でんぱ》されるその都度変容を遂げるものなんだ。釈迦《しやか》の仏教も然《しか》り。日本では法律で神仏が分離されるまで、どこの山の修験者も仏教徒だった。正確にいえば教義主義になりきれない仏教徒、多くは貧しい庶民が神である山に籠《こも》って修行していたんだ。仏教はキリスト教のように一神教ではないから、ここのところの矛盾はない。だから石鎚山に神社ができたのは明治のはじめに排仏毀釈《はいぶつきしやく》の法令が下された時」 「すると日本独自の宗教ともいえるわね。でも椙山英次の父親は神官でしょう。神社は新しく作られたものだし、そこの神官といえばあまり修験道には関わりがなかったんじゃない?」 「ともいえないな。当時、山に関わる修験者たちの寺の多くは神社に変わっていった。仏教徒の住職は神官になった。椙山の実家もそうだとしたら大いに関わりがあるじゃないか」 「役行者も仏教徒だった?」 「いい忘れたが役行者は石鎚山のみならず、修験道そのものの開祖だといわれている。本名|役小角《えんのおづぬ》。彼の生きたのは奈良時代。大和国《やまとのくに》、今の奈良県の葛城《かつらぎ》郡に生まれ、高僧にその能力を見いだされて独自の山岳修行に目覚めたという。当時中国から伝来したばかりの仏教は教典主義で、僧侶《そうりよ》はエリート階級が占めていた。小角の家は村長程度だったから、たとえ仏教の深遠な教義に魅せられたとしても、僧侶になることなどおよびもつかなかった。また当時の仏教は身体で感得する密教系でもあった。高僧が幼い小角に見いだしたのは、後々天皇家までも不安に陥れることになる、呪術《じゆじゆつ》の才能であったかもしれない」 「ということは密教系の仏教は呪術、シャーマニズムと紙一重ということよ」 「その通りだと思うね。それから山に通じていた役行者は薬草や鉱物にもくわしかった。神の力を得て空を飛んだという伝説はともかく、こっちの方は信憑性《しんぴようせい》がある。そのため彼は医薬の祖ともいわれている。彼に続く山伏といわれる修験者たちも医薬にくわしかった。日本全国どこの山里でもその昔、薬草の知識を村人たちに伝えたのは彼らだった」  そこでふと、医師の三浦良一が日本の古代、上代の医療について大胆な想像をしていたことを思い出した。彼の話の中に役行者は出てこなかったが、安倍晴明などの陰陽師、何人かの僧の話は出てきていたような気がした。  その三浦が石鎚山で殺された。わたしはやはり因縁のようなものを感じた。  空港に着いたわたしたちは警察の迎えの専用車に乗った。水野は挨拶もそこそこにすぐに死体を見せてほしいといった。迎えの二人はほとんど感情のない顔でうなずいて、車はそのまま松山市郊外にある国立大学の敷地へとすべりこんだ。法医学教室へ案内される。  すでに司法解剖は終わっていた。死体が置かれている解剖室へ入ると特有のアーモンド臭が鼻をついた。それからクレゾールの臭い、少々の腐敗臭。四国地方はすでに梅雨が明けている。空港を出たとたん灼熱《しやくねつ》の太陽と熱気に直撃されていた。ここも冷房は入っているが空気は生暖かい。  二台の解剖台からシートを取りのぞいた。全裸の椙山と三浦の死体があおむけに寝ている。 「死斑《しはん》の色が赤いのは青酸のせいよ」  感情のこもらない落ち着いた声で水野がいった。  わたしは気がつくと二人の顔を凝視していた。できれば苦悶《くもん》の表情など張りついていてほしくなかったのだ。  願った通り二人ともおだやかな死に顔のように見受けられた。わたしはほっと息をついた。死に顔が無残なのはやりきれなかったからだ。  水野は担当した医師から受け取ったファイルを手にしている。目を落として読みはじめた。 「おかしいわね。これだけの死斑が出ているのに消化器に顕著な異常が認められていない」  とつぶやいてから、 「青酸化合物による致死は臓器に出血、壊死《えし》、腐食が見られ、粘膜は赤くなるのが普通なのよ」  とわたしに説明し、さらに彼女は先を読んだ。 「急激な壊死が両肺に認められているわ。ということはこれはシアン化水素ね。青酸化合物じゃない」 「シアン化水素?」 「青酸の毒性そのものよ。青酸化合物は胃から吸収されるけど、気体だと肺から吸収され身体全体に拡散する。細胞の呼吸を瞬時に止めるの。これが使われたとすると、現場にシアン化水素を入れたスプレーが残っていたはずよ」  そこで水野は重ねて持っていた現場検証のデータをめくった。 「書いてないわね。探しそこねているのかもしれない」  彼女はそう叫ぶともうすでに足はドアに向かっていた。  その足でわたしたちは警察の専用車を借りて石鎚山へと向かった。  わたしたちは特急車のシートに並んで座ると、椙山と事件について話しはじめた。 「発見された経緯について聞かせてくれないか」 「発見したのは大阪の大学生よ。深夜に頂上社のある奥宮に登ったの。アルバイト。ここには山開きに際して代参者をたてるというならわしがあるそうよ。昨日が山開きの最終日だった。もっともアルバイトが夜登ったのは苦肉の策。彼はラグビー部に所属していてその前の日、先払いしてもらったバイト料で飲めや歌えの大騒ぎをしたものだから、当日は夕方までずっと二日酔い。仕方なく夜実行したというわけ。さしもの屈強のマッチョを自認する彼も、出くわしたものがものだっただけに、しばらく腰が抜けて歩けなかったというわ」 「その時刻は?」 「夜の七時半頃と本人は答えている」 「すると椙山と三浦はそれ以前に奥宮についていなければならない。彼らの姿を目撃した人は?」 「三浦良一と思われる人物が、最終のロープウエイに乗ったのを係員が確認している」 「その時一緒だったメンバーは?」 「白装束の女性信徒が五人。これはすでに全員当たっている。三浦良一の様子については、特に変わったようには見えなかったと証言している。それから彼が著名な移植医師だとわかってため息をついた人が二人もいた。白装束でやってくる人たちの多くは願かけで、家族の病気平癒祈願なのよ。二人は移植以外に助かる道はないと宣告された、末期肝臓癌患者の身内だった。それで一時テレビや新聞に顔が売れていた彼の存在に気がついたの。何だか因縁めいているでしょう?」  水野らしくない感慨だった。 「頂上には三浦一人が登った?」 「ええ。ロープウエイの発着所から山の中腹にある中宮までもかなりの距離。そこから奥宮までもかなりあるうえ、よじ登らなければ突破できない岩壁とか、とにかく難所続きだそうよ。彼女たちは登っていく三浦良一の後ろ姿を確認している。昨日は一日ずっと雨で傘もささずに濡《ぬ》れながら登っていくその姿にふと、不吉なものを感じたといっている人もいる」 「すると、椙山は登山道をひたすら登ったことになるね」 「としか考えられないわ。雨で足元が悪かったでしょうにさすがだわ。これも一種の土地鑑」 「道連れ、または行き合った人はいなかった?」 「考えてもみて。山開きの最終日とはいえ昨日は雨だったのよ」  タクシーは石鎚山の登山口に着いた。ロープウエイの乗り場には本日休業の札がぶらさがっている。水野は屈せず係員が詰めている事務所に押し掛けていって、一往復だけ運転を再開するよう交渉した。 「どうしても捜査上、確認しなければならないことがあるのよ」  例によって警察手帳が掲げられると相手はしぶしぶうなずいた。  ロープウエイは山の中腹をめざして急な傾斜を昇っていく。途中わたしたちは事件について話の続きをした。 「あなた、前に中根揮一郎に妻の祖先のことを知らせたのは誰かと疑問に思っていたわね。あれは椙山だわ、まちがいなく。山を通じて椙山と中根は親しかったはず。ただしどこで彼がそれを仕入れたかは不明。その情報を赤石、竹内に流したのも彼だと思うけど、その理由がわからない。彼らが殺された当日、別荘で待っていたのは椙山英次である可能性が強い。でも何のために椙山は彼らを殺したの? それから絵島郁子の解毒剤がダイイングメッセージだとしても、彼にあの時刻、彼女は殺せない。あの日新幹線に乗るまで彼は職場にいてアリバイがあるのよ。それと彼が坂本和幸を動かしていたとして、二人はどこで知り合ったの? 椙山英次が一連の事件の真犯人だとして動機や人間関係に不審な点が多すぎる」 「はっきり納得できるのは坂本和幸殺しだけだ。彼にすべての罪を負わせる。もっともどうして自殺に見せかけなかったのかは、今もわからない。三浦良一殺しについてはもっと不可解だ。砒素事件の当日、椙山は三浦がやってくるのを期待していたわけではなかった。ダイコンパーティーは昼の時間だ。だから出席するのは妻か娘である可能性が大きかった。むしろその方が好都合だった。彼は自分に起きた悲劇を三浦にも味わわせたかったのだ。目的は叶《かな》った。三浦良一は妻から離別され、社会的にも思わしくない立場に追い込まれた。そんな三浦を改めて殺す必要がどこにある? それがわからないんだ」 「たしかに三浦良一はのぼりつめた坂道を下りかけていた。でもまだ大学の医学部の教授職にはあったわ。椙山はそのステイタスが気に入らなかったのよ。許せなかった」 「なるほどそうかもしれないな」  その水野の意見はうがったものでわたしは一応納得した。  ロープウエイを降りたわたしたちは休憩所を通り抜け、中宮から奥宮をめざすことになった。 「やれやれ、捜査に来て山登りをするとは思わなかったわよ」  そういいながらも水野は速いテンポで足を進めていく。わたしはゆったりとしたペースで後について登っていく。  行く手に石鎚山とその山頂が迫っている。手を伸ばせばすぐ届きそうな距離に錯覚しかねない。一方あの夢の記憶が頭の中を掠《かす》めた。霜《しも》を被《かぶ》った赤い肉片が躍っている。親近感と畏怖感《いふかん》の相反する感情にとらわれる。  わたしは登り続けた。 「もう、だめ。足がもつれる。進まない」  奥宮をめざす途中で水野が音《ね》を上げた。肩で大きく息をしている。わたしは彼女と交替して先に立ち、右手を後ろにして手を貸した。相応の力を貸し続けないと相手を引っ張りあげることはできない。  山はさらに迫って見えてきた。相変わらず親近感と畏怖感とが交互に感じられている。  西日本の最高峰といわれるこの山から見下される威圧感ではなく、包みこまれる温かさを感じたいとわたしは思った。    二十三  わたしたちは、現場でシアン化水素が入っているスプレー缶を発見することはできなかった。 「でもここのどこかにあるはずでしょうが」  水野の顔にさっと緊張が走って凍りついた。 「椙山が使用後、谷へ捨てたとは考えられない?」  わたしは彼らが折り重なって倒れていたとされる、油性のチョークで囲んである人型と、その先の切り立った崖《がけ》を見つめた。崖の下は限りなく広がる青空と緑が海底のように沈んで見える。 「検死によれば彼らが吸い込んだシアン化水素の量は致死量の三倍。しかもほとんど同量。さっきいい忘れたけど発見時二人は手錠でつながっていたの。つまり椙山は三浦に手錠をかけて相手を抱えこみながら、スプレーのノズルを押し続けて死んだとしてもおかしくない。たしかにシアン化水素は青酸化合物よりは速効性があるけれど、密閉されていない場所で致死を可能にするには工夫がいるのよ。相手に吹きつけるだけでは確実ではない」 「彼には凶器を始末する体力は残っていなかった?」 「とわたしは思うわ。そうだとしたらここは危険よ。徹底的に捜索する必要があるわ。しばらく登山口を閉鎖して、ロープウエイもストップさせなければ」  そういった水野はきりりと眉《まゆ》を上げ、唇を真一文字に結んだ。それから登りで音をあげた人物とは思えないほどの健脚ぶりを示した。短距離走さながらのスピードでロープウエイのある中腹までかけ降りていったのである。  水野が去った後わたしはもう一度ゆっくりと山頂を見回した。ふと日陰にある平たい岩に目が吸い寄せられた。岩の背後が死角になっていることに気がつく。その場所へと歩き岩陰へ回ってみた。  濡れて分厚くなった紙状のものが土に埋まりかけている。それを土から引き抜くと濃紺のシステム手帳だった。手にとって開くと「東京経済医科大学教授 三浦良一」と書かれた名刺が数枚。椙山に手錠をかけられようとした三浦は相当抵抗したのだろう。はずみで手帳がはねとんだものと思われる。  手帳の間から細かい活字の切り抜きが落ちた。大正元年の神の木村の事件、または昭和四十四年の医学博士浅井一也の若返りの研究特集、どちらかではないかと予想した。だが、ちがった。つい二年ほど前の毎朝新聞で、広島県福山市にある浅井記念病院で、医師四人が泥酔して転落死したという事件の報道であった。わたしはその場でしばらくその記事と三浦との関係に思いをめぐらせたが、これという考えは浮かばなかった。  そんなわけでわたしがやや遅れてロープウエイの乗り場に辿りつくと、彼女はすでに土産物屋にある公衆電話に張りついて、県警相手に気炎を上げていた。 「一刻も早く捜索を開始してください。このままでは絶対に危険です」  わたしは福山の医師転落事件と三浦について考え続けていた。電話が終わった水野が隣りに来たので見つけた手帳と切り抜きを渡した。 「浅井記念病院なら三浦良一が医学部を卒業後すぐ勤めたところじゃなかった?」  そういえば三浦良一についての資料を提供してくれたのは彼女だった。 「陽明会病院となっていたけど改名されたのよ。大学時代の友達が土地の人でね、話してくれたのを覚えている。病院の改名はあまりない話だから面白いでしょうって」 「改名した具体的な理由は?」 「残念ながら幽霊よ。幽霊退治のため。だから信憑性はない。旅行先でちょっとした怪談話を披露しあっていた時に出てきた話だもの。ただ改名の事実はほんとう」 「なるほど」  そこでわたしは、急遽《きゆうきよ》今から福山へ行ってみたいと水野に告げた。 「三浦が同業である医師たちの泥酔転落死にどうして興味を持っていたのか、知りたいんだ」 「三浦と死んだ医師たちとの人間関係? あなたが刑事でわたしが上司ならその出張は許可しないわ。だって三浦は被害者よ。犯人は椙山で決まり。椙山がその切り抜きを持っていたのならまた別でしょうけど」  水野はいってじろりとわたしをねめつけた。 「わざわざ一関にまで追いかけてきた椙山英次は薬草や民間療法、ひいては医学そのものに興味がありそうに見えた」  わたしはあまり強力とはいえない抵抗を試みた。 「カモフラージュよ。彼が一関に行ったのもあなたが内藤さやかに会うだろうと予見して、彼女がどこまで真実をもらすか聞いていたかっただけのこと。でも彼女がしゃべったのはチケットが別個に送られてきていたことだけ。椙山は彼女が木下にどこまで知らされていたか、気がかりだったのね。彼がホストの木下を殺した動機ならわりにはっきりしている。木下が何かの理由で彼をゆすった」 「そしてその理由と浅井一也の載った新聞は関係がある。何しろあれは坂本のバンにだけじゃない、木下が殺された犯行現場にもあったんだ。これでも君は浅井記念病院へは行くなという?」  わたしは自分の投げた石が都合のいい方向に転がりはじめたとほくそえんだ。すると水野は、 「いいわ。わかった。気のすむように行ってらっしゃい。スプレー缶の件が落ち着くまでわたしはここを動けないけど」  といって肩をすくめた。  わたしは水野と別れ、先にロープウエイの乗り場から下山した。水野が指示しておいてくれたおかげで、警察の専用車に今治まで送ってもらうことができた。運転してくれていた若い刑事は福山まで同行してくれるといったがわたしは断った。今治からタクシーに乗りかえる。タクシーは今治から尾道へ向って、しまなみ海道をひた走った。浅井記念病院に着いたのは午後四時少しすぎであった。  病院の前に立って見上げた。近代的で新築されたばかりのホテルのような印象を受ける。わたしはシーツが干されている屋上に目を凝らした。地上のコンクリートとの間の距離を目算する。五十メートルはゆうにあるだろう。落下したらとても助からない。  わたしがロビーに滑り込むのと、就業規則にのっとって勤務を終えようとした受付係が腰を浮かしかけるのとはほとんど同時だった。 「すみません。突然で申しわけないのですが」  そして、わたしは自分でも信じられないほどのあつかましさで院長との面会を実現させるべく、実力行使に出た。会議が延びていて院長が在院していると聞いたからである。 「友人二人の死の真相をどうしても解明したいんです。院長ならゆかりの浅井一也先生が生きておられる時分のことを知っているのではないかと——」 「ちょっと待ってください」  結果わたしは十五分後、最上階の院長室へ案内された。 「沢田恵一郎《さわだけいいちろう》です。ただし院長ではありません。もとここに勤めさせてもらっていた医者です。もう隠居の身でここへ来るのは会議のある時だけです。あなたが古いことを知りたいとおっしゃっておられると聞き、わたしが会議を抜け出してここで待つことにしました。それに会議に出ておられる院長にはこれから約束の会合が目白押しなものですから」  そういってソファーから立ち上がった老人は銀髪で痩躯《そうく》。グレーの半袖ワイシャツにループ・タイが似合っていた。 「飛鳥医科大学名誉教授の浅井一也は先輩にあたります。その縁でわたしはこの病院の監査役に名をつらねているのです。ただし専門は麻酔です。外科手術には欠かせない存在ですが地味なポストです」  そこで相手は微笑した。几帳面で温和な性格だとわかるおだやかな表情だった。こういう人物はとかく記憶力の方もずばぬけていることが多い。わたしは期待した。 「まずここで二年前に起きた事件についてお話しいただきたいんです」  わたしは新聞の切り抜きを沢田恵一郎に手渡した。沢田は切り抜きに目を落とした後、 「この件については何とも、近すぎてお答えできません。すでにわたしは退職しておりましたし。新聞にある通りのことなんじゃないですか?」  と正直な人柄でもあるのだろう、目を伏せた。 「では沢田先生、あなたの先輩について話してください」  わたしは戦略を変えた。 「浅井一也についてですね」  すると沢田医師の顔がぱっと輝いた。 「彼は日本のみならず世界を代表する内分泌の大家でした。ただし生存中あまり陽の目は見なかった」  沢田の目が悲しげに曇った。 「どうしてです? わたしは浅井先生の研究が載った新聞を拝見しましたよ。画期的なものだと紹介されていた」 「科学や医学の発明発見、それにともなう学者たちの栄光は時代の需要と関係してくるものです。早すぎると悲惨な目にあう。浅井一也がそうでした。彼はありとあらゆる栄誉と無縁でした」 「何がどう早すぎたというんですか?」 「あなた、日本の医学史についてどの程度ご存じです?」  逆に質問されてしまった。わたしは三浦良一とも似たような話になったことを思い出しながら、知っている限りの知識を要約してみた。 「あなたがいうその漢方医学、明治期にはまだ公の医療でした。例えば明治十一年に東京の一ツ橋に建てられた国立の脚気《かつけ》病院。当時まだ脚気は国民病でしたからね。ここには漢方医と蘭方医の両方が配属されて施療に当たっていたのです。勝利を得たのは実地に強い漢方であったにもかかわらず、脚気病院は明治十五年に廃院になり、明治二十八年には漢方存続案が議会で否決されます。ちなみに東京大学医学部ができたのは明治十年のことです。明治十二年には医師試験規則ができる。それまで各府県にまかせていた医師免許が国家試験制になった。この間漢方医は浅田宗伯《あさだそうはく》を中心にして全国的に結束。政府の西洋医学偏重に激しく抵抗しました。彼らは漢方の専門病院や養成のための学校まで作っています。一説にはこうした漢方排斥の立役者になったのは、当時の内務省衛生局長だともいわれています。西洋医学を学んだ医者たちの後押しがあったともいう。昔も今も日本のお役所にはきなくさい臭いがしますね」  そこで沢田恵一郎は一度言葉を切り、再び続けた。 「ここで日本の伝統医療は滅びました。そもそも日本の漢方医学は中国一辺倒ではなかった。シャーマニズムや各地の民間医療と混じりあって独自の発達を遂げてきたものです。ということは今、文明国や生活習慣病を救う福音であるがごとく脚光を浴びている漢方は、現代中国医学であって、日本の漢方医学が復活したものではないということなのです。日本人が長い年月をかけて培ってきた独自の医薬の知識、体質にあった施療はどこへ行ってしまうのか? 浅井一也が懸念したのはこの点だったのです」 「浅井先生は漢方に造詣《ぞうけい》が深かったのですね」 「漢方を含む日本の医療関係すべてにです。その中にはもちろん食物の知識も相当含まれていました。それから密教、陰陽道《おんみようどう》などにも通じていた。日本最古の医師がシャーマンで僧侶、行者、陰陽師が続いていたはずだというのが、彼の持論でしたから」 「これらはご専門の内分泌とどうつながります?」 「彼にいわせればホルモンがすべてだと。ホルモンについての研究が飛躍的に進めば、難病の撲滅のみならず、人間の未来は大きく変わるだろうともいっていました。あの新聞の紹介記事もその一環でしょう。もっともわたしはそうはくわしくありません。沖野正通《おきのまさみち》ならもっとくわしく、浅井一也の研究についてお伝えできたでしょう」 「沖野正通?」 「浅井の愛弟子《まなでし》だった飛鳥医科大学の学生です。起居をともにしていたといっていいほど、浅井の研究に協力してくれていました。優秀で礼儀正しい若者でしたよ。あの時代は学園紛争などで気の荒い無礼な若い連中が多かった。でも彼は違いました」 「彼は今どこに?」 「亡くなりました。突然失踪したのです。後で覚悟の自殺らしいと聞きました。若いみそらで研究に根《こん》を詰めすぎたのではないかとわたしは思います。少しは遊びもやればバランスがとれたのに。たしか浅井一也が新聞に取り上げられる何ヵ月か前のことでした」 「浅井先生とこの病院の縁は? まさか陽明会病院を所有しておられたわけではないでしょう?」 「ところが亡くなってみてそうだとわかった。妙な話ですが、このことは働いていたわたしにもわかりませんでした。当時わたしは経営に携わっていたわけではありませんでしたしね。陽明会という医療法人が浅井の隠れ蓑《みの》だったなどとは知らなかったのです。たぶん彼には他意などなく研究に打ち込みたいがため、表面に立つのはめんどうくさかっただけなのでしょう。それではた目には浅井一也は陽明会病院の内分泌内科、外科に非常勤で来ているだけだと思われていました。たしかに病院の中には、日本の伝統医療の研究を目的に作られた研究室と、屋外、屋内両方の薬草園、図書室などはありましたが、そう不自然には誰も感じていなかったのです。陽明会側が教授の浅井を優遇しているということは、亡くなってみてはじめてなるほどと納得しました。浅井記念病院と改名したのは独身の浅井にはこれといった身寄りがなく、遺言により福山市の評判の悪くないある医療法人に寄付したからです。一種の天才でありながら、一つの医学賞も授けられなかった故人への追悼の念もあったでしょう」  ここで沢田恵一郎はいくらか声を詰まらせた。 「たしかにこの病院が浅井先生のものなら、陽明会病院よりも浅井記念病院の方がふさわしい。ところでこの病院は寄付された後、建てなおされたものとお見受けします。研究室や薬草園、図書室はどうなりました?」 「遺言には特に遺すようにとは書かれていなかった。そこで浅井関係のものを地下の資料室にまとめました。薬草園は潰《つぶ》しました。管理の必要な毒草などがはびこるのを恐れたためです。ただし薬草、毒草どちらも標本だけはとっておいてあります」 「一般の閲覧は許されていますか?」  いいながらわたしは腰を浮かしかけた。 「ああ、いや」  相手はにわかに苦しそうな顔になった。三十秒ほど間があって、 「実はもうここには浅井関係のものはないのです。処分を余儀なくされました」  といった。 「例の事件と関係がありますね」  わたしはテーブルの上に置かれた新聞の切り抜きに視線を走らせた。沢田恵一郎はじっとしばらくわたしを見つめてから、 「だめだ。あなたには隠しだてできない」といってから以下のように続けた。 「亡くなった研修医たちは資料室に興味を持っていました。これからは西洋医学と漢方の折衷時代だといっているような輩たちでした。近くの国立大学の医学史研究会のメンバーでもあったようです。その彼らが突然あんなことになった」 「新聞には清酒二升、五五〇ミリリットルワイン五本とありましたね。これだけの量で全員が転落するほど正体なく酔うものですか? あなたは法医学者ではないが麻酔医だ。アルコールにも一種の麻酔作用があって酩酊《めいてい》状態がそれだという。そうだとしたらそのあたりのことにはくわしいはずです」  わたしは思いきって水を向けた。 「事件が起きた時わたしはまっさきに病院長に呼ばれました。ある疑いがあったからです。四人は健康で酒に強い成人男性でした。その程度のアルコールの量で空を飛べるなどとは錯覚しなかったはずだとわたしはいいました。ただしこれに何らかの幻覚物質が混じっていれば話は別だと」  沢田は観念した口調でいった。 「それで急遽《きゆうきよ》わたしは知り合いを紹介して、ここで司法解剖を行なうよう手配しました。幻覚物質のことを表ざたにしないためです」 「犯人は地下の浅井資料室の植物標本ですね」 「たぶん。以前は日本全国から若い研修医たちがここへやってきました。どこで聞いてくるのか、たいていめあては浅井一也の遺したものでした。困るのはその彼らが標本の薬草、毒草をこっそり盗んでいくことでした。誰々と限定できないだけに困りましたよ。死んだ四人が服用した幻覚物質の出所は、はっきりしていません。もちろん種類もわかっていないのです。なぜかというと浅井一也は卒中死で、自宅の遺品から遺した標本について覚え書きは発見できなかったからです」 「それで浅井一也の資料室を全面閉鎖した」 「閉鎖と同時に中のものすべてを焼却しました。わたしには抵抗がありましたが、資料室があること自体危険だというのが、他の理事たちの大多数の意見でした。仮にここに勤める医師たちの中に、漢方などの伝統医療に興味を抱く者がいたら、また事態は変わったものになっていたかもしれません」 「それでは明治の役人のおかした過ちの二の舞ではありませんか?」  わたしはいささか腹立たしく感じた。 「とはいえ浅井資料室は、ぶらりと短期間ここを訪れるに等しい研修医たちの、なぐさみものにすぎないという意見もありました。あるいは漢方など彼らにとって、単なるのぞき趣味の一環にすぎないという見方も。以前、風の便りでここへ来た連中の一人がハシリドコロを媚薬《びやく》に使ったという話を聞いて肝が冷えたものです。ハシリドコロは山菜とまちがえて食べられやすい危険な毒草で、アトロピンとスコポラミンが意識障害を起こさせるのです」  沢田は知らずと身内を庇《かば》う態勢に入っていた。 「でもそれらは全部、標本管理が杜撰《ずさん》だったことの単なるいいわけでしょう? ちがいますか? いや、今さら責める気持ちはありません。わたしがいいたいのはそうだとすると、例の幻覚物質は必ずしも地下から持ち出されたものではないかもしれないということです。そう考えたことはありませんか?」  わたしがそういうと相手の顔はぎょっとした表情に固まった。 「彼らが自分で麻薬系物質を試していた?」  首をかしげる。 「考えられませんね。彼らは一応医師なわけですから既製の製剤を使ったとしたら、惨事には到らなかったでしょう。量に伴う効能をあらかじめ予測できる。酒と一緒にやる危険性も知っていたはずだ。仮に一人がやっても全員が倣うとは思えません」 「となると誰か第三者によるもの、つまり犯罪だというわけですね」  沢田恵一郎は目を剥《む》いた。    二十四  沢田恵一郎と別れた後、新幹線で大阪へ向かった。着いたのは夜の十時近くである。沢田が紹介してくれた、沖野正通と親しかったという医師を訪ねるためである。開業医は奥裕行《おくひろゆき》といった。今から福山を発《た》つので遅くなるがいいかと電話で聞くと、相手はきさくに何時でもかまいませんといい、行きつけのバーの名を教えてくれた。 「たいてい帰る時は次の日の日付けになってますから」  そんなわけで新大阪の駅に降りたわたしはタクシーに乗り、心斎橋《しんさいばし》にある奥裕行の行きつけの店�ブルームーン�へと向かった。 「遅くなってすみません」  店の中に招き入れられたわたしはホステスの一人に案内されて、奥のボックスへと歩き、ふんぞりかえっている小太りの中年男に頭を下げた。 「いやはや待ちましたよ」  もっともそういう相手の口調は不機嫌ではなかった。 「ただ期待はしていました。新鮮な話が聞けるといいなと思って」  ちらちらと好奇心まるだしの視線でわたしを見据えた。 「どうもその期待、的中しそうだな。あなたには沖野正通と同じ匂いがする。久々に面白くなりそうです。どうです? 一杯」  オンザロックを勧められた。気は進まなかったがつきあった。奥裕行は上客なのだろう。さりげなく出されてきたオンザロックは上質のモルトの香りがした。  それとなく目の前の相手を観察した。オーダーとブランドで固めている。身体にフィットしたあつらえの背広が、せり出した腹部を巧みに隠していた。ネクタイとワイシャツは生地の質も趣味もよかった。完璧な英国紳士風。ファッション系の男性雑誌に掲載されてもおかしくなさそうだ。  ただ奥裕行にはひどく不似合いだった。小柄で童顔の彼なら、もっと素朴で庶民的なものの方が映るのではないだろうか? わたしはふと奥裕行と同じくらいめかしこんでいた亡くなった友人、新海龍之介を思い出していた。この現代、人々はなぜこうまでも、老若男女を問わず装い飾り、見せかけの自分をアピールしたがるのだろうか? 「沖野正通のことをお聞きになりたいんでしたね」  奥裕行はホステスに新しく運ばせてきた、抜いたばかりのシャンパンをグラスについで、わたしの前に置いた。自分もグラスを取り一口すすったところで、 「実をいうとわたしも彼のことを思い出していたところでした。石鎚山で亡くなった三浦良一、彼もわたしの同級生なんですよ。患者の肉親の恨みをかって娘さんもろとも殺されたと新聞には書いてありましたが、気の毒と思う反面、やっぱりという気はした。あなた、彼に会ったことがありますか?」  と続けた。  そこでわたしは三浦良一を訪問したいきさつを話した。 「気迫と使命感で生きているようなところのある方でしたね。どこか現実離れしていた」  そしてあの不思議な地下室生活に触れた。すると、 「ああ」  奥は笑いだし、 「家族は悲惨だろうが彼ならやりかねない。でもああいう手合いは幸福ですよ。人間の究極の幸福とは何だと思います? 贅沢三昧《ぜいたくざんまい》な日々を送ったり欲望を追求することだと思いますか? 実はちがうんですよ。わたしなんかこんな無為な毎日を送っているのですから、いつも思います。これは虚《むな》しいと」  とやや自嘲《じちよう》気味にいった。 「信念こそ生きる糧だと?」  わたしはそこを聞きたくなった。 「そうです。もっとも現実に信念を持ち続け、さらに貫くのも大いなる欲望かもしれません。三浦良一や沖野正通にはそれがありました。ここまで来るとちょっと人間離れしていると思われるほどにね」 「沖野正通の自殺の原因は何ですか?」 「近未来の医学への絶望だと遺書には書かれていたそうです。このまま行くとこの国の医学は人を救うという本来的な使命から外れ、有害な商業ベースに堕すると。三浦が現実主義者なら、沖野は理想主義者でした。学者肌は沖野の方だったかもしれません。とにかく二人は当時医学部内で一、二を争う秀才でした。三浦は最先端の技術を駆使できる外科医をめざし、沖野は浅井先生について内科、特に難病を多く扱う内分泌を専門にしていました。しかし二人の生き方、考え方はまるでちがった」 「たしか三浦良一は学生運動に参加していましたね」 「そう。彼は現実の社会を変えられると信じていましたからね。一方沖野は懐疑的でした。クールな男でした。一度狂いはじめた歴史の歯車はそう簡単に止められない。そんなことをいっているのを聞いたことがあります。当時、学生運動が盛んになればなるほど、沖野正通は孤立し、浅井教授ともども研究室にこもりきりになった」 「その沖野正通の死因をノイローゼだという人がいますが」 「それは信じられない。沖野の精神は三浦に輪をかけて強靭《きようじん》でしたから。それに近未来の医学に絶望したから死ぬというのは、それなりに筋が通っている」 「死体の確認は?」 「覚悟の自殺と断定されたのは彼の遺体と思われる白骨死体が、北海道の洞爺湖《とうやこ》の付近で発見されたからです。確認には三浦が行きました。片腕として彼を信頼しきっていた浅井先生がショックで寝こむほどだったからです。浅井教授はそれからほどなく亡くなりました」 「沖野正通と三浦良一は仲がよかった?」 「いや。同じクラスにいてもほとんどつきあいがなかった。わたしたちは陰であの二人は各々相手を言葉に尽くせぬほど軽蔑《けいべつ》している、と噂《うわさ》していました」 「だから三浦良一が遺体の確認に行ったのは意外だった」 「そう。まあ身寄りもなかったのだろうというところに落ち着きましたが。その時彼の故郷が橿原神宮《かしはらじんぐう》の先の御所《ごせ》だとはじめて知りました」 「ほう」  うなずいたわたしは動揺を禁じえなかった。奈良県御所には高天原古墳《たかまがはらこふん》を筆頭に古代の多くの遺蹟《いせき》があるが、日本全国の山の神様、役行者《えんのぎようじや》の生誕地でもあったからだ。  その夜は大阪のビジネスホテルに一泊した。携帯にかかってきた水野の電話は、 「椙山の両手のひらをもう一度調べてもらったの。でもどこにもノズルの痕《あと》はなかった。それとね、坂本和幸が運転していた保冷車だけど、あれとよく似たものを京都で見かけたという目撃者が出てきたの。スプレー缶はまだ見つからない。つまり椙山の三浦殺しは不自然この上ないわけよ」  と告げてきた。  一方わたしは昭和四十四年に消息を絶った沖野正通について調べてほしいと頼んだ。遺体が発見された正確な場所とその様子、そして三浦良一の確認証言について。  翌日わたしは始発の新幹線で東京に帰った。大学の講義は夏休み前最後のもので、遅刻はやむないが、休講だけは避けなければならなかった。  大学で講義を終え研究室を出ようとすると、机の上と携帯の電話が同時に鳴った。一瞬迷ったが携帯の方の電源を切り、研究室専用の電話に出た。 「新海|直江《なおえ》です」  一度だけ結婚式の花嫁姿を見たことのある新海龍之介の妻だった。 「その節は失礼しました」  相手は詫《わ》びの言葉を口にした。新海龍之介の葬儀は彼の故郷である北上で行なわれたが、密葬という名目で親族以外は出席を拒否されていたのだ。その後わたしは未亡人に電話をかけ、せめて墓参りはだめかと聞いたが、彼女は、 「ごめんなさい。もう少し気持ちが落ち着くまで待ってください」  といってぷつりと電話は切られてしまった。  というような事情だったので、わたしはいささか当惑気味に新海直江からの電話を受けていた。 「今東京に来ています。主人のことでやっとお話しする踏ん切りがつきました。お目にかかりたいのですが」  未亡人の声は熱を帯びて聞こえた。 「わかりました。自宅の方へ来てください」  わたしは時間を約束してマンションへの道順を教え電話を切った。  それから水野の携帯にかけた。わたしの携帯にかけてくる人間は、番号を教えてある彼女一人だとわかっていたからだ。 「沖野正通についてわかったことがあるの」  さっき電源を切ったからだろう。水野はやや不機嫌な口調でいった。だが続けてくれた。 「彼の死体が発見されたのは北海道|有珠《うす》郡|天狗岩《てんぐいわ》村。村の住民福祉課に資料が残されていたわ。それによると発見されたのは昭和四十四年四月三十日。このあたりには多い隈笹《くまざさ》の茂る藪《やぶ》の中にある洞窟《どうくつ》。死亡は昭和四十四年の春頃と考えられているから、沖野正通の失踪時期とほぼ一致する。所見は三十から四十代の男性。内分泌学を含む内科の専門書二冊と現金十万円、植物の種がグレーのリュックの中に入っていた。植物の種は洋種山ごぼう」  洋種山ごぼうは従来から食中毒を起こす山菜として知られているが、最近ヒトリンパ球に関わるリクチンというたんぱく質を含むことがわかってきた。その選定毒性は免疫細胞に特異的に働き、将来的には癌やエイズの特効薬としての活用が期待されている。免疫は内分泌学の中枢といえるから、まさに沖野正通の所持品にふさわしいといえた。 「覚悟の自殺と断定されたのは一つにこの近辺で道に迷うことはめったにないこと、それからリュックの中に着替えがなかったこと、銀行の袋に入っていた現金に手がついていなかったこと」 「三浦良一の証言は? 当人であるかどうか歯形などの確認はされている?」 「三浦は即座に沖野だと認めて判をついて遺体を引き取っている。理由は歯形。もっとも歯科医のカルテと照合したわけではなくて、逆にカルテの存在しない歯形だったからよ。沖野正通の歯は完璧《かんぺき》で生まれてから一度も歯医者に行った経験がなかったと三浦は証言している。遺体の歯形にも処置の痕のみならず一本の虫歯もなかった。こういう適合はめったにないから、これで三浦が遺体を沖野だと断定するのは無理からぬところだわ」 「真偽のほどはわからないよ。家族でもない三浦が沖野の口の中の情報にくわしすぎると思わないか? 沖野の自殺工作に加担する目的でまにあわせの死体について、つじつま合わせをしただけのことかもしれない」  とわたしが反論すると、水野は、 「でも、それ、何のために?」  素朴な疑問を投げかけてきた。  急いで家に帰りついたわたしはまず湯を沸かした。改まる必要のある客のもてなしには紅茶と決めていたからだ。できれば着替えをしてくつろいで待ちたかったがその時間はなく、玄関のインターフォンが鳴った。午後六時十分。 「ほんとうにその節は失礼してしまって」  現われた新海直江は重ねてまた詫びた。 「気にしていません。そちらこそもうお気になさらないでください」  わたしはプレーンのインド紅茶をいれ、そろそろ飲みごろに仕上がってきたワームウッド酒を数滴たらした。かぐわしい香りは幸福感と同一に感じられる。 「このハーブ酒はゆううつ症の特効薬ともいわれているんです」 「まあ」  知らずと相手は微笑していた。  新海直江は二十代後半。まだ若いといっていい年齢だがこのところの心労がたたっているのか、痩せぎすで老けこんだ印象を受ける。顔全体にいいようのない陰りが兆していた。それでもつとめて自分で気を引きたたせようとしているのだろう。明るいピンクのスーツを着ていた。決して不似合いではないが痛々しく見えた。 「実はわたしがなかなか立ち直れなかったのは夫の死、それだけが原因ではなかったのです」  ティーカップを置いた未亡人はまず早口でそういってわたしをじっと見つめた。 「それだけではない?」 「夫はここ半年間ですっかり変わってしまいました。以前はあんな人ではなかった」  薄い唇がゆれてため息がもれた。 「絵島先生の会にお誘いと依頼を受けてから、新海はたびたび東京へ出るようになりました。そのたびに様子も変わってきて、ある日それではとても農業学校の先生に見えないわよ、とわたしがいったら、そうだ、俺もいつまでも田舎にくすぶってなんかいられない、このジャンルを日下部だけに独占させてなるものかといいました。その時わたしの知っている夫ではもうないとはじめて思ったのです」 「たしかお二人は同郷でしたね」 「ええ。でも新海は盛岡で、わたしは北上。夫は次男なのでわたしの方の実家近くに住んでいます。とうとうそれも気にいらないと言いだして。わたしやわたしの方の親戚《しんせき》が彼の足を引っ張っている。そんないい方もされました。喧嘩《けんか》ばかりで明け暮れる日々が続いて地獄かと思いました。派手に遣っているように見えるのに、いっこうに主人がお金に不自由していないように見えるのも不気味でした。子供はまだでしたが、正直いなくてよかったと思ったものです」 「女性関係ですか?」 「はじめから女の直感でうすうす気がついていました。ある時、亡くなる二ヵ月ほど前ですか、子供のようにはしゃいで東京へ出ていく夫を尾行したんです。東京駅で迎えに来ていた女性を見ました。後ろ姿だけでしたが髪の長い、白いジャケットとジーンズが印象的なお嬢さんでした。二人は手を組んで駅のひとごみの中に消えていったんです。それからまた嫉妬《しつと》地獄がわたしにはじまりました。新海があんな死に方をした時、悲しみよりも安堵感《あんどかん》があったのは事実です。もう苦しむことはないと。でもすぐにそんな自分を罪深いと恥じました。気持ちの落ち込みの原因はそれでした。なかなか回復しませんでした」  新海直江はうつむいて肩をふるわせた。 「なぜ今になって、わたしにそのことを話そうとお考えになったのですか?」  わたしは率直に聞いた。 「このままでは供養にならないと思ったからです。また変わる前の夫についても思い出してみました。わたしたち夫婦にだって幸福な時期がありました。それで何とか彼の無念を晴らしたいと考えるようになったのです。もしかして夫が殺されたこととあの若い女性とは関係があるかもしれないと」  そこで彼女は唇を噛《か》み締めた。 「ありえますね」  わたしはいい、自分の紅茶に手を伸ばした。紅茶はすっかり冷めきっていたが、高貴な幸福の香りはまだ残っていた。  来訪者が帰るとすぐに携帯が鳴った。 「絵島なつみが昨日の夜から行方不明であることがわかった。京都で目撃された坂本の保冷車について、絵島なつみにも事情聴取する必要があったのよ。保冷車は絵島邸のある右京区を走っていたというから。最後に彼女を見たのは高校時代のクラスメートで、京都駅の近鉄京都線のホームに立っていたというの」  水野は一気にまくしたてた。続ける。 「ジメルカプトプロパノールについて考えてみたのよ。あれ、ダイイングメッセージにはちがいないけど、必ずしも椙山をさしていたとは限らない。絵島郁子のわがままにつきあって、主治医からこの薬を処方してもらってきたのは、絵島なつみ。彼女が絵島郁子殺しの犯人である可能性も出てきた。あの日、あの時間、デスクにいたことが目撃されている椙山には絵島郁子は殺せないわ。あの保冷車が京都にあったのは必要だったからよ。保冷車を使えば死亡推定時刻を遅らせることができる。当日なつみは朝、養母を殺して坂本が待機している保冷車に積み込み、時間を見はからって部屋に戻しておいた。これでアリバイは完璧。彼女は医学生でしょ。この程度のことは朝飯前のはず。とにかく彼女を至急探さなければ」 「心当たりがある」  わたしはいった。役行者の生誕地は近鉄橿原線の橿原神宮前駅から、さらにローカル線を乗り継いだ近鉄御所という駅から近い。  その後すぐ、わたしは朝通りすぎた東京駅へ戻った。東海道新幹線の乗り場で水野と待ち合わせる。 「ここも今日は二回目」  わたしは苦笑した。  十一時近くに京都駅に着いた。このパターンは昨日と同じである。ただし今日は相手が待っていてくれるわけではない。 「一応、御所の警察には連絡したけれどね。昨夜彼女を泊めたという民宿がない。ついでにいうと姿を見たという人もいないわ。ということは全村をあげて捜索しろという指令は出せない。それにわたしにもわからないことがある。彼女が近鉄京都線のホームに立っていただけで、どうして御所なの? 役行者なの?」  そこでわたしは沖野正通について得た情報を、電話でよりももう少しくわしく話した。  すると彼女は、 「でももう彼は故人よ。遺体も確認されている。北海道の死体が身代わりだったというあなたの推理はまだ推理でしかない。たしかに絵島なつみは飛鳥医科大学の学生。仮にあなたのいう日本の伝統的な民間医療に興味があるとしても、沖野正通と接触することなどできない。感化を受けることはないのよ。福山の浅井資料室は二年前に閉鎖されているから、御大浅井一也の幽霊で妥協するにしても無理な相談なのよ」  半ば呆れ顔でいった。だがわたしは、 「いや沖野正通は絶対生きている。そしてその彼と絵島なつみは会っているはずだ。なつみばかりではない。椙山も坂本も会っていた。そして彼らはマリオネットの人形のように操られ、おびただしい犯罪が起こされ殺戮《さつりく》が続き、彼ら自身も死んでいった。沖野正通こそ闇《やみ》に潜む狡猾《こうかつ》な人形遣いなのだ」  といい切った。    二十五 「するとあなたは追い詰められた絵島なつみが御所にいて、役行者の足跡を辿《たど》っているというのね」 「そうだ。まちがいない。彼女はそこで何とか非常手段をこうじようとしているんだ。この場を何とかすりぬける方法、あるいは」  その先は言葉にできなかった。代わりに、 「彼女は役行者と御所の生まれである沖野正通をダブらせて崇拝してきたんだと思う。あるいは沖野の方で、自分は役行者の生まれ変わりだぐらいに思わせたのかもしれない」 「今から御所へ行くつもりね」  午後十一時十七分。わたしたちは新幹線から降りて近鉄電車の乗り場のある方向へ歩いてきていた。この時間になるとさすがに京都駅の構内も閑散としている。 「といってもこの時間はもう終電が終わってる。タクシーしか手はないのよ」 「薄給の大学教師の身では手痛いが仕方ないな」 「これは捜査とは認められない。深夜の遺蹟見学? そうでなければ葛城山ハイキング? 何やってるのかしらね、わたしたち」  笑いだした。わたしもつられて笑った。  車は御所の駅を通過して葛城山へ向かっている。途中中型のタクシーがやっと通れる、畑がところどころにある住宅地をすりぬけていった。両脇の人家や木々の黒いシルエットが覆い被《かぶ》さってくるように見える。聞くと運転手はこれでも昼間はこの道に葛城山行きのバスが運行しているのだといった。  葛城山のふもとにある金剛《こんごう》登山口につけてもらった。舗装道路が終わる水越峠までは車で行けると運転手は頑張ったが、わたしたちは徒歩を選んだ。運転手は警察官ではないからあれこれ注文をつけるわけにはいかない。それでは仮に絵島なつみが潜んでいたとして、発見するのに最上の条件とはいえなかった。わたしは水野の脚力が心配だったが、いい出したのは彼女の方だった。  わたしたちは水越峠をめざして歩きはじめた。傾斜はそう険しいものではなかった。問題なのは漆黒の闇の方だった。水野はたじろいだようだったがすでにタクシーは走り去っていた。わたしは常に携帯しているペンライトを背広のポケットから取り出して彼女に渡した。 「大丈夫。ここには熊はいない」  そしてわたしたちは無言のまま、かなり速いピッチで登り続けた。途中聞こえてくるのは水の音だけである。登山道に沿って川が流れているのだ。水の音が次第に大きく早くなり、峠の手前の祈りの滝へと誘導された。 「少し休む?」  水野は首を振った。  水越峠からは舗装道路ではない。急な登りを乗り切ると、その後はアップダウンが繰り返される。水の音はもう聞こえなかった。樹木や草が道からせり出るようにして生い茂っている。すべての音という音が途絶えて、草木の匂《にお》いだけが充満している。ここで生きているのは植物だけなのだと実感させられた。 「テレビでつつじの時期のここを見たことがあるわ」  水野は息こそ切らしているが、まだまだ力のある声でいった。 「つつじはこのあたりに植林されているはずだよ」 「夜の山もいいわね。優しい命の匂いを感じさせてくれる」 「病みつきになられては困る。そもそも夜の登山は無謀なんだ。本来ご法度《はつと》。今は非常時である上に夏であることをお忘れなく」  わたしはあわてて忠告した。 「といっても役行者はやったんでしょう? 彼に続いた修行僧たちも。だからあなたは絵島なつみも同じように行動するかもしれないと考えている」 「まあそうだ」 「それ、わかるような気がしてきたわよ。わたしも石鎚山の時より楽だもの。何も見えないせいであくせくした気持ちじゃなくなる」 「雑念が除去される?」 「悟りへの第一歩というわけよ」 「なるほど」  わたしはうなずいた。そして、昔は修験者が男性に限られ、女人禁制の差別が存在したのは、彼らの五感が女性たちに劣るからではなかったかとふと思った。  その後わたしたちは山上に行き着いた。葛城山の山上はなだらかな高原状になっていて、宿泊施設や研修センターが存在すると聞いていた。 「ロッジや博物館には連絡済みよ。絵島なつみが訪れた形跡はないわ。でもそれだからといってここへ彼女がこなかった証拠にはなりえない。わたしが彼女なら観光名所には立ち寄らないわね」  水野は何時間か前とは異なる論調を披露した。  最後に三角点に向かった。ここは標高九五九・七メートルの山頂である。ペンライトで照らすと山頂であることが明記された巨大な碑が見えた。 「奥宮もないのにここに来るかしら」  水野が頭をかしげた。 「いや」  わたしは空を見上げるしぐさをした。つられた水野の方は空を見上げる。 「これね」  黒く見える空一面に気の遠くなるような数の星がまたたいていた。硬質の星はどれもきらきらとまばゆく冷たい。空から闇が続いていた。わたしたちが立っている山頂までも覆っているかのようだ。 「たしかに役行者が生きた時代には神社なんてなかったはずですものね。それにしても不思議ね。何だかここにいると空と山が同じように感じられる。それから星は近寄りがたく、闇がとても暖かい。抱擁に似ている」  と水野はいった。  山頂でしばらく休んだわたしたちは下山した。下山は登りの約半分の時間で行けるだろうというのがわたしの読みだった。そしてロープウエイが運行している葛城登山口に着く頃には、夜が明けるはずだった。  下りの道はずっと急だった。下山時は敏捷《びんしよう》で小柄な人間に軍配が上がるのが普通だ。そのため例によって水野はいい調子でかけ降り、わたしはやや背中をちぢこめながらはずみがつきすぎないように注意した。  下山のコースには滝が多い。役行者が修行したといわれる行者の滝あたりから空が白んできた。  ふもとに着いても歩き続けた。 「まず高鴨《たかかも》神社へ行ってみる。ここには鴨一族が祀られている。鴨族は役行者の祖先で、日本最古の王朝ともいわれている。全国にある加茂社の発祥地だ。山に住んでいた鴨族の彼らは平地に降りてきて農業をはじめるが、ライバルに同じ山の民の葛城族がいた。彼らは主導権をめぐって争う。日本神話にある国譲りと天孫降臨は出雲《いずも》の国での話になっているが、実はこの葛城山麓の鴨族と葛城族の歴史的事件にもとづいているんだ」 「その戦いの結末は?」 「葛城族の勝利、だが彼らは鴨族を滅ぼすことはしなかった。日本初代の天皇である神武《じんむ》は葛城王朝の出身で、この王朝には征服した鴨族も含まれていた」 「つまり役行者は王朝の血を引いている可能性があるということ?」 「いやもっと誇り高い。葛城王朝などものともせず、自分たちこそ王朝の正統派だという意識が鴨族にはあったはずだよ」 「鴨族の役行者は山岳修行に自分たち悲劇の一族の復権を夢みたんじゃないかしら。あるいは山の中の王国を実現させようとした?」 「たしかに彼は精神的に高みを極めることで、悲惨な一族の歴史と無縁ではない自身の救済を願ったかもしれない。だが現実に謀反を起こそうとしたとは考えられない。といっても天皇や周囲はそう考えず、彼の医薬への並み外れた知識やたけた呪術《じゆじゆつ》の技に不信を抱いた。現に伊豆大島へ流罪にされたり死刑にされようとしている。もっとも伊豆大島では空を飛ぶ修行がめでたく完成して、毎日のように富士山頂との間を往復していたという話が残っている。これは痛快なエピソードだが、生涯彼は為政者たちのぎらぎらした欲望や、血なまぐさい事件に巻き込まれ続けた。しかしその姿勢は変わらず、おだやかなアウトサイダーとしての人生を極めようとした。鴨族の誇りだけを優先させて生きたわけではない」 「ガンジー式反権力というわけね。そうだとすると」  わたしたちは高鴨神社に近づいていた。朝の光がさんさんとあたりの田畑に注いでいる。葛城山へ向かう途中の道の狭さはここも同じで、そればかりかここには車道も国道も存在していない。曲がりくねった農道が迷路のように続いている。ふと十メートルほど先の水田に目を転じると、農作業の折、置き忘れたと思われる手押しの荷車がぽつんとあった。日本ではもうめったに見られなくなった風景の一つだろう。時間がゆっくりとすぎていきそうだが、今はその心地よさに酔っていることはできない。  高鴨神社の前に立つとまず苔《こけ》むした神木、朽ちかけた巨大な老木が目に入った。素朴な田園風景の中の遺蹟。  わたしたちは境内を調べつくした。絵島なつみも、ここの名物になっている日本さくら草の花も季節外れのせいか姿はなかった。 「絵島なつみが役行者に真から心酔していたとしたらここではないわよ。だってここは鴨氏礼賛神社でしょう? 役行者個人との関わりは薄いわ」 「とすると鴨族ゆかりで農耕祈願の鴨都波《かもつば》神社や葛城|御歳《みとせ》神社もだめだな」  わたしは考えこんだ。もっとも重要なことを忘れているような気がした。だが即座には思い出せない。 「これから所轄に電話して車をまわしてもらうわ。その程度のことはぎりぎりでセーフよ。ただしどこを優先させたらいいか見当がつかない。ちなみに沖野正通の家はもうここにはないのよ。調べたけど彼は地元の人間ではなく親が教師でここは赴任先にすぎないの。住んでいた借家はとりこわされて保育所になっている。絵島なつみがそこへ行くとも、そこが簡単にわかるとも思えない」  と水野は携帯を取り出して所轄を呼び出し、名乗って用件を告げた。  所轄の小型車がやってきたのはそれから二十分後。午前七時二十八分。 「まず茅原《ちはら》にある吉祥草寺《きつしようそうじ》に行ってください」  わたしは乗り込むなりその言葉を口にした。 「役行者生誕の地といわれている寺なんだ。今も行者の産湯の井戸や母親|刀良売《とらめ》の像があるはずだ」  車は御所市の東南部に位置する茅原地区へ向かっていった。車はどうということのないありふれた寺の前で止まった。  うっそうと古樹や羊歯《しだ》類にかこまれた高鴨神社とは対照的だった。門を入るとまず目につくのはおびただしい数の水子地蔵で、その前方には形よくしたてられた朝顔の鉢がいくつも並んでいる。花はどれも水色と白の二種類でつつましく、今咲いたばかりの証拠に花弁の中に朝露を溜《た》めている。全体に明るい印象。反対側の花壇にはカンナとヒマワリが咲き誇っている。限りなくのどかだった。 「人は住んでいない?」  水野に聞かれた。本堂の雨戸は厳重に閉められている。 「わからない。留守かもしれないよ」  そこでわたしたちは庫裡《くり》にまわってみることにした。  寺の裏側は表側とはうって変わって暗い湿地だった。地面を広範囲にびっしりと埋めた苔の一種が緑色の臥所《ふしど》を作っていた。スプレー缶を握り締めた絵島なつみがひっそりと横たわっていた。  絵島なつみの死に顔はおだやかだった。満足げに微笑《ほほえ》んでさえいるように見えた。彼女はハンドバッグの中に遺書を残していた。淡々とした文章で書かれているその中身は以下のようなものだった。  伯母の絵島郁子並びに椙山英次、三浦良一を殺したのはわたしです。伯母についてはかねてから用意してあった保冷車を使いました。アリバイと犯行時刻の関係は警察がすでに察しをつけているはずです。椙山、三浦殺しについては凶器を置いて逝《ゆ》きます。これも二人の死体を緻密《ちみつ》に調べつくせば犯行の手順がわかるでしょう。ただしあの日登山道でわたしは人に会っていません。わたしを見たという証言は得られないと思いますので、シアン化水素で殺したのは自分だと明言しておきます。  椙山が坂本和幸を自殺を装わせず殺したので、犯人はわたしだと思われているかもしれません。坂本和幸、木下雅敏、赤石真澄、竹内武志の殺害は椙山の分担でした。坂本和幸は例の砒素《ひそ》大量殺人事件の実行犯で、坂本は自分がその犯行を実行する代わりに、ある条件をわたしたちに出しました。彼は自身の病いの特効薬だと信じている癌患者の血肉を得るために、わたしと椙山に誘拐の手助けをしろというのです(もちろんそれは誘拐までで、その後のことは坂本一人の仕業です)。  わたしたちは彼に決断させるためにその条件を呑《の》みましたが、彼の歪《ゆが》んだ欲望と癌細胞への妄信ぶりはエスカレートするばかりだったのです。このままでは坂本の無軌道さから足がつく。それを懸念して彼を殺しました。  坂本殺害の折、自殺を装わせられなかったのは椙山の失策でした。この頃からわたしは彼を仕事のパートナーとして信頼できなくなりました。彼の仕事ぶりについては以前から多少不満があったのです。まず極端すぎる。坂本和幸を取りこむについても、何もあそこまで、本人を不治の早老症だとまで思いこませる必要はなかったのではないかと。それさえしていなければ、後で坂本のマニアックな志向に振り回されることもなかったのです。もともと保冷車は坂本の異常な性癖のために購入されたわけではないのです。  それから木下雅敏、赤石真澄、竹内武志。後で聞くと椙山は各々の現場に捜査の手がかりを残してきていた。木下の時は新聞としゃもじ、さかずき、赤石、竹内の時は神棚の浮世絵と、彼らが待っていた誰かに殺されたとわかる現場の残し方。  仕事に向いていない。それがわたしが椙山を殺害した理由です。もともとの計画では三浦一人を自殺させるつもりだったのです。一人娘があんなことになったうえ、妻と離婚の予定、大学内での評判もよくない。三浦良一には自殺の条件が揃《そろ》いすぎていました。その計画は椙山を有頂天にさせ、これでやっと弟の恨みが晴らせるなどと息巻いていました。石鎚山の山頂で落ち合った後、椙山が逃がさないように相手と自分を手錠でつなぐ。そこまでは計画通りだったはずです。  それから伯母を殺した理由についてはっきりさせておきます。すでにご存じのように彼女がこの時期に死ぬと、わたしの手にはお涙金ほどの遺産も入りません。ですから遺産めあてではないのです。  怨恨《えんこん》、この言葉は趣味ではなく、わたしはそれほど濡《ぬ》れた感情の持ち主でもありません。ですがそれに近い気持ちは彼女に対してあったと思います。  絵島郁子の遠縁に当たるわたしは中学に入る時に引き取られました。同時にわたしは彼女の欲望の道具になったのです。野心家の彼女は自分の事業を築きあげていくためには手段を選びませんでした。わたしは伯母の営業活動に利用されたのです。引き受けることにした目的の一つはそれでした。人身御供。それについて今思いつくのはこの古い言葉しかありません。絵島郁子は自分を汚さずわたしを汚すことでのしあがっていきました。  新海龍之介も彼女の駒の一つでした。わたしは伯母にいわれた通りいつもの仕事を果たしていただけです。この手の相手に対してある時からわたしの感情は鈍麻しています。そうしなければ生きられなかったからです。悲しいとも辛《つら》いとも、反対にある種の屈折した愛情を感じることもありませんでした。  最後にわたしたちの引き起こした犯罪の被害者たちについて思うことがあります。新海龍之介、絵島郁子、木下雅敏、坂本和幸、赤石真澄、竹内武志、三浦良一。欲望の種類はさまざまですがどの人間も醜い我欲でぎらつき、汚れきっています。医師の三浦など椙山の弟への仕打ちを見る限り、研究欲にとりつかれた人間以下の存在です。つまり死んで惜しい人間は一人もいない。  一方、砒素事件の犠牲者三浦紗織さんや、坂本が手にかけた癌患者の若い女性やお年寄りたちはちがいます。この方々を巻き込んでしまった責任は重いとわたしは思いました。それから三浦紗織さん同様、死に至ったかもしれない白土三津子さん、内藤さやかさん、それから日下部先生。この方々たちも犠牲になってはならない人たちです。  将来美容と医療を連結させた施設に君臨するのが伯母の夢でした。わたしはそのために医学部へ入らされたのです。引き取られた時からわたしに夢はありませんでした。わたしに許される精神の自由はなかった。現実に肉体は存在していて、まごうことなき生は維持しているのに、自分の人生をなくして生きていると感じていたのです。精神は冷たい骸《むくろ》にすぎないと。  そんなある日あの人がやってきました。伯母の知り合いだと名乗ったあの人はわたしの空洞化した心を理解してくれたのです。そして自分のために生きることが社会のためにもなる、ひいては人類の幸福にもつながるといって、ある使命の貫徹をわたしに義務づけたのです。これこそ真の生きがいだといって……。それはまず大量殺人の計画からはじまっていました。  そしてわたしは仕事仲間を紹介されました。それが椙山と坂本です。彼らとは早い時期に沖野正通を通じて知りあっていたのです。椙山は沖野との出会いを運命だといい、坂本はこれでやっと自分の進む道がわかった、救世主だといっていました。おそらく彼らもわたしと同じ迷える子羊で、彼の訪問を受け説得されたのだと思うのです。  沖野はいいました。人間一人一人の人生は短い、はかないものだが、どんなつまらない人間も認識と努力次第で、人類の歴史の一部を担うことができると。それが人間として生まれてきた以上持たなければならない、生きる使命であると。  わたしは今も沖野のこの言葉は正しいと信じています。そしてまた彼は、人間に使命があるのだとしたら、それが終わる時も来るのだといいました。生と死は一つだとも。  死ぬべきではない人たちを死に至らしめた罪を負って死を択《えら》ぶこと——これがわたしの最後の使命なのです。  なつみの遺書はここで終わっていた。    二十六 「人を恨み裁いて殺す。そんなことが使命だなどと思いこむのは常軌を逸している。それだけ絵島なつみも椙山英次も孤独だったんでしょうね。人を信じ、愛するという環境と無縁な人たちだった」  遺書を読んだ水野はしんみりといった。 「それより沖野正通だ。やはり彼は生きていた」 「待って。沖野正通はまだ幽霊よ。本人と確認されたわけではない。なつみや椙山たちと連絡をとって操っていたのが、行方不明で死亡が確認されている沖野正通とは限らない。名前を騙《かた》っただけかもしれない」  水野は慎重に言葉を択んだ。 「じゃあ聞くが、三浦良一は何のために浅井記念病院で起きた事件の記事を手帳に忍ばせていたんだ? それから中根揮一郎に瑞穂のルーツを知らせたのは椙山だと思うが、彼はどこでそんな警察も知らないことを知った? さらに赤石、竹内にこれを洩《も》らし中根を脅迫させて自滅させた後、彼らを殺した真の理由は?」  わたしは反撃した。 「たしかにね。このままでは砒素混入事件の被害者の連続殺人と吸血鬼坂本、彼を操った椙山となつみ、この図式で事件は解決ということになる。中根揮一郎の一家皆殺しと結ぶことは不可能」 「納得できないね」  わたしは自分でも意外なほど強い声音になっていた。  東京の自宅に帰ると待っていたのは椙山英次からの手紙だった。山野書房の同僚が彼のデスクの引き出しを整理していてみつけたと届けてくれたのだ。手紙には以下のようにあった。  この手紙をあなたに遺す理由は二つあります。一つは一緒に使命を果たしている絵島なつみが、わたしの仕事ぶりに不審を抱いているからです。いずれわたしはプロジェクトの障害物として消去されるはずです。ごく近いことのような気がします。  なつみが抱いている不審、わたしが完全犯罪を目ざさず、証拠の品を現場に放置したり、坂本を自殺と見せかけなかったことには理由があります。  わたしはあなたにこの事件の謎《なぞ》を解いてもらいたかったのです。それであんなことを続けてきたのです。  あなたならわたしが遺した手がかりで、必ず事件の真相に行き当たると確信していました。あなたはもう薄々感じておられることと思いますが、この事件は単なる利得絡みのものでも、わたしの三浦医師への感情、あるいはなつみの伯母郁子への怒りといった怨恨に浸されきったものでもないのです。  わたしたちの犯した殺人の意図はこの国の未来に関わる、時間空間を超えた正しい選択だったのだということを、ぜひ理解してあなたの言葉で世間に公表してほしいのです。  これがいずれ殺されるであろうわたしの最後の願いです。  それからわたしはもう自分の命を惜しいとは思っていません。それには、使命に殉じる気持ちもありますが、殺人の罪は相手がどういう人物であれ、自分の命であがなうべきだと考えているからです。  もっともこれは実感なのでしょう。  坂本のような快楽的な殺人常習者にわたしはなりたくありません。彼については仕事に協力させるために猟奇の本能をくすぐってそそのかしておきながら、おぞましさのあまり抹殺したいと願っていたからです。しかしいざ実行してみると、ホッとするのと同時に自分へのおぞましさでいっぱいになりました。これは慣れるだろう、と感じたからです。いずれ殺す行為が快楽になりかねないと。あるいは弟の宿敵三浦良一への殺意も、純粋な恨みによるものだろうかという疑いが頭をもたげてきたのです。  最後にあなたに手紙を遺す理由について、少し修正する必要がでてきました。わたしはなつみに殺されるだろうと予見していますが、仮にそうならなくても、この手紙があなたの元に届くのは時間の問題です。もちろん遺書として……。  手紙を読み終わったわたしは東京駅で別れた水野に連絡を入れ、文面をファックスで流した。 「心配だわ」  受話器の向こうの水野はめずらしくため息まじりでいった。 「あなたのことよ」 「ぼくのこと?」 「だってこの椙山英次の遺した手紙はかなりのものよ。半ばあなたを同志だと見込んでいる」 「まさか。ぼくは洗脳されないよ」 「黙っていようかと思ったけどいうわ。沖野正通なる存在が実在せずに、名前だけ使われているとして、考えられる敵の正体について。手ごわい相手よ。まずは組織絡みね。しかも今のところ目的が観念的すぎて、突きとめることがむずかしい……。宗教団体の線だと特殊な法人法がまだあるからなおさら捜査は困難。いい? これは警告なのよ。くれぐれも深入りはしないで。勝手に動きまわるのはやめてね」  と釘《くぎ》をさしてから、 「はじめたからには最後まで忠告を続けるわ。自殺した絵島なつみの件。あなたはたぶん彼女が気になっていたと思うわ。ちらっと京都で見ただけだったけどぴんと来たの。あなたの趣味よ。彼女は医学部のエリート、一見非の打ちどころのない現代京美人。でも漂わせている大人のムードに無理があった。悲しみを抱いた強がり。そんな印象を受けたのよ。そんな女性に救いの手をさしのべたいのがあなたでしょ。ちょっと時代がかったナイト変身願望。つまり彼女の死はあなたのトラウマになるんじゃないかと案じているの。どうして救えなかったのかというね。あなたはそういう人よ」  といった。  無言で電話を切ったわたしは、なぜなつみに惹かれたかの答えを出していた。わたしは彼女が大輪の白バラだったから惹かれたのではなかった。  時にスズランの芳香のようだと感じられた彼女の精神性、それは死に方そのものにも表われていたが、それだけではなかった。強さの内に潜む脆《もろ》さ、誰かの胸に飛び込んで行って思いきり泣きたい、そんな思いを感じとっていたからだった。  わたしは彼女の悲しみに気がついていたのだ。わたしは彼女が悲しみを秘めていたがゆえに、彼女に惹かれたのかもしれなかった。  だがわたしは彼女を救えなかった。彼女はわたしに出会う前に、すでに沖野正通なる不可解な人物に囚われてしまっていたからだ。  わたしは水野が指摘したように自分を責めようとは思わなかった。その代わりこの事件の真相は、沖野正通の存在も含めて徹底的に知ろうと決意していた。そうするしかわたしには、自分の負ったトラウマを解消させることができそうになかった。  眠れない毎日が続いた。そんなある夜、このところたえてなかったことだが、実家から電話がかかってきた。電話をかけてきた叔母にひとしきり夏休みの日程を話した。少なくともこの事件が落ち着くまでは帰省する気はなかった。 「姉さんもきっとそうなるだろうって」  叔母がいった。 「きっとそうなる?」  多少神経がいらついていたのだろう。わたしは彼女の言葉尻をとらえた。 「覚えているでしょ、ゴールデンウィークに姉さんが魔除《まよ》けに植えた植物。あれらが残らず枯れたのよ。ナナカマド、エゾノウワミズザクラ、エンジュ。最後に残ったのがイケマ。それも今日の朝枯れていた。土が合わないのかしらね。めだって元気なのは行者にんにくだけよ。茂って困るわ。次から次へ新芽が出てくる。イケマが枯れてから姉さんはずっと祈りっぱなし。それで心配になって」  わたしに電話をかけてきたというわけだった。 「母さんは何かいってる?」 「やっぱりまにあわなかったって」 「たしかそれらの植物を植えた時に、もうまにあわないかもしれないといっていたね」 「そうだったわ。それから言葉じゃないけど、熱にうかされたようになって地図を書いたの。これを東京の遼ちゃんにって。その時、これが片付くまで遼は帰ってこないだろうといったのよ」 「どこの地図?」 「今ファックスで送るわ」  そこで電話は切れた。  送られてきた地図には北海道の輪郭がごく粗く書かれていた。それだけのもので、どう見ても特に意味があるとは思えなかった。  それから眠れないのを覚悟でベッドに横になり、気がついてみると数分まどろんでいた。  夢を見ていたのだ。  落葉や折れた小枝の詰まった土の上一面に行者ニンニクが群生していた。ここは森の中だと思う。特徴のある細長く円い葉が次々に新芽を出して猛烈な勢いで伸びていく。そばにいるのは死んだ椙山だった。愉快そうに犬歯をのぞかせて笑っている。  電話が鳴った。水野からだった。 「白土三津子から警察に保護してほしいという要請があったのよ。無理もないわ。あの時の被害者十人のうち、生きているのはあなたと彼女、それに内藤さやかの三人だけだもの。内藤さやかの方は木下雅敏が殺された時にそう感じて騒いだけれど、今回は静かにしている。白土三津子は不安になったのね。警察では事件は落着したものと見做しているわ。でも」 「沖野正通かまたは彼を名乗る犯罪組織が、連続殺人を貫徹したがっているかどうかが気にかかる?」 「まあ、そうよ」 「それはわからない。でも確かめたいとは思う。白土三津子と話させてくれないか。電話番号を教えてほしい」 「わかったわ」  そこでわたしは深夜ではあったが彼女に電話をかけた。まずは自分も残る被害者の一人だと話す。 「わたし恐くて」  開口一番相手はいった。怯《おび》えているのだろう。声が細くなっている。 「わかります」 「このままでいくと事件は解決して捜査は打ち切られるんでしょう? でも何だかわたしそれだけではすまない気がして。第一、犯人がどうしてわたしたちを選んで殺そうとしたのか、まるでわかっていない」  普段の白土三津子は客観的で冷静な判断力の持ち主のようだった。 「あなたの郷里は富山でしたね」 「ええ。代々の薬屋です」 「明日、富山に行きます。そこでこれからの我々の運命が見えてくるかもしれない。あなたのおうちの方を誰か紹介してくれませんか。聞きたい話があるんです」 「わかりました。父に電話しておきます。どうかよろしくお願いします」  次の日の朝、わたしは羽田から富山に発《た》った。水野には連絡しなかった。心配をかけたくなかったし、これは絵島なつみ探しよりも、より個人的なものだとわたしは思ったからだ。それに警察が出動する機会がまるでない可能性も想定できた。  空港からわたしはまっすぐ市内の白土家へ向かった。三津子の父親には着くのは昼頃になるだろうと伝えてある。  梅雨はとっくに明けたはずなのに雨が降っていた。そのせいで行く手に連なっているはずの立山連峰が見えなかった。厚い雲が深くたれこめている。  道幅が広いのは戦災にあったせいだろう。だが町全体が舗装の行き届いたぴかぴかした道路とはうらはらに、賑《にぎ》わいを拒否しているかのように見える。静かに眠っているような町だった。  初老のタクシーの運転手は住人の気質が生真面目だからだと説明してくれた。働き者が多いという。それから日曜日、近くの医科大学の薬草園に妻と見学に行った話をつけ加えた。そうしたら家の庭にあるものが多かったとも。どの家もきっとそうですよと彼はいった。途中、漢方名の製薬の看板をいくつも目にした。  富山藩における領主をあげての製薬、売薬の歴史は長く、はじまったのは一六〇〇年代。一七〇〇年代には全国に規模を広げこの藩の中心産業になっていた。  メインストリートにある白土三津子の家は近代的な漢方薬局で一階は売店、二階は薬膳《やくぜん》レストランになっている。  レストランの中は趣味のいい和洋折衷のインテリアが目立っている。どくだみ他の野草ブレンド茶と並んでハーブティー各種が袋のまま飾られている。メニューを広げると、よもぎあんみつまたはサフラン風味のシフォンケーキが本日のデザートになっていた。  親戚筋《しんせきすじ》と思われる私服の若い女性にさきに昼食をと勧められた。前もって娘の三津子から電話がいっていたからだろう、今日の今日であるにもかかわらず、父親の応対は丁寧で、ぜひ昼時にいらしてくださいといってくれていたのだ。普通は遠慮する筋ではあったが、薬膳レストランと聞いて辞退の言葉が出なかった。こんな時でもわたしは十分食いしん坊なのである。きっと水野も同じだろう。それに�日本人の薬膳�を上梓《じようし》する話はまだ立ち消えになっていない。  わたしは案内された席に座って昼の薬膳懐石を堪能した。一口の野草酒にはじまり、前菜はアスパラとタンポポのゼリー、煮物は緑豆入り冬瓜《とうがん》の炊き合わせ、和物《あえもの》はこの地でとれる白海老《しろえび》とタコのクコの実ソース、揚げ物は野草の天ぷら、椀物《わんもの》は高麗人参《こうらいにんじん》と鶏団子のスープ。最後の山菜おこわは黒米で、目と鼻の先のテーブルにセッティングされた蒸し器で生米から蒸し上げてくれた。 「どうでしたかな。お味の方は?」  デザートは洋風を選んで、レモンバーベナティーとサフランケーキを楽しんでいると白土三津子の父親が現われた。  年の頃は五十代半ば。大島紬《おおしまつむぎ》と思われる渋い色の作務衣《さむえ》を身につけている。闘士型の体格でがっちりしている。角型の顔は大きくいかついが丸い眼鏡の下は温和な父親の顔だった。 「もみじの葉の姿揚げと黒米には感激しましたが、病みつきになりそうなのは高麗人参と鶏団子の取り合わせですね。ほのかな薬臭さが鶏のひき肉を甘く仕上げている」  わたしはまず料理の感想を口にした。 「夜でないのが残念でした。ここから少し離れた場所で料亭もやっているんですが、そこでは今、蠍《さそり》の空揚げを出しています。食用の蠍は沢蟹《さわがに》程度の大きさで中国から直送してもらっています。元気がつくと好評ですよ。ただし妊婦さんにはいけません」  そこで彼は動植物の微量の毒について、その摩訶不思議《まかふしぎ》な効用を力説した。 「これにはもちろん摂取する側の健康状態のチェックが必要です。いわゆる毒にも薬にもなるというのはこのことなんですよ」  一方、 「娘があんなことに巻き込まれて何とも心配で。それにしても悔やまれるのはうちに来たダイコンパーティーの招待状を、欲しいといわれるままに東京の娘に送ったことですよ。あのままほかしておけばよかった」  案じる父親の口調は愚痴めいていた。 「招待状が送られてきた根拠みたいなものはおありでしたか?」 「何も。ただうちはこんなことをやってますからね。県のどなたかが推薦でもされてそれで送られてきた。その程度に理解しました」 「薬のお仕事の方はお長い?」 「もちろん。そもそもこちらが本業ですから。レストランは遊び心の産物です。薬屋はわたしで十二代を数えます」  相手は誇らしげにいった。 「富山県と製薬業の話を少ししてください」 「何といってもここは薬の町です。雪深い北陸で何か強力な産業を興したいという、領主、領民の悲願のたまものとしてここの製薬、売薬業は起こりました。まさか今の方が反魂丹《はんごんたん》をご存じということはありませんよね」 「勉強不足で」  わたしは頭を垂れた。 「反魂丹の意味ですが、反魂は魂を吹き返すこと、丹は練り物。万病に効く丸薬というわけです。これを作ったのは二代藩主|前田正甫《まえだまさとし》と薬屋松井屋源右衛門です。三世紀近くもベストセラー商品であり続けたものですが、残念ながら今はもう江戸時代の反魂丹を復元することはできません。できるのはせいぜい明治期のものまでです」 「江戸時代の反魂丹には、明治以降の薬事法では許可されない成分が入っていたとは考えられませんか?」  わたしは聞いてみた。 「当時の薬屋は現代の薬剤師や医師よりも、大きな権限と豊富な知識を持っていましたからね。後世になって江戸時代の反魂丹ができなくなったのは、煮るとか半焼きにするとかの加工が複雑だからといわれていますが、どうにも腑《ふ》に落ちません。とにかく彼らは秘密主義だった。これは確かです。それと藩を挙げての薬草採取へのあくなき情熱」  そこでわたしはさっきの運転手の話をしてみた。庭でそれと知らずに薬用植物を育てている人たち——。 「そうでしょう。長い歴史に培われたものですよ。それと一度根づいた植物は生命力が強いですからね。ここの人間を他県の連中はよく重い、暗いといいますが、庭に植えた植物を通して常に遠い祖先と対話しているからなんですよ。常に勤勉で思慮深い」  そこで白土三津子の父親は誇らしげに胸を張った。それから、 「もちろんこうした背景にはひとつ、立山の自然があります。人々は立山のブナの森からさまざまなことを学んだ。生薬になるキハダや熊胆《くまのい》を得た。生食できるブナの実は飢饉《ききん》の時の貴重な栄養補給になったはずです。ここの人々は山の恵みに目を開かされ、生かされてきたともいえます。もっとも山がちのこの国では、どの地方でも同じようなものだったでしょうが」  とやや謙遜《けんそん》を装った。それから、 「そうそう、藩主の中には大変な薬草学者もいました。十代藩主の前田利保《としやす》です。富山藩内と江戸付近で採取した薬草についての著作があります。大作です」 「当時藩主は江戸屋敷と国元を往復していたわけですね。ということは、その著作のもとになった記録や資料を収集していた大勢の側近が、江戸と国元両方にいたということになります」 「中に薬種問屋の次男坊あたりが混じっていたかもしれません。わたしの祖先もその一人かも。とにかく薬はこの藩の命綱でしたからね。新薬開発には命を張って効能を試すぐらいの気構えがないとだめだと、よく曾祖父《そうそふ》にいわれたと父がいっていたのを覚えています。ここの薬種商人は一種武士道を極めたようなところがありますよ」 「藩起こしに製薬、売薬を思いついたきっかけはやはり立山信仰ですか?」  立山にある白木峰は役行者を開祖とする修験の山であった。伊豆大島に流された役行者が許されて戻る途中に越中を通り、この地を修験場に定めたという。 「ああ役行者の腹薬ね」  相手はわずかに微笑んだ。 「陀羅尼助《だらにすけ》といいます。キハダの木の皮やセンブリの根を煮つめて作る。これはある寺院から売り出されて全国に広まりました。陀羅尼助に限らずどの薬も寺の霊薬として発売されています」 「つまり富山の薬は宗教と結びついていたわけですか?」 「医学や薬学の新知識は大陸から仏教と一緒に入ってきました。とはいえ医者にかかることができたのは、貴族、高僧、大名や大商人など一部の富める人たちだけでした。大部分の人たちは医療とは無縁な生涯を送った。この地方の村に伝わるおまじないの歌というのがあります。どんなものだと思います?」 「迷信ですか?」 「近いですね。やけど、できもの、喉《のど》に骨が刺さった時、それぞれ別個に呪文が存在しています。三度歌うと治るという。興味深いのはその中に仏教の簡単な経文が引用されていたり、まむしやワラビなどの薬効ある動植物の名が出てくることなんです」 「神仏にすがるだけではなく、現実的な民間療法も工夫されていたということですね」 「ええ、この下地がなければ、立山信仰の布教者であった御師《おし》も存在できなかったと思うんですよ。宗徒である彼らは護符といわれるお札や、病気除けの死者に着せる経帷子《きようかたびら》を配って生活していました。その際長旅を案じてミヤマリンドウの根や加工したよもぎ、熊胆などを携帯していました。これを世話になった旅宿に寄付していったところ、その地方で引っ張りだこになった。一方御師の布教の仕事は立山まんだらといわれる、地獄の苦しみと仏の救いを示す絵を見せて信仰に誘うのが目的でした。そのまんだらの中には薬草が描かれているものもあります。まさに宗教という観念的な精神世界と、現実のご利益《りやく》との融合の形がここにある。こうして江戸時代、立山信仰の檀那場《だんなば》は、北海道と九州、山陰の一部を除く全国に及んでいったのです」  そこまで話すと白土薬局の主人はほっと息をついた。そして、 「とりとめもないお話ばかりでお聞き苦しかったでしょう。どうです? 金岡邸に行かれては? そこは今、薬博物館になっていますから、きっとお役にたつことが見つかると思います」  といった。  それからまた、 「ほんとうに事件は終わったのでしょうか? 家内など心配で夜もろくろく寝られないとこぼしています」  といって不安げな顔になった。  わたしは十五分ほど予約のタクシーを待った。現われたタクシーは一度Uターンのために歩道に乗り入れてから、乗車席のドアを開いた。今度の運転手は若い女性でわたしが金岡邸に行くというと、庭で栽培しているターメリック、彼女は和名でウコンといったが、その効能について話してくれた。ウコンは彼女の酒飲みの父親の肝機能障害に効いたという。  薬博物館である金岡邸は古い木造の二階家だった。商店というよりも人家といった方が適しているかもしれない。  この手の日本の建築物の例にもれず中は暗い。玄関を入ったとたん、商家の奉公人のなりをした蝋《ろう》人形数体に出迎えられた。帳場で働いている姿だが、背にしている壁には膨大な種類の薬を収めた薬棚が連なっている。  今の時代に作られた蝋人形たちの顔はどれも、わたしに似た西洋的なつくりで現実味が薄い。そこで彼らの顔を時代劇に出てくるような肉厚な顔にすりかえてみた。すると即座に、彼らが手にしていた製薬のためのグッズ、木製の製丸器やおろし板などが動きはじめるかのような錯覚に陥った。薬棚を開け閉めする活気のある音を聞いたような気がした。  順路に従って歩きはじめた。  鹿の角の鹿茸《ろくじよう》、猿の頭、熊の胆など植物以外のめずらしい薬の原料を興味深く見ていった。中国薬膳で盛んに使われるつばめの巣やすっぽん、亀の類《たぐ》いもあった。  階段で二階に上がるとそこには富山の製薬、売薬の歴史についての説明がされていた。ガラスのケースに古文書が収められている。『万香園視花壇綱目』『本草通串証図《ほんぞうつうかんしようず》』など。どれもさっき教えられた前田利保の著作である。  ケースから離れて順路を右に折れると、左上の壁に視線が吸い寄せられる。  北海道の地図が模造紙に描かれている。道内がくまなく富山、滋賀、東京、香川、奈良、大阪の地名で埋めつくされている。しかし札幌、川上、空知、紋別などで圧倒的にその数が多いのは富山の名であった。  下に「昭和十七年、戦時下の販売規制時の置き薬状況」と書かれている。置き薬とは業者が薬の箱を各家庭に置いてまわる売薬システム。消費者は使用分だけを請求に来た業者に支払う。戦時下では外国から薬が入って来ず、日本全国に置き薬の漢方薬が出回ったのである。その一例として、北海道がとりあげられている。また地図の右手に貼られた紙には、富山以外の場所、滋賀、東京、大阪なども実は元を辿れば富山と関係が深く、全国に出掛けていった富山の薬売りが各地に住み着いて製薬、売薬業を興した例が多いと書かれていた。  何かが頭の中で炸裂《さくれつ》した。しかしまだその明確な形はつかめそうにない。  それで夢中で横にある説明文を読んだ。富山の薬商人たちは商品となる製薬に命がけだったが、同時に商売にも心を砕き続けた。サービスである。彼らの商法は御師同様後払い方式。一年後に使った分だけ払う置き薬の配布の際、さまざまな心づくしの品を持参したという。  そこまで読んでわたしはあっと声を出した。突進するように次の展示場に進んだ。  くらくらとめまいがするようだった。赤石真澄と竹内武志の殺害現場にあった浮世絵が、何枚となくガラスケースに入れられ壁いっぱいに張り出されている。薬売りが置き薬をする際の売薬版画だと説明されていた。  陳列棚にあるのは紙風船にぬり箸《ばし》、ぬい針などに混じってしゃもじ、さかずき。それらはあの木下雅敏の家に、代々伝えられていたものと寸分ちがわないように見えた。お土産は売り上げの五パーセントほどだったと書かれている。  わたしは急いで階段をかけおり外に出た。携帯を取り出して椎名一郎に電話をかける。 「先生のご先祖は富山の人ではありませんか?」  わたしは挨拶を省略し息せききって聞いた。 「そのようなんだ。どうも母方がそうらしい。だが親戚とはつきあっていないよ。第一、富山に親戚もいない。そういえば奇妙な縁でね、あの絵島さんも椙山君もどうやらそうらしいといっていたのを聞いたことがある」  椎名は昼寝をしていたところだといったが、相変わらず元気と好奇心を持て余しているのだろう。迷惑そうではない陽気な声で答えてくれた。 「もしかして中根揮一郎さんもそうだったんじゃないですか?」  わたしは彼が墓を高知ではなく、富山の高岡に作ったという話を思い出していた。手短にその話をしてみた。 「君の話を聞く限り、その可能性もなくはないと思う」  それから椎名はわたしが今何のためにここにいるか、何が知りたいかを知りたがった。わたしは仕方なくこの流れを説明した。 「すると君はそこに沖野という黒幕がいると考えるわけか」  故人であるはずの沖野の存在をすぐに信じてくれたのはいかにも椎名らしかった。 「立山、役行者、薬の聖地、ちがいますか?」  それから椙山が行者にんにくをよく知っていたこと、夢に出てきたこともつけ加えた。 「行者にんにくは北の植物ですからね」 「行者にんにくなら東北がメッカじゃないのかな。それにわたしがその黒幕なら富山には潜まない。たしかに富山は伝統ある製薬、売薬の城下町だが商売、商人といったイメージがある。相手は謙遜ではなく、限りなく自分自身を過大評価している御仁だろう? そういう人物は立山と富山程度では妥協しない。立山の一角を役行者が開いたという伝説では物足りない。彼は役行者を超えたいと念じているのではないか? それにはもっと大きな大義名分が必要だ。そして彼はそれを望んでいる。よく考えてみたまえ。きっと答えは出る」  椎名の電話はそこで切れた。    二十七  急遽《きゆうきよ》わたしは富山市内に一泊することにした。翌朝始発の北陸本線で新潟まで出て羽越本線に乗り換え、鶴岡《つるおか》をめざした。鶴岡の駅前から七月から九月の間だけ運行するバスに乗った。行き先は羽黒山山頂と月山八合目である。バスの乗客は白装束の人たちが多かった。子供連れが多かった。小さな子供が法被《はつぴ》のように白装束をまといつけているのは可愛《かわい》らしい。大きなトランクを転がしている西洋人の夫婦もいた。  昨夜まで続いた雨は上がって、天が見えるのではないかと思われるほど青い夏空が広がっている。外気は熱いが蒸れてはいない。さわやかな暑さだった。  羽黒山山頂に行き着く手前で有名な五重塔を見た。荘厳である。金属ではなく木でできているせいでなおさらそう思えるのかもしれない。  標高四三六メートルの羽黒山山頂は三神合祀殿になっている。月山と湯殿山は冬場は雪が多く参拝が不可能になるため、ここへ参れば三山に詣《もう》でたことになるという方便である。またここには出羽三山を開山した崇峻《すしゆん》天皇の皇子、蜂子《はちこ》皇子の墓がある。そのため現在でも出羽三山には宮内庁の援助があると聞いた。  たしかに雪深い東北の神社とは思えない壮大さである。能舞台に似た社殿。華やかな鬼を連想させる。あるいは闊達《かつたつ》この上ない天狗のすみかのようにも思われた。京都でもこれだけ潤沢に経費がかけられている寺社は少ないのではないだろうか? これは来てみなければわからないとわたしは思った。少なくともテレビや絵はがきではわからない。東北というとそれだけでひなびた地味な印象でとらえられる。  山頂からまたバスに乗り、月山八合目に向かった。羽黒山、月山、湯殿山の三山は峰つづきで行き来することができる。その昔修験者たちは頻繁に行き来したという。標高一九八〇メートルの月山をのぞいて羽黒山、湯殿山は小高い丘といった方がふさわしく、修行者たちは修行のために行き来するというよりも、日々の糧である山菜や薬草などの収集のためにこの豊かな山々を渡り歩いたようだ。バスの車窓から見える風景は常に草木に占められている。通路をはさんで隣りの席のキャンパーらしい若い二人連れが、月山はこの季節、味噌《みそ》と鍋《なべ》さえ持ってくれば何日でも凌《しの》げるという話をしていた。  八合目は終点である。山頂へと続く遊歩道へ足を向けた。湿地帯に渡してある木の板を踏んで登っていく。仲間は登山杖を使う白装束の人たちだけになっていた。さすがに子供の姿はない。  月山の頂上で下界を見た。日本海と庄内平野が一望できた。青と緑のコントラストが陽の光の中に輝いている。白く無機的な建物の塊はそう多くない。小さく動いている点はここの名産である庄内牛だった。のどかな田園風景そのもの。白装束の一人が、向かいあって見えているのは鳥海山だと教えてくれた。限りなく山の優しさを感じた。川の流れる野があり海がある。各々の恵みがある。そしてその源には山があるのだと。  月山山頂から登ってきた方向とは反対の中腹へと降りていく。中腹には出羽三山の奥の院があった。白装束の参拝者がめざしているのはここ、湯殿山神社である。  仙人沢といわれた修行場が見えてきた。ここは冬場十メートル以上の積雪があり、修行者たちはそれに耐えて修行し続けたという。とはいえ今はバスの発着場と駐車場をかねたレストハウスしかない。仙人沢で指定された神社行きのバスに乗り換えた。狭い山道をジグザグと進んで降ろされる。ここからご神体のある場所までは徒歩だといわれた。  階段を登り降りして霊湯が湧き出ている岩の近くまで来た。夏の午後の光がやっと少し弱まりはじめていた。午後五時五十七分。  湯殿山神社には社殿はなく、このご神体が社殿をかねるものだという説明を聞いた。羽黒山神社の職員と思われる人たちが参拝者を誘導している。岩陰を利用した待合室があってそこで靴を脱ぎ、裸足《はだし》になってご神体のある場所まで順路を歩くようにいわれた。もちろんその際参拝料も徴収される。  ご神体の霊岩に続く小道には撮影禁止のただし書きが掲げられている。  止むことなく湯が湧き出ている大岩の前に、カーキ色の作業服姿の男が立っている。両手を後ろに組んだまま不動の姿勢だ。 「夏目さん、あなたでしたね」  わたしは声をかけた。 「やあ」  夏目四郎、沖野正通は振り返った。 「この岩は女性が出産する時の姿だといわれています。ご存じでしたか?」  相変わらずおだやかなまなざしで微笑し、わずかに白い歯がこぼれた。そして、 「それよりここがよくわかりましたね、と申し上げるべきでしょうか?」  と質問を投げてきた。 「役行者が鴨一族の出身で、鴨氏が日本最古の王室だとすると、あなたはそれに匹敵する大義を選ぶはずだと考えたのです。皇族が開山した修験の山で思いつくのはここしかありませんでした」  わたしは答えた。 「それは組織の意志です。わたしはおのが野望のために役行者を超えようと考えているわけではありません。わたし個人は闇《やみ》からの一使者にすぎません」  相手は静かな声でいった。続ける。 「わたしが医学者沖野正通の存在を自分の手で葬ったのは昭和四十四年、学園紛争盛んなりし頃でした。あの時わたしにはすでに近未来が見えていました。騒ぎの後にくるのが科学万能と利得主義の欲望の時代だとわかっていました。医師としてあるべき倫理までも物質主義に潰《つぶ》されてしまうと。学園紛争それ自体にも懐疑的でした。何かとてつもなく大きな、次の時代の支配をねらっている、見えない権力に踊らされているのではないかと感じたからです。暴動まがいの行動をとる学生たちは忍びよる権力の駒ではないかと」 「あなたは隠れ、三浦良一は露出することに決めた。この役割分担は?」 「活動家だった三浦とはしばしば意見の衝突が未来についてあった。彼は熱血漢そのもので現実の社会に理想を追うタイプだったからです。自分の力を個人の情熱や意志を過信していました。だが一抹の危惧《きぐ》はあった。そこでわたしが隠れることには賛成してくれました。今わたしが属している組織にも好意的で、追って彼も入った。もともとこの日本には誰もがこれだけだと信じている光の世界、新聞が書くことのできる社会とそうではない暗黒の闇世界とがあるのですよ」 「そしてあなたの恩師浅井一也はそこに属していた」 「そうです。わたしは彼を通じて、正確には浅井記念病院の前身である陽明会を通じてその闇の世界を知りました。そしていつしか深い共感を覚えるようになっていたのです」 「あなたが闇に同化し三浦良一が光を生きるようにしたのは、いざとなった時のためですね。それで彼はまにあわせの北海道の死体をあなただと証言した。あの砒素による大量殺人が起きた時、すでに彼はあなたが動きはじめたことに気がついていた。毒殺は紗織さんではなく自分に向けられたメッセージであることもね。だから彼は石鎚山に前から気になっていた、二年前の研修医たちが転落死した事件の切り抜きを持っていった。彼はあの時椙山にではなく、あなたに会うつもりだった。彼はおそらくここ何年間かあなたがたの組織からこれという指令を受けていなかった。それで研修医たちを殺し、大量殺人まで仕組むのは何の目的なのか、問い質《ただ》すつもりだった。ちがいますか? わたしも聞きたいですね。加えて何のために椙山英次や絵島なつみを使ったのか、中根揮一郎に家族を惨殺させたのか、彼らに犯させた殺人の真の動機について聞きたいものですね」  わたしは知らずと感情がたかぶり詰問調になっていた。 「すべてはある均衡を保つためです」  彼はまずそういった。 「わかりやすい例で説明しましょう。例えば福山の陽明会病院は浅井一也の死後、彼の所有であることがわかったとされています。遺言である医療法人に寄付されたとも。これは真実ではないのです。当時陽明会は闇の組織の一翼でその存在を隠蔽《いんぺい》するために現実が塗り替えられただけのことです。断わっておきますが、寄付を受けた医療法人のメンバーと闇の組織はいっさい無縁です」 「やはり遺言で、絵島郁子の会社がそっくり寄付された東北の食品会社はそうでもないはずです」  わたしは真相をいい当てたつもりだった。だが彼は落ち着いていた。 「直接的にはね。でもそのうちにどこを調べてもぼろが出ないよう、現実が操作されるはずです。闇はこうして長い間光をサポートしてきたのですから」 「当初のねらいはマスコミを通じて名声を追いかけ、寄付を渋っていた絵島郁子を抹殺する意図だった? それと富山の薬売りを祖先に持つ者たちとの関わりは何なんです?」  わたしは水を向けた。 「わたしたちの組織には強大な古代国家ケルト王国のように、口承による過去帳が存在します。ただし何人《なんぴと》もこの全容を知ることはできません。そしてこうした過去帳に語り継がれてきた特定の人物たちは、闇を背負って生きてきたものたちなのです。相応の人生を送る義務がある。分をわきまえない言動は光と闇のバランスを崩すもとなのです。闇は出すぎてはいけない。恩師浅井一也も研究成果に光を当てようとして闇の裁きを受けた。新聞に取り上げられてから彼のもとに援助を申し出る海外の企業が殺到したのです。だからやむをえなかった」 「山の薬草などから学んだ日本独自の伝統的な医療に光が当てられる。西洋医学では治らなかった病気が治る可能性が出てくる。それのどこがいけないんです? なぜあなた方はそれを阻止しなければならない?」  わたしは疑問をぶつけた。 「絵島郁子は死後の寄付まで渋っていたわけではありません。彼女が成功できたのは金融関係などに闇の組織の協力があったからですしね。また中根揮一郎が闇組織の存在を露呈させるとも思ってはいませんでした。問題は存在そのものでした。存在それ自体が抹殺の対象になった。わたしたちは彼女があのような会社と方針、自身の生き方を晒《さら》し続けることに不安を覚えるようになっていました。彼女を候補者に担ぎあげかねない政党なども出てきていました。彼女は光と同一視されはじめた。これは闇を生きる本分から外れた生き方です。この情報化時代ならではの最たる弊害ですね。わたしたちは長く続いた日本人の精神史、中でも互助の精神を日本人の最も尊いスピリッツだと思っているのです。しかしこの現代、彼女をこのまま放置するならば、あの果てしない我欲がブラウン管をかけめぐり、やがて多くの人たちの心を蝕《むしば》んでいくとわたしたちは危惧しました。日本人の助け合いの歴史をすさまじい我欲の歴史に塗り替えていく。スケールは小さいが新海龍之介、赤石真澄、竹内武志も同じようなものだったはずです。それから浅井資料室目当てに好奇心にかられてやってきた彼らもね。酒と一緒に飲むといい思いができる、心配はないと偽って転落死させた彼らのことですよ。あれは資料室の全面閉鎖が目的でしたが、彼らを殺害したことに呵責《かしやく》は覚えていません」  そこで沖野は軽く息をついてから、 「生きている三浦に会って抗議を受けたとしても、わたしは今と同じことをいったはずです。いやしくも彼は医学部の教授の職にありながら、直接の教え子ではないにしろ、この程度の医学生しか育成してこられなかったのは先人として罪深いことです」  と続けた。 「しかし中根揮一郎一家は彼らとはちがう」  わたしは反論した。 「中根揮一郎一家については証拠の湮滅《いんめつ》が目的です。特殊な体質を遺伝させているかもしれない彼と妻、そして子供、お手伝いの身体が調べられるようなことがあってはならない。それで彼の妻が神の木村のタユウの縁につながることを椙山から伝えさせました。赤石、竹内にも伝えて実直な中根を追い詰めた。しかしこれは悲劇ではない。闇に殉じたのは彼の本望だったと思います。かつて神の木村では癌死《がんし》は招かれざる客ではなく、原始共同体の絆《きずな》そのもので、命を次代に託する希望に等しかった。その美しい奇跡は永遠に帳《とばり》に包まれていなければなりません。個は滅びることがあっても正しい種さえ受け継がれていけばいいのですから」 「椙山の私怨《しえん》を操って、三浦良一を殺させた理由は?」 「光の中での彼の務めは終わったと判断したからです。生き続ければ必ず彼の理想と相反することになる。大学や学会内で足の引っ張りあいが、熾烈《しれつ》になってきたというのもその証《あか》しです。今後臓器移植が産業化するのは目に見えているし、そうなればこれ一筋に生きてきた彼は商業主義の駒と化するだけでしょう」 「坂本和幸も闇に関わる人間だったんですか?」 「ええ。彼の五代前の祖先は浅井一也が大成させる前の薬草学の口承が仕事でした。もっともこうした口承は必ずしも子孫に伝授されるとはかぎりません。現在この仕事は坂本家とは縁がありません。ある人物が請け負っていますが、資料室から浅井一也が残した標本の覚え書きが消失したのはこのためです。あれら薬草、毒草についての前代未聞の研究はわたしたち闇の采配《さいはい》のもとに存在するべきものなのです。そしてわたしたちは常に闇に命じられるままに、個という歴史の点を生きるだけなのです。失礼、坂本和幸の話でしたね。なぜか坂本はわたしたちの存在を知っていたようでした。迂闊《うかつ》な彼の祖先が書き置いたためかもわかりません。ですから、どのみち彼は抹殺しなければと思っていました」 「一つ質問があります。あなたは自分が闇の住人だという。この日本にはあなたのように闇を生きる面々が相当数、しかも代々存在するという。それなら光に住む人たちとはいったいどういう人たちなんです? 天皇家ですか? 代々の政治家の家系?」  わたしは思いきって聞いた。 「その昔この国は光と闇が明確だった。部族間の戦いに敗れた人たちや、疫病などで村八分にされた人たちが闇の共同体を作った。光は政《まつりごと》を担う体制に象徴された。しかし今では事態はそう単純ではなくなってきている。闇は光で光は闇にもなる。わたしにできる説明はこの程度のものです」 「現代の日本の闇の部分は伝統で、光の部分は西洋文明といいかえられます?」 「まちがってはいないでしょう。特に医学などについてはそう言い切れるかもしれません。これはわたしの意見にすぎませんが、今回のような闇の裁きは少しも手ごわくなくなった、弱体化した光への抗議ではないかとも思うのですよ。かつて光の社会では人間存在に伴う闇のすべてを追い払おうとした。そのためにひたすら科学が追究されました。科学だけが正義だったのです。光の住人たちは闇の強力な武器である迷信に戦いを挑んだ。結果、光の中にいる人間たちの精神は脆《もろ》くなり、科学に依存する羽目に陥った」 「だから逆に今、人間は闇の力を得て科学と戦わなければならないと?」 「ええ。そうしなければ日本人は、いや人類は確実に滅亡するでしょう」 「そのために闇はその存在さえも隠さなければならない?」 「存在が発覚した闇はもう闇ではありませんからね。それでなくとも科学が小賢《こざか》しく闇の正体を暴きたがって困ります。わたしたちは徹底的に隠す。そして守りきる。それが光と闇の均衡を保つ唯一の方法なのです。闇は断じて光の中にしゃしゃり出るべきではありません」  そこで沖野正通は言葉を切った。はじめの時と同じようにわずかな微笑と白い歯並みを見せて背中を向けながら、 「たぶんもう会うことはないでしょう。あなたとはもっといろいろな話をしたかったのに残念です。とはいえそれが闇の正義を生きると決めたわたしの使命なのです。光の世界で一度捨てた命は闇に委《ゆだ》ねてあります。後悔はしていません」  といった。  最後にわたしは聞いた。 「あなたは魔王なのですか? 鞍馬寺の伝説の主はあなただったのですか?」 「いや」  振り返った彼は厳しい顔で頭を振った。そして、 「わたしではありません。わたしはただの使者にすぎません。わたしたち個々に知らされていることはとても少ない。その意味ではわたしを追跡などしても無駄です。わたしの正体はあくまでも、京都の町中で農業に従事する粋狂な男、夏目四郎だからです。それからわたしたちの組織はここにいる神社の職員たちとも関係が全くありません。そんな単純なものではないのです」  といって歩きはじめた。だがその後ろ姿はどこか寒々としたものに映った。  うす青い夏の夕闇がとうに空を埋めつくしていた。わたしは湯の流れ続けるご神体を見つめた。火山岩でできていると思われるご神体の岩は夕闇の中でもことさら赤かった。湯は血を流しているように見えた。  わたしは最初に沖野正通がいった言葉を思い出していた。今まさに生命をこの世に送り出そうとしている女体。命の神秘、尊厳。沖野が自らを葬り闇に隠れることを決意したきっかけとは、この岩ゆえではなかったかとわたしには思えてきた。  そして去っていった彼の後ろ姿の哀しさは、使命とはいえ、人を殺《あや》め続けたことへの生身が感じる痛みなのではないか。  沖野正通ほどの人間に他に選択の余地はなかったのだろうか? わたしはどこにもぶつけようのない激しい怒りを噛《か》み締めた。そして歩きはじめた。  一週間後、沖野正通は轢死体《れきしたい》で発見された。場所は上野駅構内の東北本線の線路だった。京都から身元確認に上京した夏目四郎の身内は、所持品から本人であることを認めた。  大学出の農家の長男坊夏目四郎には前科などなく、特に問題もなかったので事故という扱いになった。上野にたむろしているホームレスの一派と意気投合して路上で酒を酌み交わしているのを見たという人もいた。酒気を帯び、まちがってホームから転落したという成り行きは、いかにも生前の夏目らしかった。  わたしは湯殿山であったことの一部始終を水野には話した。棡原で椙山が引き合わせてくれた役人や、沢田恵一郎の周辺にも闇組織が広がっているのではないかともいってみた。  しかし無駄だった。夏目四郎が沖野正通であるためには、不審に思う身内の証言が必要だったからだ。他人にすりかわったとして顔が変えられたとして、これほど長く身内を、彼の祖母までも巻き込んで、しかも京都のような保守的な町で、騙《だま》しおおせるものではないというのが大方の意見だった。  はじめのうち、わたしはこうした意見にことごとく反発した。そうではないと大声を張り上げたい気分だった。証言した身内ごとごっそり闇の組織の住人だとしたら? そもそも天狗の羽を持つ魔王が君臨する京都という古都全体が、闇組織の一部なのでは?  だがほどなくそうは感じなくなった。  少しずつだが時間が、存在した沖野正通を浸食しはじめたのである。またわたし自身、一度死んだとされている人間が、生きて殺人者になっていたりする闇の組織など信じたくないからだった。  一方�日本人の薬膳�の企画は椙山亡き後、暗礁に乗り上げている。たしかに白土三津子の家でもてなされたような薬膳は完璧《かんぺき》といえるが、あれを日々の家庭料理で再現することはできない。それにデザート以外は少々、和食に傾きすぎていた恨みがあった。  そんなある日わたしは、熟成が進んでいるワームウッド酒とベランダで茂り続けているハーブ類を見ていて閃《ひらめ》いた。  早速買物に出てグリュイエール、エメンタール各々のチーズと、にんじん、おくら、じゃがいも、さやいんげん、アスパラガスなどの野菜類を求める。  夕食のメニューはハーブキッシュと野菜のマリネ。ハーブキッシュはバジル、ローズマリー、タイム、オレガノ、マジョラムと五種のハーブを使う。野菜のマリネの方はフレンチタラゴンの香りを移したマリネード液に漬けこむ。  どちらも夏バテ防止によさそうだし、何よりワームウッド酒に合いそうではないか?  帰りついて台所に立ったとたん、携帯が鳴った。水野からだ。 「何か?」  実は彼女さえ忙しくないなら、夕食に招待してもいいとわたしは考えていたのだ。 「身体にいい料理何かない? 教えてほしいのよ」  沈んだ調子で水野はいった。前に一度聞いたことのある言葉だとわたしは思った。そのことを指摘すると、 「ああ、あれね。肝機能が目茶苦茶悪いと検診で脅されたのよ。C型肝炎の恐れがあるって。それで実家の近くの病院に行ったの。高校の同級生の父親がやってるところだから、検査結果を翌日電話で教えてくれたというわけ。結果がわかるまで落ち込んだけれど、結局何ともなかったわ。暴飲暴食。異常な不摂生だと説教は食らったけど」  さばさばと答えてくれた。 「となると今度は何だろう? いよいよ本物のC型肝炎?」  わたしは揶揄《やゆ》をこめた。すると彼女は、 「察しが悪いわね」  不機嫌になった。 「C型肝炎には気をつけているのよ。むやみに現場の血液に触らないようにしている。それにね、C型肝炎からなる肝硬変は移植では治らないんだそうよ。またすぐ同じ状態になってしまう。移植でけろりと治るのはアルコール性と脂肪肝からなる肝硬変だけ。だからまだずっと暴飲暴食の方がましだというわけよ」  という長々とした話を聞く羽目に陥った。 「それであの時C型肝炎だったら食事療法を含む民間療法にすがろうと考えたのか」  わたしはため息をつき、不運にもまた、沖野正通のことを思い出していた。この先彼のことは決して、忘れられそうもないという重い予感とともに。 「まあね。だけど今は身体によくて美味しい料理希望。あと五分でそっちへ着くわ」  水野は本音を洩らし、そこで電話は切れた。  ともあれ今は、水野と楽しむ夕食が大事だった。 この作品はフィクションであり、実在の人物、団体等とは一切関係ありません。 (編集部) 角川単行本『薬師』平成12年9月30日初版発行